Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

納得させる指導力もて 九州第一本部幹部会

1965.4.13 「会長講演集」第13巻

前後
1  たいへんにしばらくでございました。だが、元気いっばいの姿を拝見しまして、私はひじょうにうれしい。どうか、からだを大事にして、うんと長生きして、衆生所遊楽の人生を生き切っていただきたい。これが私のただひとつの願いであります。(拍手)
 私は皆さん方の会長であります。しかし、会長はひとりしかいない。たびたびお目にかかるわけにはいかない。私は、ただ御本尊様に題目を唱え、皆さん方に少しでもとどくように、いつも願っております。これで了解していただきたいと思います。(拍手)
 めんどうな話は、本日はやめます。先月、北九州の戦いが負けました。そのときに私は、おおぜいの九州の同志の人が悲しんでいるだろう、かわいそうに、そう思っておりました。本日皆さん方に、お目にかかりにきたのも、和泉総合本部長からいわれてきたのではありません。私のわうから、なかなか会えない九州の同志に、少しでも激励してあげたいと思って、自分でまいったのであります。(拍手)
 いつも私がいっておりますことは、なんでもいいから、この戦いをとおして、自分自身の確信をつかみなさい、財産をつくりなさい、信心を一歩進ませしていきなさい、自分自身の大きい成長のための法戦である、こう自覚していきなさい、このように申しております。
 私どもの戦いは、御本尊様につながった戦いです。広宣流布に、日蓮大聖人のご遺命のままに直結した活動であります。ほんとうならば選挙なんかしたくない。もっとももっと楽しく、安心しきった人生を、私も送りたい。皆さん方にも送らせたい。だが、私自身の我見では大謗法です。皆さん方を誤まらせてしまいます。
 御本尊様の、大聖人様のおおせどおりに指導するのが私の使命です。その点はひとつこ了承してください。(拍手)
 その大聖人様が、弟子を、子供を、苦しめるわけがない。私どもを苦しめる仏さまであったならば、仏ではない。そんなバカなことがあるわけはない。大聖人の大慈大悲によって、ひとつの山というか、川というか、それを渡らせてくださるがゆえに、過去遠々劫の罪業が消滅でき、生涯、永遠の福運を積んでいく因を積むことができる。つくることができるのです。これは信心純粋であるならは、明瞭にわかることであります。
 したがって、いかなる行動も、ぜんぶ自分のしあわせのためである。それが、社会の繁栄に、最高の善の行為につながっていく。こう考えてみれば、うれしいことであり、喜ばしいことです。一心の妙用によって、どうにでも自分の前途は決まってしまうものです。どうか、楽しく、ゆうゆうと、明朗快活に進んでいっていただきたい。これが私の心からのお願いであります。
 そして、非常識なことは、けっしてあってはいけません。ひとりも犠牲にさせたくない。あってはならない。さきほどから、お顔を拝見しまして、ずいぶん確信に満ちみち、歓喜に満ちみちていらっしゃるので、私もうれしい。ずいぶん九州も変わったな、明るくなったな、こう思っておりました。
 だが、一部の人々は、やはり戦いが激しいゆえか、疲れている人がいる。時間が時間だから、おなかがすいているのかもしれませんが(笑い)。髪の毛もひじょうによごれきって、くしゃくしゃである。それではいけない。もっと余裕をもってもらいたいという気持ちで見ておりました。
 たまには、いや、毎日でもいいのですが、ゆっくりおふろにはいって、髪ぐらいきれいに洗って、すがすがしい気持ちで御本尊様に題目をあげ、また指導の任にあたれば、私はどんなにか戦いやすいことだろうと思う。その反対に、髪はくしゃくしゃで、炭鉱の爆発から出てきたみたいなかっこうです、(笑い)いくら王仏冥合のためといっても、皆逃げてしまいます。
 常識的であっていただきたい。ほんとうの人間性であっていただきたい。社会性をもっていただきたい。よろしいですね。(拍手)
 いずれにせよ、選挙で当選し議員となるのは、ぜんぶ皆さん方のおかげです。目的は広宣流布のためです。それをバッジなどつけて、まるで偉くなったつもりで、へんな態度をしたり、社会党や自民党みたいな、あんな議員になったりするようなことがあったならば、だまってはおりません。それこそ、御本尊を裏切り、和合僧を裏切り、栄誉栄達のため、名聞名利のために立った、腐りきった議員です。そんな議員は、戸田先生の弟子でもなければ私の同志でもありません。これだけは、最後まで声を大にして私はいいますから、安心してください。(拍手)
 ほんとうの王仏冥合の議員を育てたい。日本の民衆のための、真実の議員というものはこういうものだという模範、先例を私はつくっておきたい。これが私の願望であります。私は、皆さん方と、生涯、広宣流布の暁まで、一体になってがんばっていく気持ちです。会長づらなんかしません。絶対に尊大ぶった生き方もしません。あくまでも皆さん方といっしょなのです。
