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日蓮大聖人・池田大作

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第17回女子部総会 生涯、清らかに人間解放の先駆を

1968.10.20 「池田大作講演集」第1巻

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1  伸びのびとした若さの総会、たくましい、そして美しい団結の総会、まことにおめでとうございました。(拍手)
 さる十七日、「伊豆の踊子」「雪国」等の作家である川端康成さんにノーベル文学賞の授賞が決定した。このニュースは、日本にとって喜ばしいことでありました。しかし、この女子部総会は、地味ではあるが、それに幾百倍も幾千倍も増して、輝く未来に意義をはらみ、尊く、偉大な、日本のニュースであるといっておきたいのであります。(大拍手)
 きようは難しい話は抜きにして、皆さん方と、静かに信心の根本の問題を語り合っておきたいと思います。
2  近代性備えた真の宗教
 私にとって、皆さん方全員が幸福になってくださることが、最高唯一の願いであります。それのみが私の使命であり、責任であると自覚しております。私は皆さん方がだれよりも可愛い。私の生きている限り、皆さん方に題目を送り続け、守り抜き、皆さん方のために戦い続けてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。(大拍手)
 皆さん方のなかには、親が信心していない方もたくさんいらっしやると思います。あるいはこれまで、そうした悪条件のなかで頑張り抜き、親にこの正法をたもたせ、立派に家庭革命の実証を示してきた人もたくさんいらっしやることでしょう。
 したがって、私がいいたいことは、現在、親が信心していなくても、また反対していたとしても、日蓮大聖人の仰せ通り、朗らかに、力強く信心を実践していくならば、いかなる反対の親も、やがて信心することは絶対に間違いないのであります。どうか確信をもち、安心して信心を貫き通してください。(拍手)
 だが、この問題について別の一面から考えてみれば、年配の人が反対し、若い皆さん方が喜喜として毎日、信心に励んでいることは、とりもなおさず、大聖人の仏法が現代にマッチし、生き生きとして、未来へ躍動していく仏法であるという証拠ではないでしょうか。(拍手)
 新しく躍動するものに抵抗しようとするのは、世間の習いであります。親というものは、とかく自分の生きてきた過去の世界のなかで子供を育てようとしがちである。そして、子供が親の世界から一歩でも出ようとすると、それを食い止めようとする。それが親の悲しい習性ともいえましょう。
 それに反して子供は、すでに出発点から新しい時代に呼吸し、新しい世界観のなかに生きております。また、生きていこうとするものであります。
 親子の摩擦というものは、ほとんどがここから生じているといっても過言ではない。嫁と姑の問題も、その一つのあらわれとも考えられます。しかも、現代は最も世代の断層が顕著な時代であります。こうした風潮のなかにあって、親が反対し、未来に生きゆく皆さん方が信心に励むということは、日蓮大聖人の仏法こそが、新しき世代の宗教であり、最高に近代性、未来性を備えた真の生きた宗教であるということを、明確に実証するものであると思いますけれども、いかがでしょうか。(大拍手)
3  事実、日本の社会では既成の宗教は、信者の九九㌫が老人で占められているといっても過言ではない。したがって、もし皆さん方が、仮に既成の宗教を信仰しようとしても、親は決して反対しないでしょう。ところが、日蓮正宗の信心となると、真っ向から反対される。まことに不思議な現象ですが、その本質は、古き世界に生きてきた人が、その世界のなかに堅く閉ざされ、新しい、力あるものに対し、抵抗するという原理を示しているものと考えられる。
 ロシアの文豪トルストイも「信仰は人生の力である」(「告白」)といっております。人生において、確固たる指針、指導原理をもっているということはすばらしいことである。逆に、もっていない人は惨めであります。皆さん方は、若くして、人生の最も力強い支えとなる、偉大な宗教をもつことができた。これに対し、本来ならば親はほめたたえてもよいはずです。むしろ、創価学会は両親達からお礼をいわれてもよいくらいであります。(笑い)ところが現実はそうではない。
 だが、そんなことを嘆くこともなければ、悲しむ必要もない。親が反対するのは、結局、創価学会、そして日蓮大聖人の仏法の偉大さを知らないからであります。皆さん方が幸福になっていく実証、幸せになっていく人間革命への実相が、あたかも太陽の光のごとく、やがてお父さんお母さんの、かたくなな心の氷を解かしていくことは絶対に間違いないと確信して、進んでいただきたいのであります。(拍手)
