Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西本部幹部会 全てを味方にする戦い

1968.1.26 「池田大作講演集」第1巻

前後
1  最初に小説「人間革命」について申し上げたい。素人ですから、文は下手で読みにくいかもしれませんが、読んでいただければ幸甚です。これまで学会は、その本質を知らない人達から、皮相的、感情的な批判をされてきましたが、私はこの小説のなかで、戸田前会長の理念、人格、そして創価学会の本質を、全生命をかたむけて書き残す決意であります。全部書き上げるまでには、七年ないし十年近くかかるかもしれません。
 これから七巻、十巻、できれば十五巻ぐらいまで書くつもりです。それによって、私は、何十年先、何百年先までの規範を、きちっと示しておきたいのです。それを全部読みきっていただきたい。そうすれば、更に大聖人の仏法の真髄、創価学会の正しさが、わかるであろうと思うのです。どうか、幹部として学会の正しい姿を知り、間違いのない指導をしていくために、この小説を読んでください。(拍手)
2  王仏冥合戦の本義
 さて、今回の参院選は、かつてない激戦であるといわれています。ということは、他党も苦しいのです。激戦だからといって、決して焦ったり浮き足だってはいけない。ベテランの関西らしく、あくまでも着実にそして賢明に団結し、仲良く励ましあって、一歩一歩踏み固めて、正々堂々と模範的な民主選挙を展開していっていただきたいのであります。(拍手)
 私どもの選挙は、候補者のための選挙や公明党のための選挙でもない。ただひとえに、末法の御本仏日蓮大聖人の大慈悲である民衆救済のご遺命を達成するための戦いである。すなわち日本民族の幸福と安泰、世界平和のための戦いであります。
 故に真剣に戦った人は、大なる人間革命を成し遂げ、生活革命をして境涯を開いていくことは絶対間違いない。その反対に不真面目で、要領よくやっておれば、それだけ損をすることになる。これが私どもの王仏冥合の戦いの本義であり、偉大さであることを再確認して前進していっていただきたい。(拍手)
3  所願満足の黄金の人生を
 道妙禅門御書の一節を拝読いたします。それは「祈祷きとうに於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷きとう有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず」との一節です。
 この御文は、私達が大御本尊に唱題・祈願するとき、祈りの強弱、宿命の浅深によって、その祈りと功徳の現われ方が四つの場合に分けられることを示されたのです。
 まず第一に「顕祈顕応」である。顕祈とは、あきらかな祈り、現実的・具体的な目的を意識した祈り、すなわち、なにか事があったときに、特に強い願いを込めて、大御本尊に祈っていくことであります。たとえば、子供が病気になった。だから、きのうまで退転していたが、きょうからは、一生懸命拝もう(笑い)――これは顕祈です。また「顕応」――あきらかに応ずるとは、その顕祈に応じて、即座に功徳が現われてくることであり、そういう一つの方程式、原理です。
 第二に「顕祈冥応」であります。明確な祈りに対して、知らずしらずのうちに功徳をうけていく。冥応は顕応に対する言葉で、これは真剣に唱題に励んだとき、現証は即座に現われないが、あたかも草木がしぜんに育つがごとく、潮の満つるがごとく、次第次第に祈りがかなってくることであります。これは皆さん方も体験したことがあると思います。真剣に祈っているにもかかわらず、功徳がすぐに出ない場合は、この「顕祈冥応」という原理によるのです。
 第三に「冥祈冥応」である。冥祈とは、顕祈に対する言葉で、日々たんたんと水の流れるごとく、大御本尊に唱題を重ねていくとき、功徳は見えないが、やがてその人の願い通りの生活になっていくということをいうのであります。これも十年、十五年信心した人は、振り返ってみて、よくわかる方程式です。
 第四には「冥祈顕応」です。これは日々に、たゆまず信心を貫くとき、その信心、冥祈によって、いざというときに厳然と功徳が現われてくることをいうのであります。たいした祈りもない信心であっても、水の流れるごとくに励んでおれば、いざという場合に、厳然と守られる、驚くほど大功徳が湧現するということであります。
 この御書は、以上のごとく祈りと功徳のさまざまな対応の仕方を説いているのであります。