 大聖人様の子供とし、弟子として、同じ人間として、ただ妙法を根本として、妙法に照らされて進んでいくのです。こういう気持ちで私は一貫してきてもおりますし、これからもそうしてまいりますから、手を取り合ってがんばりまょう。(拍手)
 次に申し上げたいこと、皆さん方は幹部です。幹部はさらに勉強していただきたい。とくにこういう立体的な戦いになった場合には、幹部の聡明さ、賢明さ、力いかんで、内外に与える影響がどのようにでも決定される。ということは、よく座談会しでも、幹部会でも、会合でも“王仏冥合のためにがんばろう”というが“がんばろう”ということは、もうみんなよくせかっているのです。
 また、ある場合には“一生懸命、信心根幹でやりましょう”これももうわかっている。“前進しよう”“勝利をかちとるまでやりぬこう”等々の気合というか、はったりというか、抽象論というか、観念論というか、もちろん、それは自信に満ちみちた激励であることは間違いありませんが、そけだけであってはもういけない。
 もっと具体的に話をしなくてはいけない。もっと相手を納得させる力をもって、じゅんじゅんと話すことが大事です。皆さん方が、創価学会の主義主張、信心の指導、学会の実態、本質をさらにさらに知っていただきたい。ぜんぶ知っていただきたい。他の教団や社会は、知れば知るほどボロが出てくる。うちの場合だけは、知れば知るほど感銘するし、力になるし、そしてまた感嘆するものです。
 とくに公明党の実態、活動、活躍は、公明新聞等を読んで、つぶさに知っていただきたいのです。そうすれば、外敵から、どんなに中傷されても、なんでもない。
 いくらでも破折できる。いいかえしができる。それを知らないと、どうしたって縁に粉動されだちになってしまう。知らなくてもすむような時代は過ぎております。
 自分を知り、そして敵をも知る。それで初めて、どんないくさも勝てるのです。
 自分のほうのことは、感情だけ、感覚だけ、確信のうえだけで知っている。敵の事情はあまりわからない。へたをすると、味方のほうも、敵のほうも知らない。これでは幹部とはいえません。指導者とはいえないのです。
 まず、創価学会の全体、公明党の全体を知っていく、それで相手のいろいろなようすも知っていく、そのうえにたって納得のいくように、理解せしめられるように、力ある指導者として、指導していっていただきたい。戦っていただきたい。こうお願いしたいと思います。(拍手)
 きょうから、どんな場合でも、そのような行き方をしていただきたい。その結論として“王仏冥合のためにがんばろう”“前進しようではないか”“信心根幹でいこうではないか”これは画竜点睛になります。
 次に、お願いしたいことは、友人をたくさんつくること。親戚、親類、兄弟はとうぜんのこと、近所の人、会社の友たち等々、考えてみれば、ひとりでもそうとう、しぜんのうちに親しみをもっていける、いろいろな友人ができるものです。
 学会の人は、信心強盛というか、へたしますと、なんでも会うと折伏し、信心の話をしなければならないように考える。ですから、人から偏狭に思われたり、とても付き合いにくいなどといわれて、少し長い目でみれば、いくらでもその人を入信させたり、学会の前進に対して応援をせしめることができるのに、わざわざ、遠ざけてしまう。これはへたな行き方です。
 信心をもったからといって、人間であるとことには変わりない。社会人であることには変わりはないのです。むしろ、社会のなかにはいっていく信心です。偏狭になってはいけません。また化儀の広宣流布の機が熟している時代です。
 殻の中に閉じ込もっていてはいけない。もっともっと、しぜんのうえちに、包容力をもって、友だちになっていく。それ自体が、じつをいえば、すでに深い仏縁を与えていくのです。御本尊様をたもつ、たもたないは、これはまた仏縁であるがゆえに、長い目からみればいいのです。
 その意味からも、たくさんの親しい友だちをつくっていきたいと思います。(拍手)そのほうが気が楽でしょう。たとい信心していない人でも、仏さまからみればみんな子供ではないですか。「いつわり親しむは是れ彼が怨なり」ということばがあります。だが、その人を根底的に救おうとしての付き合いでしょう、お友だちでしょう、根底は。詐り親しんでいるのではありません。救うための一段階です。
 信心をごまかして、その人を悪道に入れるために、自分に信心がなくなって、退転しての付き合いであるならば、詐り親しんだがゆえに、罰をうけます。救うためであるならばいいのです。とうぜんのことなのです。大聖人様の仏法に矛盾があるわけはございません。
 話が長くなりましたけれども、どうか元気で、いっしょに、一生涯、題目を唱え抜いて、明るく進んでまいりましょう。これだけ申し上げまして、私の激励としておきます。ご苦労さまでした。

1
1