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日蓮大聖人・池田大作

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生渡、御本尊と共に 夏季講習会第一期壮年部

1965.8.3 「会長講演集」第13巻

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1  信心の極意は何か。それは三大秘法の大御本尊を、一生涯抱きしめていくことに尽きます。すなわち一生涯題目を唱え、広宣流布、学会活動に死ぬまで邁進した人が、信心の極意を会得した人なのです。
 三日間の講習会、一生成仏のための原動力とならなければ意味がありません。
 戸田先生は法華經の講義の時に「法華經の一偈でも色読するならば、全体がわかる。同じように御書の一節を色読しきれば、全体の御書がわかる」といわれておりました。
 今回選ばれた人は、二泊三日のあいだではありますが、楽しく元気いっぱいに、おおらかに講習をやっていただきたい。ただの一句一点でもよいから、それぞれの境涯と自覚に立って、ほんとうに自分のものにして帰るならば、生涯の福運と、偉大な成長の大源泉になることは間違いないと訴えたい。
 過去は過去として、因果倶時です。いろいろ感じ取ってきたことを貴重な財産にしてもらいたいと思います。
 話は長くなりますが、先日ある偉い人が本部にきました。ことしの春会ったときには、その人は健康で元気だったのです。先日、本部で会ったときには、ひじょうにやせていました。九十日間病気で、えらい苦しみをうけていたのです。
 政治だけでは、自分自身の宿命転換はできません。私は、その人は大政治家であろうが、宿命転換はできないのだなとつくづく思いました。
 本人も信心が大切であるという意味のことを、心から述懐しておりました。ほんとうにかわいそうなことです。
 大政治家が自分をどうすることもできないのです。正しい仏法による以外にありません。そのことは本人も申しておりました。それは、科学者でも、経済人でも、有名人でも同じことです。
 三大秘法の御本尊を受持し、勇んで題目をあげていくことが、全人類のなかの最高のしあわせ者であるということを、絶対の確信をもってすすんでいってください。
 日蓮大聖人は御書のなかで「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」とおおせです。日本という苦しい国のなかで、御本尊を拝むのは、総罰ですから、そのなかで苦しんでいかなければならないのです。
 どんな境涯になろうとも、自分は南無妙法蓮華経の当体なりという信心をしていくならば、今世においても、将来においても、また永遠に、最高の福運は間違いないし、子孫末代の福運も間違いありません。紛動されたり、魔に負けたりしたならば、永遠に苦しんでいきますし、退転したならばなにもなくなってしまう。
 どうかひとりももれなく、一生涯自分の信心をまっとうし、子孫末代のため、学会のため、自分自身のためにも、絶対にしあわせ者になってみせるという進軍をしてください。きょう講義のあった「生死一大事血脈抄」の骨髄もこのことなのです。
 最後にひとことお願いしたい。広宣流布の実現のためには、理事も千人、二千人、数千人が必要ですし、大幹部も十万人、二十万人とつくらねば、広宣流布の最後の総仕上げはできません。地区部長は大幹部、大幹部は理事に、全員がなっていただきたい。これは名聞名利のためでも、功名心のためでもありません。
 自分自身のため、令法久住のため、学会のため、広宣流布のために、どうかしっかりがんばって、ひとりももれなく、大幹部になっていただきたいことを、心からお願いして、私のあいさつとします。

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