Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

民衆救済の学会 第60回本部幹部会

1965.4.25 「会長講演集」第13巻

前後
1  皆さん方の尽力により、王仏冥合、広宣流布の機は熟してまいりました。王仏冥合の基盤は磐石にできあがりました。そのさなかに五月三日、会長就任満五年を私も元気いっぱいに迎えることができました。皆さん方に衷心より感謝申し上げるものであります。ありがとうございました。(拍手)
 なお、きょう出席していない同志の方々にも、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。この五月三日を期して、王仏冥合のひとつの節である参院選に対し、私ども幹部が陣頭に立って朗らかに楽しく総出動しようではありませんか。(拍手)
 話は変わりますが、明日は、皆さん方を代表しまして、恒例の日達上人猊下ご招待の、本山における園遊会に出席いたします。私どもも本山で一日お招きいただきまして園遊会をいたしますから、皆さん方も、あすはおうちで、実質的な楽しい園遊会をしていただきたいと思います。
 大聖人のおおせに「大事になりぬれば必ず大なる・さはぎが大なる幸となるなり」と申されております。これだけ創価学会が飛躍し、公明党が前進してくれば、なにやかや騒がれることもとうぜんであります。王仏冥合の総仕上げにはいった戦いです。大事の中の大事であります。その大事の時に、大なる騒ぎが、かならず起こるのが道理です。
 しかし、その大なる騒ぎがあればあるほど、大なる幸いとなる。これが妙法の原理であり、妙法を根底にした時代の推移であります。そのような大聖人の予言であるし、見通しであります。自信に満ちて戦っていただきたい。自信に満ちみちて、指揮をとっていただきたい。
 いま、いろいろと的はずれな批判が出ています。また、これからも、たくさん出てくるでしょう。御金言に照らし、ありがたいことです。仏の金言のとおりに実践をしている証拠であります。感激にたえません。しかし大聖人からみるならば、それらの二流、三流の評論家の批判、誹謗などは、ちょうど、坊やが騒いでいるようなものです。たとえば、坊やが小切手帳を見て、やれ、この小切手は使えるとか使えないとか、紙がこうだ、印刷がこうだといっているにすぎないようなものです。
 また、お嬢さんが、あの洋服が柄がいいとか、長いとか、いくらぐらいであるとか、ささやいているようなものです。
 また戦前、日本の指導者が欧米にも行かず、欧米の実態も知らず、分析もできず、独善的に自分のほうは強い、自分のほうだけは正しい、こう見て、かってに戦いを始めてしまって、あの最後の悲惨な敗戦を招く結果になってしまいました。
 それと同じ方程式で現在、創価学会に対する無認識、創価学会に対する誤った評価、公明党に対する批判が行われていると私はいいたいのであります。(拍手)彼らは学会の本質をなんら知らない。だから、こういう無責任な評論をするのです。
 われわれのいくさは、利害でも名誉でもありません、大衆福祉のためであり、民衆救済のさめのいくさであります。
 五月の三日に、また元気いっぱいにお目にかかりましょう。なお五月の三日に出席できない方々もいると思います。その方々とは、五月の幹部会の時に、またいちだんと成長して、元気いっぱいにお目にかかろうではありまんか。

1
1