 また、会社の上司に反対されて、信心がやりにくい人もいるかもしれない。これもまた、先の親の場合と同様の方程式であります。現在、社会全体が新しく脱皮しようと激しく動いている時代です。この時の流れを、皆さん方はしっかりとしていかねばならない。その流れに逆らって時代に逆行しては損をする。
 創価学会は、若き人々の存分に活躍できる、次の時代の確固たる土台を、今日まで営々として築いてきましたし、また、未来に向かって築いていくでありましょう。その土台のうえに、偉大な未来社会が築かれていくことは必定であります。したがって、皆さん方は家庭にあっても、職場にあっても忍耐強く、明るく、そして自信をもって振る舞っていっていただきたい。(拍手)
4  上り坂の人生を確信
 いつも申し上げていることでありますが、人生は十代、二十代だけではない。厳しい社会において、三十代、四十代、否、五十代、六十代の人生が待っている。いくら十代、二十代が花やかであっても、四十、五十、六十代になったときに、色があせ、朽ち果てていくような、わびしい人生であっては絶対にならない。悔いなき青春時代を過ごし、二十年先には、真実の幸福の花を咲かせ、いよいよ充実した人生であるという生き方をしなくてはなりません。
 今、信心をしっかりやった人とやらない人では、二十年先に天地雲泥の開きを示してしまうことは間違いない。そのときに、自分自身の信心、体験の実証と、また、信心しない人、退転した人等の厳しい証拠を、皆さん方自身の鋭い科学的な目で比較検討し、その勝敗を見きわめていただきたい。
 ともあれ、人生は坂道にたとえられる。若いときに、一見花やかで楽しそうに見える人でも、下り坂であるかもしれない。またそういう場合が多い。それに対し、上り坂の人生は苦労が多いに決まっている。皆さん方は″自分の人生は、真実の幸福の頂上へと向かっている、上り坂の人生なり″と、誇り高く生き抜いていってください。(拍手)
 人生というものは、むしろ、いちばんつらいときが人間革命できるときだといってよい。そのときこそ成長していけるときでもあります。そのチャンスを決して失ってはならない。したがって、多少の困難があっても、決して卑屈になったり弱気を起こしたりすることなく、希望に燃え、勇気をもって、私とともに明るく進んでいっていただきたいのであります。(大拍手)
 深く、静かに人生行路を考えてみると、もし、信心、御本尊がなかったならば、それはあてもない無常の人生ではないでしょうか。地位も名誉も財産も、詮ずるところは世上の虚栄であり見栄であり″諸行無常″です。
 だが、ただ一っ″常住″の法、″常楽我浄″の哲理がある。それは妙法蓮華経であります。法華経以前の経々では、この妙法が説かれていないために、無常観におおわれてしまっている。だが法華経にきて初めて常住の妙法が説かれた。その実体が末法ご出現の三大秘法の御本尊であります。その常住の御本尊と境智冥合したときに、我が胸中の肉団の妙法が湧現し、生命それ自体も、常住の当体とあらわれてくるのであります。
 御書には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と説かれております。この「胸中の肉団」――私達自身の生命の奥底――の妙法こそ、まさしく″常住″の実体なのであります。信心によってみがきあらわした我が胸中の肉団の妙法がある限り、いかなる怒濤の時代がこようとも、いかに嵐のごとく厳しい環境に直面しようとも、びくともする必要はない。むしろ、苦境・苦難が大きいほど、それは更に輝きを増し、皆さんの人生にさんさんと光明をもたらすことを確信していっていただきたいのであります。(大拍手)
5  福連決するこの四年間
 今、皆さん方が実践していることは、全て生涯の財産となっていくことを確信してください。しかも、正本堂建立を四年後にひかえ、ホームストレッチに入った今日、この四年間に築いたもの、経験したもの、つかんだものは、全部、生涯の財産となることは疑いない。故に、皆さん方は、最も光輝ある時に青春時代を送る、最高に福運ある人達であると私は申し上げたい。特に、この四年間が皆さん方にとって、最も大事な時であり、皆さん方の一生は、この四年間で決まると決意して頑張りぬいていってほしい。(拍手)
 そして、私とともに黄金の道を切り開いていこうではありませんか。(拍手)
 上野殿御返事にいわく「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう」と。皆さんがこの四年間に生命に貯蓄した福運は、皆さんの人生を飾り、結婚の後には夫を栄えさせ、子供の幸福を築くことはもちろん、子孫末代まで繁栄させていくことを、堅く信じていただきたい。これは決して私がうまいことをいうのではなく、末法の御本仏日蓮大聖人のお約束であります。どうか、この四年間、女子部の皆さんが一人ももれなく、信心を根本とした揺るぎなき幸福の自己を確立してほしいのであります。
