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日蓮大聖人・池田大作

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第2回高等部総会 胸奥の英知輝かし真の学問を啓発

1959.8.15 「池田大作講演集」第2巻

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1  立派な第二回高等部総会、まことにおめでとうございます。(大拍手)
 大空に羽ばたきゆく、可愛い諸君の未来のため、簡単に五つの所感を重ねてここで申し上げておきたい。
2  第一に『真の学問は、自らの英知が啓発すべきものであって、ただ教わればそれでいいというものではない』
 一般には、学間は教わればそれでよい、と考えがちでありますが、それは迷妄であると思う。教わるのはあくまでも知識であり、その知識を縁として、自らの英知が触発されていくのである。
 同じ教室で、同じ教師に、同じ内容を教わっても、十人が十人とも、触発されるものは、人相が違うように違うものであります。
 ”英知”は、誰人といえども、その人の胸奥に確かに存在するものであります。そして、その胸奥の英知の実体は、眠っているか、それとも息づいているかの、二つに分けられるのであります。英知が参画しない学問は、単なる知識にすぎない。英知を脈々と躍動させるために私は、真の信仰というものの重要性を訴えたいのです。(大拍手)
 世の知識人といわれる人達が、往々にして単なる物知りであって、力がないのは、英知が眠ったままになっているからであります。この”知識”と”英知”の関係については、多少むずかしいかもしれませんが、一年、二年たち、諸君が、学生部に進んだり、社会に出たときに、もっと深く理解してもらえると思う。
 学問というのは、決して知識のみにとどまってはいけない。それによって自らの英知を触発し、その自らの英知によって統合され活用されるとき、初めて学問は力をもつ、ということを知つていただきたい。
3  第二に『諾君の学問の道を阻害する第一の敵は病弱である』
 学間の道をふさぐ最大のものは、ともすれば社会や自分の家庭の事情等のように思いがちでありますが、そのような障害は、まだ小さいといっていい。むしろ健康が崩れて生命の力が微弱であるとき、学問は足踏みしてしまうものであります。色心不二といわれるように、学問と健康とは、実に不二であると考えるべきであります。また、不二でなくてはならないのが道理であります。
 不健康、病弱からは、せいぜい病弱な学問しか生まれないと私は考える。その故に、これからの学問において、第一の敵は病弱であり、生命力がないことである、ということを諸君は銘記していただきたい。
 私は、少年時代、青年時代、病弱で本当に損をしました。その同じ轍を、諸君には絶対に踏ませてはならない、と思っております。したがって、諸君は、いつ、いかなるときでも健康に留意し、鋼のような身体を鍛えあげてほしい。また、鍛えあげていかねばならないと私は強く申し上げておきたい。(拍手)
4  第三に『若くして妙法をたもった諸君の心田には、すでに妙法の種が植えられていることを確信すべきである』
 諸君の未来が燦然たるものであることは、その生命の心田に、妙法の種がすでにあるからであります。
 これに対し、ある人は、不良という種を植えているかもしれない。またある人はマルキシズムの種を植えているかもしれない。ある人は、キリスト教の種を植えているかもしれない。しかし、これらの種は不毛であったり、脆弱な芽しか出せないであろう。また、なんの種も植えていない人もいるでしょう。種がないなら育つわけもない。
 これらに比べ、妙法の種は、必ず大樹に育つことは間違いない。その理由は、妙法こそ宇宙の本源力であるからであります。それを疑い、あるいはそう確信できない人がいるとすれば、まだ妙法の偉大なる種を自分で自覚できないからであります。