 その次の一節には「只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候」としたためられています。「只肝要」とは根本、「此の経」とは大御本尊、「現当」とは現在ならびに未来を指します。「現当の所願満足有る可く候」との御金言のごとく、誰人たりとも、大御本尊に対し、ひたぶるな信心を貫いていくならば、先の四つの方程式によって、必ず所願満足になってくる。詮ずるところは、どんな境涯でも、どんな祈りでもかなわないわけは絶対にないというご断定のお言葉です。
 したがって、皆さん方は「現当の所願満足」の御文に照らし、現在をたくましく切り開いていくだけではなくして、一生涯、更には永遠にわたって所願満足の黄金の人生を確立していけることを、強く深く確信しきって、人生を邁進していっていただきたい。(拍手)
4  魔をも仏法守護の働きに
 法華経第三の巻・授記品の「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」とは、強盛な祈りがあるならば、我々をいじめ、批判し、阻まんとする魔の働きでさえも、必ず仏法守護の働きに変えていくことができるとの意味なのであります。
 化儀の広宣流布ということは、一切の敵を味方に変えていくという戦いであります。これからの幹部は、この方程式を忘れず、私どもの颯爽たる正義の行進こそ、いかなるものも必ず心から賛同者としていくことができるという確信をもって、前進していこうではありませんか。(拍手)
 この原理を知ったならば、広宣流布の舞台は刻一刻と転換されていきます。しかし、根性が狭く、自分だけの利益のために学会を利用していこうという考えの人は、この原理にあてはまらないのです。そういう人がいれば、広布の進歩が非常に遅れてしまう。これこそ創価学会を体内から蝕む魔である。
 また、法華経第七の巻・薬王品の「病即消滅して不老不死ならん」を、一言にしていえば、人間革命ということになるのです。「病即消滅」の病とは三毒を意味します。すなわち、病気よりももっと重い、また、いろいろの病の因ともなる生命の濁りという意味です。「不老不死」の不老とは、肉体的に年をとらないという意味ではありません。仏法は、そんな非科学的なものでは決してない。この「不老」とは、生命の輝かしい、若々しい躍動を指すのであります。深い、生命力に満ちた価値創造ができるという意味が、含有されているわけであります。
 また「不死」とは絶対に崩れることなき、幸福の姿をいいます。すなわち、この御文は、三毒の病を消滅し、自分自身の内奥から若さに満ちた生気はつらつたる生命力を発揮して、人生をエンジョイしきり、絶対に崩れない不死の幸福を成就していく本源は、結局、強盛な信心、強盛な祈りによる以外にはない、ということを仰せになっているのであります。
 まさに、信心の一念に徹した大御本尊への祈りは、まず自分自身を変え、家庭や職場の環境を変え、時代の新しき流れを巻き起こし、宇宙をも変えていけることを知っていただきたい。(拍手)
 小さい次元になりますけれども、十年前の学会と、今日の学会の姿、社会での位置、勢力、皆さん方の功德の姿、現証を考え合わせていただきたい。十年間という短い期間においても、その姿の大変化は、だれが見ても、明白な事実として、如実の相として、映っているではありませんか。
 これと同じように、皆さん方の信心も、十年先、二十年先を考え、更に確信をもっていただきたい。ただそこで大事なことは、信心であります。
 このたびの参院選の戦いに際しても、今の原理のうえから、各人が必勝の祈りを込めて、全て上げ潮に向かわせていくという戦いを、しきっていっていただきたいのであります。(拍手)
5  人間性は目的であり手段ではない
 話は変わりますが、先日の毎日新聞の学芸欄に、西洋史学の東大教授が「民主主義の根底は、人間性の尊厳である。この人間性の尊厳という理念は、結局は宗教から生まれたものである。したがって、各宗派によって、その内容は変わるけれども、共通していえることは、どのような立ち場からにせよ人間性は目的であって、決して手段ではないということなのである。人間性は目的であって、手段であってはならない」という意味のことを論じておりました。
 この民主主義と人間性という問題は重要なことなのです。今の哲学者や思想家でも、本当にこの本質を知っている人は少ない。私はこの論文を見て、時代の先端を行く懸命な学者だけあるなと思いました。全部、私達の思考と一致しています。ただ、彼らには、その根本となる理念がない。論ずることはできるが、具体論と確信がない。したがって画竜点睛を欠いている。
