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日蓮大聖人・池田大作

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福運積む源泉に 女子部隊旗授与式

1965.3.3 「会長講演集」第13巻

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1  たいへんおめでとうございました。昨日の男子部の部隊旗返還授与式に臨んで、千五百部隊を記念して、一冊の、各部隊長を中心とした体験なり、決意なり、希望なり、感想なり等をとどめおいて、学会全体の青年部、男子部の興隆を図る記念事業をすることに決定しました。
 同じく女子部においても、全部隊長が千部隊突破を記念して、皆さん方の体験、その他を一冊の本にしたならば、ひじょうに有意義ではないか。こう思いますけれども、こう提案しますけれども、どうでしょうか。(拍手)
 詳細にあたっては、女子部長を中心にして、企画部員にぜんぶ委託します。お任せします。たとえていうならば、題号は「私の体験」という題号でもいいと思います。英語では“MYEXPERIENCE”そういう題号で、スマートなものにしたらどうかと思うし、ぜひ青春時代の記録を残しておきなさい。
 先日、皆さん方を代表してヨーロッパにも行ってきた。ルーブルの美術館に行ってみると、皆それは優秀な、世界的名画であることはとうぜんですが、そのなかに、作者は忘れましたが、有名な自由の女神が旗を高らかに掲げて、後ろに少年が太鼓をたたきながら、つらなって、自由と平和のために、大闘争の先端を切っているその姿が人目を引いておりました。これが、フランスの今日のいしずえであったという象徴になっている。
 しかし、かの戦いにおいては、犠牲があり、不幸があった。迹門であり爾前経です。いま皆さん方は、部隊旗を高らかに掲げ、真の王仏冥合という、永久にくずれない、自由と平和の旗がしらであり、旗であります。かんたんに考えている人もいるかもしれない。しかし、二十年、五十年、百年たったときに、どれほどの価値ある旗がしらであったか、旗であったかということは、厳然と証明されます。
 悔いのない青春時代の、また旗がしらとしての、指導者の戦いをしていただきたい。現実問題としては何百人、何千人もの後輩のめんどうをみて、指導がたいへんである。よく私は知っております。根性曲がりもいれば、勝手気ままな人もおります。だが、親でも、学校の先生でも、政治家でもなおすことができない、解決することができない、そのような人々を根本的に救っていく、これ以上の尊い仕事はないし、力ある偉業もありません。
 さまざまな難問題があると思うけれども、喜んで取っ組んでいただきたい。ぜんぶそれが自分の人間革命のためであるし福運を積んでいく源泉であることを強く確信すれば、楽しいものです。ゆうゆうと歩みながら指導はできるものです。けっして、目をつりあげたり、髪の毛をくしゃくしゃにしたり、寝不足したりしないで、若々しいピチピチとした、美しい指導者として活躍をしていただきたい。事故のないようにがんばっていただきたい。
 先日、参議院議員の方々と、あるところで食事をしました。年に一度だけ懇談的に会食をするようにしておりますもので、高級料理で、二流、三流の食堂よりも、はるかに料理がうまい。値段も高いのですが、国会議員ですから、少しぐらい高いところへ、一年にいっぺんぐらい行ったって、そっな困るわけはないと思うし、皆、会費です。(笑い)私だって払うのですから。けっしてごちそうなどしてくれません。(笑い)
 その時に、かんたんな大根一本でも、野菜一つでも、さかなのふつうの切り身であっても、これほどまでにうまく料理ができるものか、これほどまでにおいしく食べさせられるものか、こう感嘆しながら語り合った。
 これ自身が野菜の革命なのです。さかなの革命なのです。ごはんでも、ほんとうにそれはうまい。皆さん方がお嫁さんに行って作るようになれば、もっとうまいかもしれないけれども。(笑い)だけれどもちょっとむずかしいかもしれない。(笑い)
 人間も同じです。人間革命をするのです。ふつうの野菜やさかなであっても、それだけの価値を生ずる。それは料理人がうまい、指導者がうまい、力がある。だが、その料理人、指導者も、私どもを根本的に成長させ、人間革命させることはできない。大聖人様は、御本尊様は、根本的な革命をしてくださる。できるかできないかは、おのおのの信心で決まるのです。
 したがって、大聖人の仏法からみれば、だれびとたりとも、最高度に、力ある、しあわせな人生を築くことができる。これを確信していただきたい。自分は学歴がないからといって卑下する、自分は貧乏だから、自分は仕事が忙しいから、先輩みたいに信心はできないかもしれない、幸福になれないかもしれないとの考え方は、仏法を信奉する人の考え方ではありません。
 泥沼が深ければ深いほど、蓮華の花は、きれいに、大きく咲くのです。あとは自分の信心です。自信をもち、確信をもち、希望をもって生きてゆきなさい。一生涯、人生は悩みがあります。悩みがない人はいない。しかし、その悩みが、人のための悩みであれば、そしてまた、その悩みが連続しているようであるけれども、信心して水のごとく進んでいれば、当面問題の悩みは、ぜんぶ振り返ってみれば、解決しているものなのです。その悩みがこやしになって、功徳をうけ、福運を積むのです。この原理だけは絶対であります。
 ですから、きょうを出発として、まず十年間、新しい信心の門出と自覚して進んでごらんなさい。一年ごとに、どんどんどんどん、革命されていくのです。その方法としてはどうするか。かんたんです。
 朝晩の勤行をしっかりすること。学会につききること。そして、自分の職場、家庭を生き生きと乗り越えていくこと。あとは自分に与えられた責務を、信心のうえの活動を、指導を、後輩に対してりっぱに、こつこつとしていくことです。それだけでぜんぶです。あとはむずかしいことはなんにもない。それを繰り返していけばいいのです。
 そのおいしい料理屋さんの料理番だって、初めから、けっしてじょうずな料理ができたのではない。三年たち五年たち、十年たって初めて美味をつくる技を会得したのと同じです。皆さん方もまだ若い。きょうあしたで大仏法のすべてをわかるわけもない。それから、過去遠々劫の罪業があります。二年や三年の信心で、いっさいが解決するとはいえない場合もいっぱいあります。
 ですから、長く見なさい。信心をまじめにやった、強盛にやった人と、それから、ふまじめにやった人、信心しない人、誹謗した人と、どう違ってくるか、十年、二十年で見てごらんなさい。科学ですから、結論がはっきりします。皆さん方は批判力もあり、英知もあり、基準ももっているのですから、見ていきなさい。その実験者になっていけばいいのです。
 自分を実験しながら、たくさんの実験をしていきなさい。これ以上正確な、正しい判定の仕方はないわけです。大聖人の仏法は間違いない。矛盾がないのです。どうか女子部長を中心にして、団結をさらに固めて、ほんとうに楽しい、有意義な、充実感に満ちみちた女子部の時代をつくっていただきたい。皆さん方のご健闘を期待いたします。たいへんにおめでとうございました。

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