Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

長野県幹部会 不滅の建設に誇りを

1969.5.27 「池田大作講演集」第2巻

前後
1  長野県には、小説「天と地と」「風林火山」のブームで知られるように、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が、五度にわたって決戦した有名な川中島の古戦場があります。
 かつて私も見たことがありますが、つわものどもが、傷つき、倒れたその古戦場も、今は、ただの川原にすぎません。武力、暴力の闘争は、詮ずるところ空しい夢でしかなく、無常です。
 これに対し、妙法の利剣をもった私どもの戦いは、因果倶時の原理によって、永遠にわたる幸福、平和な世界を厳然と残していける。また、それを土台として、広宣流布の花、すなわち、人材の花、家庭の花を咲かせていくことができるのです。
 したがって、私どもの戦いは、表面的には、派手なものではありませんが、生命という根本問題を解決し、楽土を建設しゆく永遠不滅の法戦であるとの誇りをもち、さっそうと前進していただきたい。
 世間は、今、虚栄と虚構に充満した時代に入っています。人間性、人間主義の失われた”ゆがみ”の反映といえましょう。名声、権力といった背景が崩壊すると、その人の人生は、減びてしまいます。なんの価値もない末路になるのです。それが、現代の本質といえましょう。
 ところが、信心とは、人間主義であり、生命それ自体の姿勢を正すことができる。大宇宙のリズムと合致した生命を具現し、人間性に貫かれた真実の偉大な家庭、文化、社会をつくっていけるのです。それを実現するのが私どもに課せられた使命であり、この信心の大地に生きていくことこそ、最も強い人生であると知つていただきたいのです。
 現代は既成の権威、体制、哲学といったものが、次々に崩れていく時であり、その破壊の不安と焦慮のなかで右往左往している混乱期にあるといえましょう。しかし、誰人も、次の建設のためのビジョンを持ち合わせていないし、また、知る方法ももっていません。私どもはそのなかにあって、時代の本質を見抜き、次の時代を、妙法、哲学を根底とした建設の時代としていくために最先端を進んでいるのです。その意味から、各人が自己、家庭の建設を成し得ないわけがないし、永遠に時代の主体者となり、繁栄していくべき宿命をもっていることを強く確信してほしいと思います。
2  法華経普門品「慈眼をもちて衆生を視給う、福聚の海無量なり」との文の御義口伝に「所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」とあります。
 南無妙法蓮華経には福運と智恵、英知が全て含まれている。仏の慈悲に照らされるが故に、誰人といえども、大海のような測り知れない福運と智恵を享受できるということです。
 大聖人は題目を唱えて初めて、この福智の大海原を具現することができると仰せなのであります。
 悩んだり、悲観したりする信心ではない。福智の大海原を悠々と泳ぎ、家庭、社会、国土に福智をもたらし、貢献しきっていく、そういう生涯を貫くための信心であることを自覚しなければなりません。
 この大聖人の指導を、観念ではなく事実のうえで証明していこうではありませんか。
 最後に長野のモットーとして『鉄の団結の長野』『生命力溢るる長野』『いつも歌声の聞こえる長野』を掲げて前進していただきたい。互いに守り合い、親子、兄弟以上のうるわしい鉄の団結を目指していこうではありませんか。そして、唱題を根本に、たくましい生命力を湧現し、明るいはずんだ歌声が、いつもみなぎっている長野であってほしいのです。
 この合い言葉あるところ、本末究竟して等しく、十年、二十年先、お子さんやお孫さんの時代には、事実のうえで見事な体制ができあがっていくことを強く訴えておきたいと思います。

1
1