 そのためには、目先の小さな幸福のために、環境に左右されるようなことがあってはならない。どんな逆境にあるとしても自己の強い信心の一念で、自分を変え環境を変えていけるのであります。ともあれ、皆さんは幸福の勝利のために、この人生を強く強く生きなくてはならない。
 ひとくちに″強く″といっても、表面的な見せかけの強がりをいうのではありません。″強く″とは信心強盛ということであり、確固たる主体性を確立していくことです。縁に粉動されたり、敗北の人生を歩んでいくような弱々しい人生であっては、断じてならない。
 また、結婚問題等によってぐらついて、信心から遠ざかっていくようなことがあってもなりません。結婚イコール女性の幸福とは限らない。結婚はあくまで幸福への道程であって、幸福そのものではない。もしも結婚によって自らの信心を破ってしまったら、いかに当初、相手に地位があり財産があり将来性があったとしても、その福運の根を断ち切ってしまうようなものであります。
 だれにしてみても、人生は予定のコース通りにはなかなかいかないものです。虚栄に生きた人は、虚栄の挫折とともに悲劇が始まってしまうでありましょう。女性が社会に進出しつつある現代では、結婚は決して焦る必要はない。また、結婚するとしても、相手を単に外形だけで決めては失敗する。それは、週刊誌等で書き立てている有名人の結婚が、必ずしも幸福でないことをみてもおわかりだと思います。
 名もなく、地位も財産もないけれども、ただ一筋に清浄な信心を貫き、そこから築いていった結婚こそが、最も尊く幸福であるということを知っていただきたいのであります。(拍手)
6  太陽のごとく気高く明朗であれ
 先日、日本で「68年ミス・インターナショナル・ビューティー・ページェント」が行なわれたことはご存知と思いますが、その審査員の一人が、ある雑誌に「美人とはなんであるか」という幾つかの質問に対して、実に興味深い回答をしておりました。
 その人がいうには「美人というのは、おばあさんになったときに決まる。(笑い)というのは、女性の美は、年とともに下り坂になるという見方は誤りで、四十、五十と年をとるとともに美の頂点にいく。そして、その美しさを身につけるには、意地悪な心をなくし、教養を身につけていくことである。その教養とは、単に学歴ではなく、自らが身につけるものでなくてはならない」というのであります。
 更に「家庭の主婦は、なぜ、くすんでしまうか」という問いに対し「それは結局、慣れであり、惰性が原因である。生活に慣れ、向上心を失うと、途端に美しさを失う」と。そしてその人が最に結論していうには「人間は皆、美しいものである。その美しさは姿ではなくて相である。木目もくめであり、その人の″年輸″である」というのであります。
 私は、この審査員の意見に共感をおぼえました。人間というものは、だれもが美しさを内に秘めているものであります。外から飾っていくものは、あくまでも表面的なもので、その人の本当の美しさは、内側より発散しているものでなければならない。
 それでは、内に秘めたる美を最高に顕現していく道は何か――それは、絶対に信心以外にはないといっておきたい。(拍手)
 一般の主婦が生活に慣れ、惰性に陥るのも、目的観を失い、向上する気力を失ってしまうからであります。事実、流れている川はきれいであり、美しい。しかし、流れがよどんでくると濁り、醜くなってしまう。人間も絶えず成長し、前進していくことが、清らかさ、美しさを保つ秘訣であるといえましょう。
 皆さん方には、永遠の美の泉たる信心があり、目的観があり、たゆまぬ向上があります。したがって、世界で最も美しく、そして永遠に美をたたえ、否、むしろ年とともに、より深い美を顕現していける人は、皆さん方女子部員であると、私は断言したいのであります。(大拍手)
 その意味から、私は皆さんに、生涯、華のごとく美しく、清水のごとく清らかに、太陽のごとく気高く、明朗であれ、と強く申し上げておきたい。
 明治以降、文明開化の足音とともに、女性解放運動が、我が国でもさまざまな形で展開されてまいりました。しかし、この女性解放運動の先駆者達が、いずれも不幸な生涯に終わっていることは、見のがせない事実なのであります。
 彼女達は、外に対しては、花々しい運動を展開しても、自分自身の宿命には遂に勝つことができなかった。それどころか、自己の醜い心をむきだしにして、男女関係等で激しい葛藤を繰り返し、人間革命なき女性解放がいかに表面的で、砂上の楼閣であるかを如実に示している。
 太平洋戦争後、占領軍によって民主主義の時代となり、男女同権がとなえられ、女性に参政権が与えられた。結局、女性解放は、明治、大正、昭和の女性革命運動家の手で勝ち取ったものではなく、ただ、敗戦という不幸がもたらした″幸運″にすぎなかったといっても過言ではない。
