Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

どんな願いも叶う 山梨本部地区部長会

1965.3.12 「会長講演集」第13巻

前後
1  五年目でおじゃましまして、いままでおじゃまできなかったことをおわび申し上げます。
 これだけ皆さん方がおり、総合本部長である小泉副理事長のもとに団結すれば、山梨本部は磐石てあるということを確信しました。ひじょうにうれしいし、安心しております。将来、さらに仲良く、力地浴がんばってください。
 からだを大事にしながら、ゆうゆうと・明朗快活に仏道修行しきっていただきたいと思います。
 一般に、山梨県の民族性は、なんとなく内向的であるという意味のことを申しておりますが、そんなことは絶対にありません。御本尊様をたもった場合には、だれびとたりとも自体顕照し、人間革命をなしとげ、人間としての最高の人生を生き切っていくことができるのです。
 甲斐の国です。学会員は全国で一千何百万人おりますが、そのなかでいちばん生きがいのあるのは、甲斐の国ではないですか。ですから、皆さん方は、わが国土世間が全日本で、全学会のなかで、もっとも生きがいがあるのだという心意気とモットーで進んでください。
 きょう、小山からここへくる途中、初めはひじょうに道路がよくない。途中でよくなり、また悪くなる。道路がいいほうが走りやすいし、ほこりもはいらない。なんとなく楽です。それで理事室と話したのです、座談会もそうだと。座談会が完ぺきにできておれば、勤行が完ぺきでにできていれば、コンクリートの、安定した道路を走っているようなものです。座談会が不完全、勤行が不完全の場合には、石ころだけの道と同じで、広宣流布に進めない。道理はかんたんです。ぜんぶ道理の上で仏法を説いていくのが正しいのです。
 ですから、第一番目に勤行をしっかりすることです。題目をしっかりあげることです。善きにつけ悪しにつけ、題目です。御書をぜんぶ拝読しても、法華経の経文をぜんぶ読んでも、八万法蔵をぜんぶひもといても、究極は三大秘法の御本尊に南無妙法蓮華経を唱えきりなさい。これが成仏の因である。宿命転換の源泉である、との原理に尽きるのです。
 したがって、あの人がこういった、またあの人に相談してみたらこういわれたといっても、最後は題目をあげる以外にはない。信心は自分自信のためです。一日の生活、活動の源泉、原動力であり、学会活動の根本であり、エンジン・ゼンマイに相当するものば勤行であり、題目です。これは、みんなわかっていることです。ふだんやっていることです。ですけれども、心ゆくまで御本尊と境智冥合できる勤行を、しきっていただきたいのです。夜おそくなって居眠りしながら勤行しているのでは、汚れた布でガラスをみがくと同じようなもので、なかなかみがききれない。
 朝も寝坊して飛び起きて、大急ぎで、特急みたいに勤行して、さっと行くようなことでは寂しい。落ち着いて題目をあげられるように時間をとっていただきたいし、題目をあげきり、勤行をしきっていくということを実践しきっていきなさい。
 小泉副理事長も、柏原副理事長も、辻副理事長も、牧口門下生で、二十年以上の信心です。この人たちのどこが偉大であったかというならば、空襲下であろうが、弾圧のさなかであろうが、または、学会再建の多忙のさなかであろうが、ずっと変わらず、御本尊を放さなかったことに尽きます。
 多少、勤行ができないときもあったかもしれない。いろいろ忙しい、疎開や空襲などがありましたから。だが、御本尊だけは絶対に放さない。御本尊様さえたもっていれば、御本尊に祈れば願いがかなうのです。これが信の題目になるのです。
 こんどは、朝晩の勤行をきちっとご座、三座やっていくこと、これは行の題目になるのです。これて信行の題目です。信心とは疑わないことです。無疑曰信ともいいます。疑わざるを信という。“どんなことでもかなうのだ”これが信です。この信があるがゆえに、こんどは行じなくてはいけない。これで初めて信行の題目になって、まことに勤行をしたということになるのです。ですから、きょうより、ふたたび御本尊と境智冥合しきっていく、どんな願いでも、かないきるまで、自分を人間革命していける題目、勤行をしきっていく、確立していく。これで出発していただきたいと思うのです。
 南無妙法蓮華経と唱えて、きちっと通ずるようになれば、たいしたものです。もう楽です。そこまでは先輩を見習って、十年、二十年ぐらいは、がんばらなくてはならない。必ず無上宝聚不求自得で、なんでも願いがかなてってくるのですから。
 それから、その勤行、すなわち題目がさらに力を増すためには、学会活動が必要です。折伏が必要になるのです。これが行躰即信心で、勤行自体も信心即実践になっておりますが、完ぺきな信心は、信の題目、行の題目、そして仏の使いとしての実践活動、この三拍子そろって、初めて最高の功徳くをうけられるのです。最高の大信者になるのです。闕減のない人間革命になるのです。
 ちょうど地球の公転と自転みたいなものです。自分の勤行だけの場合には自転です。太陽の回りを地球が回っている。これは公転です。学会活動している、広宣流布のために進んでいる、王仏冥合のために進んでいるという具体的な修行、これは公転になるのです。これが一致して完ぺきになるのです。立正安国論を拝せば、説かれている原理は、ぜんぶそれです。その他の御書を拝しても、有名な三大秘法を拝しても、究極はそれれになるのです。
 ですから、それだけやりきった人、やりきっていける人は、一日一日、太陽にてらされ、大地から水分を取って木が大木に育っていくみたいに成長するのです。それが皆さん方の先輩の実証なのです。姿なのです。それをやらないで、やるべき行動をしない、責任を実行しないで“功徳がない、どうも調子がよくない、病気ばかりで、御本尊に力がないみたいだ”と、御本尊様を疑ってり、学会を批判したり、
 人をうらんでいる人がある。結局は本人が悪いのです。それは皆さん方はよくわかっているでしょう。
 ぜんぶ一念です。本人なのです。“汝自身を知れ”とソクラテスがいった。汝自身、ほんとうに妙の鏡に照らされて悔いない、まじめな実践をした人が十年、二十年後に悪くなるわけがない。もしか悪くなったら御本尊様がおかしい。そんなことはありません。絶対にありません。自分です。十年、二十年、三十年と、長い強い信心をしてください。
 まじめに信心に励んで、ふりかえってみれば、願いはぜんぶかなっているものです。あせってはいけない。“ただいま臨終”の精神で一日一日の題目と実践だけはしておかないと、あとで悔いるのです。剣道でも、ピアノでも、せっかく練習し上達しても、やめてしまうと、どうしたって元へもどってしまう。少しずつ積み重ね式に力をつけていなければ、芸でも技術でも技能でも、腕が落ちてしまうのです。
 この道理はすべてに共通するものです。
 まず十年間、次は二十年間と、こう決めて、それまでは、大聖人様のおおせどおり、即創価学会の本部の指導どおりに、勇敢に、純粋に信心修行だけはしていかなければなりません。
 真剣にやりきっていけば“相”が変わってきます。冥益ですから、だんだん情勢がよくなってきます。一時的に「悪くなったな」と思うようなことがあっても、よくなるための瑞相なのですから、その確信しきればよいのです。悪くなっていくわけはないのですから、遠回りに行くかでうかという問題だけですから。それが南無妙法蓮華経です。学会につききっていく。これだけを再確認してがんばりなさい。

1
1