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日蓮大聖人・池田大作

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令法久住のため僧俗一体で 敦賀・若法寺落慶入仏式

1965.2.20 「会長講演集」第13巻

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1  たいへんにおめでとうございました。恐れ多くも、総本山からは日達上人猊下をお迎えすることができました。そして厳粛に、また明るいふんいきのなかで、若法寺の落慶入仏式ができました。ひじょうに私はうれしいのです。どうか、この寺院を皆さん方の信心で、またカで、団結で守りきっていただきたい。
 ご住職を大事にして、僧俗一体の模範をつくっていただきたい。自分自身の前進が幸福の源泉であり、令法久住のためであり、社会のためであり、子孫末代のためであるということを自覚して、きょうから、明るい、たくましい信心の前進をしてください。
 さきほど話がありましたが、じつをいうと、数年前に、京都から夜行で金沢方面の指導にまいりました。そのときに、北条理事長といっしょでありました。敦賀の駅に午前一時前後に到着した。そのときに相当数の人がホームにきてくださっていた。だが、私はそのときに、北条さんに頼んで「静かに、そしてひとことあいさつをして終わりにしなさい」こういったのです。
 同じ同志でありますから、ほんとうならば私がホームへ出て激励してあげたかったのです。しかし、非常識ではいけない。夜中のホームで、ほかの人はみんな夜行列車で寝ている。そこへ学会員がドヤドヤはいってきて大騒ぎすることは、かえって反価値である。このように思って、わざわざホームへ出なかった。そのことを私は、ひじょうに心苦しく思っておりました。
 きょうは、この中にそこにおられた方もいると思いますが、おわびかたがた、私の真意は、そういう意味があったということを知っていただきたいとお伝えしたかったのです。よろしくお願いします。(拍手)
2  火の信心と水の信心がある。火の信心プラス非常識であったならば、最後は法を下げ、結局は広宣流布の妨げになってしまう。水の信心は一生涯の信心であり、プラス常識的であります。
 どんなに信心をやっているように見えても、非常識であったならば、信心が強いとは、絶対にいえない。仏法は道理です。あくまでも信心即生活であり、信心即社会であります。社会生活のうえに厳然と功徳が出るのです。一年、二年で終わる信心ではない。一生涯、御本尊をだきしめて、信心をもっている同志たちを尊敬しあって、団結していくならば、成仏は間違いない。大福運は間違いない。その方程式を忘れないように、着実に進んでいっていただきたい。
 私どもは方便品を毎日読みますが、そこに舎利弗がでてきます。舎利弗といえば、世界第一の大学者という意味です。いまのいいかげんな学者や、評論家などは問題ではない。もし、いま舎利弗尊者がいるならば、ノーベル賞を百個か二百個ぐらいもらえる人でしょう(笑い)。世界じゅうに右に出る人はおりません。
 だが、その舎利弗でさえ、信の一字によって妙法を了解した。すなわち成仏することができた。いわんや私どもは凡愚です。一寸先もわからないようなほんとうに愚かな人間です。それでこの一念三千の大法門をわかるわけがない。真にこれを理解するためには、とうせん信心しかありません。
 私も二百万遍、三百万遍の題目をあげてあげて、あげぬいて、少しずつ御本尊様のお力、大聖人様の仏法の片りんがわかってきたていどであります。皆さん方も題目をあげてあげて、あげぬいて、ほんとうに御本尊様の功徳はすごい、偉大なんだ、大聖人の仏法は世界最高なのだということを、自分自身が体得していっていただきたい。このことを申し上げまして私の祝辞といたします。

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