 戦後二十三年の今日、本当に女性は幸福になったか、自由を謳歌し、喜びを満喫しているかというと、決してそうではない。複雑煩瑣な人間関係のなかに、苦悩、煩悶し、あきらめの人生を送っている人が、なんと多いことでありましょうか。
 戦前の女性解放運動は、旧来の家父長絶対主義に対するレジスタンスであったといえる。いうならば、過去の女性解放が目指したものは、旧社会の束縛からの解放であり、封建制度からの解放であったといえましょう。だが、終戦という未曾有の事件を機に、社会は百八十度転換し、こうした家父長絶対主義は一挙に崩壊し去ったのであります。それとともに、女性解放の目標は必然的に達成されたことになり、女性の社会的進出は、めざましいものにった。
 しかし、今なお人間生命に内在し、人間生命を束縛する″封建主義″からは少しも解放されてはいない。むろん、これらは女性に限った問題ではなく、男女ともに、自己自身のうちにある貪・瞋・癡の三毒、すなわち貪――限りなく卑しい貪欲、瞋――怒り、そしてまた癡――愚か、利口そうにみえるけれども人生の一寸先もわからない愚かさ、こうした三毒に束縛されているのが実相である。そして、おのおのの宿命に奴隷のごとくしばられ、苦しみと悲惨の人生を転々としているのが、現実ではないかと私は思います。
 私は、今まさに、真実の人間解放、人間革命の時代であると宣言したいのであります。(大拍手)
 これを実践し、その実現のために戦っているのが創価学会です。そして、そのなかで活躍している女子部の皆さんは、学会員のなかでも最も美しく気高き人間解放の先駆者であり、模範であっていただきたい。(拍手)
 新しき生命のルネサンスの精華こそ、我が女子部なりと自覚して勇んで進んでいってください。(大拍手)
7  御書こそ永遠の一書
 次に、教学のことに関して中し上げたい。女子部は教学で立ちなさいというのが、恩師戸田前会長の遺訓でありました。
 教学は、第一に目的観を開き、正しい人生観、社会観をもつために学ぶものである。
 第二に、信心の支え、実践の糧として学ぶものである。
 第三に、日々、成長し、前進するために学ぶものである。
 第四に、指導力を養い、後輩を指導するために学ぶものである。
 したがって、まさに、新時代に生きる、戦う近代女性の必須条件といっても過言でない。
 イギリスの大文学者ディズレーリは「一書の人を恐れよ」と述べておりますが、本当に偉大な思想をもった一書を深く読みきった人は、最も強いものであります。
 一書といえば、ゲーテにしても、ダンテ、ミルトンにしても、全てバイブルであったことはまぎれもない事実であります。これに対し、私どもの一書は御書である。御書を一生涯、学びゆく一書として心肝に染めていく人は、必ず成長し、発展していくことは間違いない。あくまで、御書が根本であり幹であります。あとは全部、従であり枝葉であります。したがって、未来の建設は、まず根幹の御書を学ぶことから始めていただきたい。私も御書を真剣に拝読することを始めますから、女子部幹部の皆さん方も、一緒に学び、未来に向かって、更にもう一歩成長をしていこうではありませんか。(大拍手)
8  学会に根を張り社会に乱舞
 次に、末法でただ一つの和合僧団である我が学会を大事にしていきたいということを重ねて申し上げたい。創価学会は、皆さん方全員の学会であり、日本の人々の学会である。のみならず、もはや全人類のための学会といってもいいすぎではない。
 したがって、学会を支え学会を守る人は、即、令法久住の人であり、とりもなおさず、自分自身を支え、そしてまた社会を支え、全世界を支え、守ることに通ずると自覚していただきたい。皆さん全員が、学会に深く根を張り、学会を我が心の依所、自分の家と心得て、常にここから出発して、思うがままに社会に乱舞し、生ききっていっていただきたい。(拍手)
 信心、そして学会に根を張っている人は、将来、絶対に栄えていくでありましょう。どんなに風雪があろうが霜が降ろうが、大地に深く根を張った草木は、必ず再び春の陽光を浴びて、芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせていくことは、道理なのであります。それに反し、大地に根を張らずして枯れきった草木は、時がきても再び花を咲かせることができません。
 このたびのメキシコ・オリンピックでは、聖火の最終ランナーが、二十歳の女性であった。皆さん方は、どうか、二十一世紀の開幕を告げる、平和と栄光の妙法の聖火を高く掲げて走るランナーであっていただきたい。(拍手)
 そのランナーは、人々の胸中に希望の灯を点火していく最も尊いランナーである。こういう深い使命と有意義な人生を歩んでいることを、自覚したランナーであっていただきたい。(拍手)
 最後に、皆さん方の健闘と健康を心から念じて私のあいさつといたします。(大拍手)

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