 日蓮大聖人は四信五品抄に「未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓むつきまとわれ大竜の始めて生ずるが如し蔑如べつじょすること勿れ蔑如べつじょすること勿れ」と仰せであります。
 諸君の未来は天子のような、また大竜のような境涯に達することができるとの御金言なのであります。すなわち、社会の、世界の、大指導者に育ってゆくことは間違いない。また今世におのおのが偉大なる使命をもっていることも間違いない。その使命も必ずや実現するであろう、との仰せであります。日蓮大聖人は諸君のことを「蔑如すること勿れ」――絶対にばかにしてはいけない、大切にせよ、とお守りくださっております。どうして諸君が世界の各分野の指導者になれないわけがありましょうか。(大拍手)
 どうか高等部員は、特に男子は、一人ももれなく大学に進み、社会のため、また不幸な民衆のため、広宣流布のために、大人材に育っていつていただきたい。(大拍手)それには日蓮大聖人の仰せを確信することが根本であり、信心がその第一歩であります。
5  第四に『二十一世紀は刻々と近づいている。妙法をたもつ者の世紀が、いまや開かれようとしている。その世紀に処する道を今から着々と用意すべきである』
 日蓮大聖人の仏法が真である故に、この地球は、世界民族主義の姿をとっていくことは間違いない。その世界に自由自在に雄飛するためには、外国語の一つや二つに通達しなければ、どんなに優れた才能・技術に恵まれていたとしても、その力を十分に発揮できないといいたいのであります。
 世界民族主義の最も現実的で確かな前進の第一歩は、言語の障壁を乗り越えることにあると私は思っている。人種や風俗・慣習、また、風土・気候の違い、地域・距離の格差等々は、そんなに大きな壁ではない。その証拠に過去において遠国とされた北海道や九州が、徐々に交流を深め開発されて、今では日本というなかに含まれ、過去のイメージも取り払われている。
 「生命の世紀」の先駆者であり、開拓者である諸君が、言語という障壁をできなかったならば、世界民族主義の思想を実践することは不可能である、と私は思うのであります。
 諸君は語学、また、技術を身につけ、平和大運動のために妙法をひろめる”使徒”として、世界のひのき舞台へ絶対に雄飛していっていただきたいのであります。(大拍手)
6  第五に『長い人生にあって諸君は絶対に退転することがあってはならない』
 諸君は、その輝かしい未来を、若くして妙法の種を心田に植えたという、その一事によって根底的に約束されている。ひとたび退転したならば、諸君の、どんなにみがかれた英知も、また見事な情熱も、たちまち一切が水泡に帰する、ということを心配するのであります。
 これこそ最大に恐るべきであり、自己の栄光の人生、民衆救済、そして社会に最高善の価値創造の貢献をしゆくため、生涯絶対に退転しないということを胸のなかに刻んでいっていただきたい。(拍手)詮ずるところは、信心の筋金を通していくことであります。信心の実践を貫いていく以外にない。
 若き故に、幾多の悩み、波風があるのは当然であり、私もよく知つております。しかし、枝や葉がどのように動くことがあろうとも、根本の幹の成長だけは忘れてはいけない。その幹の成長にあたるのが信心であります。故に、今は甘える心があるかもしれないが、厳しい社会、生涯という、長い人生行路にあっては、最後の勝利は、結局は信心に求める以外になくなってくる。
 相撲の勝負は一回だが野球は九回です。人生は、それよりもっともっと長い勝負である。したがって、人生の途上においては多少の勝ち負けがあっても、最後に勝利することが真の勝利である。その勝利を推進するものの福運・原動力・知性の本源、その他の一切の推進力が信心なのであります。その故に信心を放しては絶対にならない、と申し上げたいのです。(大拍手)
 ちよつと暑いから退転しよう(笑い)とか、少しのことで感情的になったり、会合へ行くのが遠くて大変だから退転しよう(笑い)というのはわがまますぎる。わがままな修行などどこにもない。
