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日蓮大聖人・池田大作

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信心とは勤行、折伏 長野本部地区部長会

1965.3.30 「会長講演集」第13巻

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1  日夜の活躍、たいへんに御苦労さまでございます。心から敬意を表しております。最初にお聞きしたいことは、信心して今日、大功徳をうけている人は手を上げてください(ハイ)。けっこうです。それさえ聞けば、創価学会の目的は達成している。すなわち日蓮大聖人様のおおせを間違いなく、りっぱに実践している証拠であります。
 いま私は皆さん方といっしょに勤行をいたしました。私は最高責任者として、せめて皆さん方のことを祈る以外にはない。この長野の地より、力ある社会の指導者が、王仏冥合の指導者がぞくぞく出ることをご祈念いたしました。
 また次に、因習の深いこの国土世間にあって、皆さん方の折伏がしやすいように、御本尊様にお願いいたしました。どうか自分自身の一生成仏のためにも、王仏冥合の実現のためにも、新しい心意気をもって、きょうからまた、元気いっぱいに進んでください。
 創価学会の根本は何か。とうぜん、それは信心であります。三大秘法の御本尊を根本として、信心しぬいて幸福になっていく、人間革命をしきっていく、同時に社会の繁栄をもたらしていく。これが「立正安国論」の根本義です。
 したがって、信心がなけば創価学会はありえない。信心とは何か。まこれは実践であるがゆえに、勤行であり、折伏することです。したがって、一生涯、まじめに信心しきっていく人が、日蓮大聖人様のまことの弟子であり、大信者であります。
 創価学会の大幹部であります。
 昨日も副理事長の方々と懇談しました。それは、なにごとにつけても、良いことを一生涯つづけるということはたいへんなことです。学問の世界でいうならば、一生涯、学問をコツコツ、毎日やりきっていく人が偉大です。また芸術家ならば芸術家として、その自分の芸術に対して、日夜、向上するために、一心不乱に芸をみがいていく。これもたいへんなことであるし、偉大なことです。
 科学者が一つのことを研究する。その研究に対して、日夜たゆまず、最後まで目的達成に向かって努力することは、人間としても偉大であるし、なかなかできないことです。それは科学者としてりっはな行為です。政治家も選挙の時だけでなくして、民衆のために、日夜働き、一生涯活躍することは偉大なことであります。
 仏道修行も同じです。仏法は、大聖人様のおおせどおりにやる以外ない。具体的にいうならば、創価学会の活動、実践以外にありえない。御本尊を受持して、生涯、りっぱに勤行し、座談会に、御書の講義に、いつも自覚をあらたにしながら、コツコツとそれをやりとおせる人は、ほんとうに偉い人です。
 同じことを繰り返していると、どうしてももっととっぴなことをやってみたくなる。みんなから認められていきたい、新しい行為をしてみたいものですり。しかし、われわれが毎日毎日ごはんを食べる。いつも同じように、食事をする。だが、それゆえに、おなががすかないで、まんとか元気で働けるし、成長していける。
 道理は皆同じです。商売も同じです。勤めも同じです。途中で会社を休んでしまったら、クビになってしまう。自分の与えられた、生活していくためのカテ、源泉、それをうるためにコツコツと働ききっていく。これも大事なことであり、とうぜんなことです。
 どうかその意味において、南無妙法蓮華経を一生涯唱え切っていく。ということは、地道であるけれれども、また、たとえ中堅幹部であったとしても、もっとも大事なことであります。それを、毎日毎日、毎年毎年繰り返して、一生涯がんばりきっていただきたい。その人は最後の栄冠をうる人であります。きょうは、これだけ申し上げたいのです。
 どんな時代がきても、どのように誹謗されても、どのような境遇に自分がはいったとしても、この根本原理である御本尊をたもちきる、学会活動を随力演説でやりきっていく。これを繰り返していただきたい。かならず十年、二十年、三十年と経た場合“やりきってよかったなあ”“実践しきってよかったなあ”こうなるに決まっております。途中で退転しないでいただきたい。
 次に申し上げたいことは、よく三流の評論家が、宗教の絶対性、すなわち排他性と政治の妥協性とは一致しないのではないか、こう批判する。宗教の“宗”の字も知らないで、仏法の“ブ”の字も知らないで、さも利口げに無認識の評価をしている。嘆かわしいことです。一歩突っ込んで聞いてみれば、なにもわからない。
 きのうの都議会のようすは、皆さんもご存知であるとおもいますが、私もよく知っている。民衆の最大幸福のためには、話し合い、妥協すべき点は妥協するのが政治の世界である。しかるに、話し合いもせず、審議を停滞させて、民主議会のルールを破壊し、国民を苦しめてきたのは、だれかといえば、それは自民党であり、社会党であり、共産党ではありませんか。
