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日蓮大聖人・池田大作

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強く、純粋に信心 東京第一本部地区部長会

1965.4.16 「会長講演集」第13巻

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1  一、信心だけは、強く、純粋であってほしい。なぜかならば、それがその人を最後の大勝利者にすると確信するからである。要領のいい信心、表面的な信心、火のような信心、利用信心等は、暗い情けない信心で、そういう人は一生成仏できないし、大功徳はうけられない。自分の信心が暗く、転倒しているとき、利用根性があるとき、臆病なときには、学会の本質はわからない。
 一、仏法に「六種の震動」というのは、題目をあげ、勤行したときに、その生命が最高度に活動、調和するということである。
 一、また「一身一念法界に遍し」というのは題目の功力である。この題目の功力が、瞬間のうちに全宇宙に通ずるのである。これを確信することが大事である。たとえば、テレビのスイッチを入れれば、あらゆる電波が、これにはいってきて映る。これは非情の世界の原理である。
 それと同じく、有情の世界の原理は御本尊様である。すなわち、私たちの信心、題目をあげることが、スイッチを入れることになるのである。そうすることによって、いっさいが通じ、どんな願いもかなうのである。
 一、私も、ずいぶんからだの衰弱したときもあるが、御本尊様に一生懸命題目をあげた。そして今日まで一日として休まず、弟子の立ち場で戸田先生を師匠とあおぎ、守った。戸田先生が事業で苦しんだとき、多く人たちはその世法面の姿だけを見て去っていった。そのとき私は、戸田先生が学会のにない手であり、師匠であるなら、その弟子の立ち場で全力を尽くそう、これが信心だと決めた。
 そのとき批判をしていた、関係の事業家は、いまぜんぶつぶれている。自殺した人もいる。当時の日誌に「この人はあぶない人間だ。かならず罰が出るだろう」と書いてある。最後はそういう運命をたどっている。
 一、私は学会のすべての戦いに勝った実績を積んできた。証明をしてきた。学会として初陣であった第一回の都議戦のときも、ずいぶんつらいと思ったけれども「よし、ぜんぶ御本尊様だ。自分のためになるのだ。やってみよう。そしてかならず勝ってみせよう」と指揮をとった。最高点で勝った。これによって、地方議会における戦いは因果倶時で、未来もかならず勝てると確信がある。
 次に折伏面では、戸田先生が会長になられた前後は、百世帯を突破できる支部はなかった。私は蒲田の支部幹事として指揮をとり、二百世帯を突破させた。学会の折伏が、うなりを立てて行進を始めたのはそれからである。そのときの私の信心は、戸田先生が折伏の師匠なら、その弟子にできないわけはないという確信だった。
 その次には、これも学会初めての参院選である。そのときも、一か月一支部で一万一千百十一世帯の折伏をした。だめだといわれていたが、それも勝った。これは参院選の因果倶時で、未来も勝てないわけはない。私がやっていないのは衆院選である。それも応援したいと思っている。
 一、私が実績を積んだ会長である以上、皆さんに与同利益、功徳を回向できないわけはないと確信している。私は皆さんに題目を一生懸命送っている。最善の努力をして皆さんの期待にこたえたい。
 一、私の念願は、皆さんが安心して信心できるようにしてあげたいこと。また子供さんや、お孫さんの道まで開いておきたいことである。信心、広宣流布の責任において、皆さんを思う一念だけは、だれにも負けない。皆さん方も、やるべきことだけは、やっておいてほしい。ぜんぶそれが自分の功徳になるのである。

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