 かのベトナムで、民族解放戦線が米軍と互角以上に戦い抜いたのは、やはり、十七、八歳の少年にいたるまで、たとえ死刑になろうとも、莞爾として節を曲げないという青年の力によるものであった。
 妙法を根本とした諸君には、死にいたるような迫害もない。なんの障害もなくて退転するのは、人間として、特に靑年にとって、最も無節操であり、下劣である、といわざるをえない。過去の自由主義、または革新思想の先駆者達は、国家権力の迫害をうけ、みんな何年か牢へ入って今日の基礎を築いてきたのです。
 いわんや、最高の立ち場、思想をもった諸君が、その節を曲げることがあっては決してならない。
7  「原水爆反対全国高校連盟」の結成準備を提案
 本日は戦後二十四回目の終戦記念日であります。周知のように、この八月は、二十四年前、広島と長崎に原子爆弾が投下された、永遠に記憶さるべき月であります。
 当時、諸君達はまだ生まれていなかったけれども、幾十万の同胞を無残に失ったこの冷厳なる事実は、日本民族として、絶対に忘れてはならない。これこそ、平和を願う人類の一人としての責任であり、使命であることを、あわせて訴えておきたい。
 その後、軍事科学の発達は著しく進み、当時の原爆の何千倍もの威力をもつ恐るべき水素爆弾を生み出している。そして何十遍も何百遍にもわたって人類を減亡させていくにたる破壊力をもっております。人類の前途には、恐るべき落とし穴が待ち構えているといっても過言ではない。二十一世紀は、一面からいえば、かつてない暗黒の世紀ともいえましょう。
 今、私は、この八月の、しかも終戦記念日のきよう、未来を担う諸君を前に、かつて昭和三十二年、戸田前会長が当時の青年部を前にして言明された原水爆宣言を思い出すのであります。
 原水爆のを叫ばれ、人類の生存権をすサタン、悪魔との戦いを宣言された恩師の”いやしくも我が弟子であるならば、この声明を継いでゆけ”との遺言は、今もって、私のこの脳裏に鮮烈に焼きついている。
 故に私は、私の最も期待し、信頼している高等部の諸君に、この恩師の声明の精神を受け継いでいただきたいと思うのであります。(拍手)
 創価学会は、平和主義であります。しかし、それは世に流布しているムード的な平和主義でもなければ、まやかしの平和主義でも絶対にない。仏法の、生命の尊厳の哲理に立脚し、人間生命のなかにひそむ悪魔と対決する”戦う平和主義”が創価学会ではないでしょうか。(大拍手)
 そこで、これはあくまでも提案でありますが、学会の後継者たる高等部の諸君達が中枢となって、「原水爆反対全国高校連盟」を結成し、全国の志を同じくするあらゆる高校生を包含して、決して焦らず、地道に大平和運動を展開していってはどうかと提案するものであります。(大拍手)なお、これをどう運用していくかは一切、高等部の諸君にお任せします。
 これまで、原水爆反対の運動は、さまざまに繰り広げられてまいりましたが、全て醜い政争の具となり、大衆から遊離して、いたずらに四分五裂してしまっているのが現状であります。
 戸田前会長も、これらの運動の奥に悪魔のツメが隠されていることを早くから見抜かれておられた。おとなは利用主義でずるく、また戦争になったときに、真つ先に犠牲になるのは青年諸君であります。
 私は、諸君達ヤングパワーが、その清純な心と、純粋な一念、更に未来に生きゆく責任感とを結集して立ち上がった時こそ、真実の平和運動が展開されると確信するのであります。(大拍手)
 二十一世紀に生きゆく諸君ら自身の世界のためにも、戦争を起こさせては断じてならない。原爆なんか絶対に落とさせてはならない。そのため、今度は諸君らの後輩の中等部、少年部のために、この原水爆絶対反対の純粋なるタイマツを伝えきっていってほしいのであります。(大拍手)
 私は平凡な一青年にすぎない。決して私を偉いと思ってはいけない。未来の学会は、高等部出身の諸君に一切お願いする以外にない。故に、諸君の健康と成長と栄光ある未来を心よりお祈り中し上げ、私の話といたします。(大拍手)

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