 人間性が手段であってはならないということは、一切の学問、一切の社会の営みは、ことごとく民衆の幸福のための学問でなくてはならないし、活動でなくてはならないという意味になるのです。その反対に、人間性を手段とする最も極端な例は、戦争ということになります。
 この民主主義の本義に立つならば、戦争は、絶対にしてはならないことは明白なのであります。ところが現実には、朝鮮問題やベトナム問題が解決できない。共産圏、自由圏を問わず、もし民主主義をせんじつめて、人間性を手段としてではなく、目的として行動に移すならば、こうした問題も解決するのです。
 それが、解決できないということは、裏づけとなる人間性の根底、生命の尊厳を説く哲学をもたないからです。具体論がないからです。人間性を最も大事にし、人間尊重を究極の目的とする哲学は、永遠の生命を説き、全人類の絶対的幸福の確立を目指す、仏法の一生成仏の教え以外にないのです。
 キリスト教においては、人間は神の似姿であるとされているけれども、神に似た姿であっても神ではない。神にはなれないのです。
 仏法は、人間生命それ自体に、すなわち肉団の胸中に、仏の生命が厳然とあり、信心によって仏の境涯に住すると説いているのであります。キリスト教と仏法とでは、そこに大きな違いがあるのです。したがって、真に人間性を目的とし、それを最高に尊ぶ仏法こそ、宗教の真髄であると私は訴えておきたい。(拍手)
 更に、現代の政治をみたときに、資本主義も共産主義も、結局は、利潤追求のため、あるいはまた社会全体の繁栄のために、人間性を手段としている。それに対し、政治の根底に生命の尊厳、すなわち慈悲を貫く私どもの王仏冥合の政治こそ、あくまでも人間性を目的とする唯一の政治であると断言しておきたい。(拍手)
 したがって、私どもの戦いこそ、日本に真実の民主政治を樹立し、真の民主主義の理念を盤石ならしめる壮挙であることを確信して、王仏勝利を目指して、勇猛果敢に、前進していっていただきたいのであります。(拍手)
6  民衆の勝利、正義の勝利、善人と良識と平和の勝利
 戦いの具体的な進め方については、皆さん方の先輩幹部の指導にしたがって、全員団結して遂行していけば十分であります。関西の幹部は、昭和三十一年、三十二年の選挙を通じて、日本全体の学会員に先駆けて知っております。私も″常勝関西″の伝続精神をもつ皆さん方には、全幅の信頼をおいております。自信をもち、大胆に、しかも、一つ一つの戦いには細心の注意を払って、見事な勝利を勝ち取っていただきたい。(拍手)
 昨年の衆院選では、関西勢は全員当選し、王仏冥合への輝かしい一歩前進を見事に遂行しました。以来、一年間、皆さん方が応援してくださった衆議院の議員は、国会に新風を巻き起こす大活躍をしております。(拍手)
 心ある人ならば、私どもの勝利が、政治の改善のために、日本民衆の幸福のために、どれほど大きな意義をもってきているかは、つくづく痛感していると思うのであります。
 したがって、戦いは断じて勝たなくてはならない。私どもの勝利は、単に私どもだけの勝利ではなくして、民衆の勝利、正義の勝利であり、善人と、良識と、平和の勝利と確信して進んでいただきたい。(拍手)
 その反対に、私どもの敗北は、権力の座に長年あぐらをかく古き勢力を、ますます増長させ、悪人と邪義と、混乱と悲惨の支配を許す結果になってしまうでありましょう。特に関西においては、昭和三十年の参議院補欠選挙以後、敗北を経験していない。そのために、万が一にも、油断することがあってはならない。油断は絶対に禁物であります。
 どうか、一つの作戦といえども綿密に計画を立て、着実に実行し、完璧に生かしていっていただきたい。また、むだな活動は極力はぶいていってほしい。関西の同志の皆さんが″勝利″を合い言葉に全学会員の先駆を切り、水も漏らさぬ布陣で、喜び勇んで、全力をふりしぼって、模範となる戦さをしていっていただきたいのであります。(拍手)
7  最後に、第二次世界大戦のとき、優勢なナチス・ドイツ軍の攻撃によって、イギリス本国が未曾有の危機にさらされたことがありました。そのときのチャーチルの発言を思い起こし、私どもの心の一つをあらわすものとして、読んでおきたい。
 「人類の将来の運命は、我々の行動いかんにかかっている。我々は、今日まで、なにが起ころうともひるまなかった。今後も、断じて、ひるまないだろう。いざ、ともに、嵐の真っただ中に、身をおどらせ、嵐のなかを進もうではないか」
 関西の同志の皆さんのご健闘と、勝利を期待して私の話といたします。(拍手)

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