 とくに社会党や、共産党は、なんでも絶対反対で、民主議会のルールを認めていない。まったく困ったものです。そこへくると、自民、社会の橋渡しとして、全都民、そしてまた民衆のことを考えて、最大幸福を実現するための手を打っているのは公明党ではありませんか。
 わが創価学会も、王仏冥合のいめに政界に出馬して、十年の歴史を経ている。この十年間、どこで宗教の排他性のみをもって、政界で活躍しておったか。議事録をみればせんぶわかることです。ぜんぶ市民のため、都民のため、国民のために、大所高所からの政治の活動をしきっております。
 それを読まずして、見ずして、独善的に批判するということは笑止千万です。皆さん方は、一番創価学会のことも知っている。王仏冥合の理念も知っている。かつ公明党の活躍の実態も知っております。賢明に、勇敢に、それをいいきっていただきたい。
 いまの言論界も、強いほうの肩ばかれもったり、利害にとらわれたりして、新しく勃興している民衆の味方である王仏冥合の大前進に対しては、まだ本格的に取り組んでいない。どうしても、私どもがひとりひとりわからせていく以外に道はありません。それは遠いようでありますが、振り返ってみれば、深く、確実な方法である思うます。たいへんだと思いますけれども、しっかりお願いします。
 なお、私どもは第一にも第二にも、日蓮大聖人のおおせどおりの実践であります。だれからも給料をもらうわけでもない。根性曲がりに、なにやかやいわれ、無責任な指導者にバカにされたり、誹謗されたりして、今日まで戦い抜いてきました。
 しかし、もう学会は磐石のなかの大磐石であります。強い自信をもっていただきたい。強い確信をもって、これからの人生を生きていただきたい。広宣流布は仏意です。だから私どもは団結して、一日も早く広宣流布ができるように、がんばることが弟子の道です。
 もしか、われわれの時代に、王仏冥合が、仏意であるがゆえにできなかったとしても、これだけの地涌の菩薩の雲集、功徳をうけた人間革命の実証、そして確信に満ちみちた青年の出現、これを考えたとき、未来の日本の国、未来の世界が、大変革をしていくことは必然であります。
 それは大きい話になりますが、小さく、この長野県だけをみましても、いま私ども、皆さん方が戦っていることが、皆さん方の子供のために、孫のために、子孫末代のために、偉大なる活躍をさせる土台になっていくのだ、長野県を大きく繁栄させていく大原動力の第一歩のエンジンとなっているのだと、こう確信しきって、粘り強く戦っていただきたいのです。
 それを確信すればなんでもないる戸田先生も「つらくとも、嘆くな友よ明日の日に、広宣流布の楽土をぞ見ん」と、なくなる寸前に和歌を残されました。それは人間です。悪世末法です。これだけ正しいいくさをしていて、人のために尽くしておって、なんだかんだと文句をいわれ、批判されれば、やりきれないときもある。
 皆さん方も、毎日毎日の激闘ですから、つらいときも、悲しいときも、退転しそうなときもあるでしょう。それはわかります。
 しかし、生命は永遠です。どうしても今世は、りっぱに信心だけはしきらなければ損なのです。戸田先生が「つらくとも、嘆くな友よ明日の日に」と、おおせになった、その“つらくとも嘆かないで”信心は歓喜のなかの大歓喜でなくてはならない。それを、さらに呼び起こしていこうという戦いが、魔と仏の闘争です。
 「広宣流布の楽土を見ん」これは王仏冥合を意味します。しかし個人においていうならば、御書にもあるとおり「所願満足」ということです。自分自信の満足、願いがかなってということであり、また自分を中心としたもっとも身近な一族とか、家族とか、縁深き世界とか、その広宣流布を成し遂げるまで、つらくともがんばりきりなさいと、このように考えてもさしつかえないと思います。
 それ自身が大きく和になって、王仏冥合につうずるわけであります。ですから、大きい王仏冥合といういくさに対しても大事でありますが、自分を中心にした、信心根幹の広宣流布をしきっていく「所願満足」をしきっていくためにもつらいいくさはぜんぶやりきって、広宣流布をしてみせる。この決意で進んでいっていただきたいと思うのです。
 からだを大事にして、リズムある信心即生活をしていってください。やはり、交通事故だとか、病気になるとか、それは宿命的なものもあります。定業の場合もあります。しかし、つまらない寝不足だとか、それから信心のために、学会活動のために、なにも休まなくてもいいのに仕事を休んで、自分の生活を大きく苦しめるとか、そのようなことは絶対にないようにして、いただきたい。たくさんの幹部がいるのですから、チームワークをよくして進んでいけば、楽な戦いができる。またそういう時代にはいっている。いつも明るく、快調に、生き生きとして、福運を積んでいこうという信心であっていただきたいのです。しょせん長い信心が大事です。
 三年、五年で勝敗を決めるなどという、あせった信心であってはならない。先輩の人々のようすをよく見ればわかります。一生涯信心していくのだと、こう腹が決めきったうえで、行動していけば愉快なものです。力が出るものです。どうか元気でがんばってください。

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