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日蓮大聖人・池田大作

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妙法の大功徳確信 九州本部地区部長会

1965.1.16 「会長講演集」第12巻

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1  本日は地区部長さん、そして地区担さん、たいへんにおめでとうございました。
 (拍手)この一年間もたいへんであると思いますが、からだを大事にし、心豊かに題目をあげて、有意義な一年間であっていただきたいと思います。
 その功徳は、当人はとうぜん、一家族、子孫末代に伝わる功徳なりと確信しきって進んでいただきたいのです。(拍手)
 この新本部のある地、国土世間は、七百年前のかの元冦の時の防塁跡、ひじょうに不思議な因縁の国土世間と思う。いま大御本尊様を根本とした信心の道場、法城である新本部は、不幸を防ぐための防塁であっていただきたいのです。天魔を絶対に防ぎ、一家和楽の信心、そして最高にしあわせな和合僧を守りきるための防塁であっていただきたい。これが皆さん方にお願いするところであります。
 先日、少々時間がありましたので、何冊か本を買いました。いろいろ棒読み、拾い読みではありますが読んでみたのですが、みんなよいことが書いてある。なんらかの主張はしている。とくに格言集、名言集という本は、初めから終わりまでりっぱなことが書いてあるわけです。
 しかし、絶対にこのとおりにすれば成仏できる、絶対の幸福がつかめる、そして普遍妥当性がある、実証もある、と断言しきっているものは、ないように思うし、また、ありえようはずがないのである。
2  日蓮大聖人様の仏法は、三大秘法の御本尊様に題目を強盛にあげていくならば、事実の上で幸福になる。人間革命、家庭革命ができる。それは、皆さん方が体得しているとおりです。いかなる階層の人たりとも満足できる。矛盾がないものです。
 したがって、りっぱなことをいう人、りっぱな文句はたくさんあるが、絶対にこれ以上に幸福はないと命をかけて断言なされているのは、大聖人様の仏法しかない。こう私はつくづくと思いました。
 ある有名な教授が、三、四年前に信心した。大学者です。やはりその人いわく「ずいぶん東洋哲学、東洋文化を専攻したが、結局、自分は不幸だ。初めは日蓮正宗、そして創価学会のことを聞いたが、学者として、そんなにすごい宗教とは夢にも思わなかった。だが現実の自分の不幸の境涯から話を聞いてみた。道理に合っている。
 胸に感ずるものがある。それなら実践してみよう、と実践したところが、いっぺんに開けた、感じた。いままでの知識の虫であった自分が、こんどは、その知識が大きく、まるで太陽が出るごとく、朝日が輝くように、こんどは生きてきた。ありがたいことだ」といって、泣いて話をしておりました。
 この力、この事実、これが私はもっとも偉大であり、もっとも尊いことであると思います。
 ことしも、さまざまないくさもある。しかし、本部長を中心として、信心だけは強盛に、純真にやりなさい。ぜんぶ自分のためです。人をうらんだり、怨嫉したり、それはなにも自分のためにはならない。自分と御本尊様との関係です。
 いま往々にして世間では無責任時代、要領主義になっています。それでも生きていける時代はいい。しかし、十年たち二十年たった時に、その人、またはその団体が、どれだけの土台をつくり、どれだけの繁栄ができるか、大きい疑問です。
 いま私どもは、朝な夕なの成長のため、向上のため、そして民衆の幸福のため、大仏法流布のために戦っている。この努力、この苦労、とうぜん仏法の上からは冥の照覧もあり、陰徳あればかならず陽報あらわれる、因果の理法です。
 しかし、それはそれとして、世間のならわしとしてみても、これだけ努力し、建設をしている個人、また団体が、十年、二十年先は、いかなる力が発揮できるか、どれほどの繁栄があるか、これは間違いない事実だと私は思う。
 どうか、ぜんぶ御本尊様のつながった行動であるし、むだはありません。妙法を信じた上の活動であるし、けっして矛盾がないのです。そのことを確信して、私とともに、また新しい信心のいぶきをもって、若々しく進んでいっていただきたいと思いますけれども、いかがでしょうか。(拍手)
3  “本門の時代”とおたがいに銘うって進んできました。当地においては、川内理事か死んだ。本部においては理事長、そして牛田参議院議員が倒れた。信心の上からみるならば、本人の宿命の実体からみるならば、どれほど宿命転換し、どれほど大功徳をうけ、あとが守られているかは、ご存知のとおりであり、驚嘆するばかりです。
 かつて、日蓮大聖人様の時代に、熱原の三烈士がなくなりました。その時に大聖人様は、本門の大御本尊をご建立あそばされた。一閻浮提総与の大御本尊様のご建立を、それを契機にされています。
 いま日蓮正宗創価学会も、本門と名のったその自覚で進んできます。三人の理事が逝去した、いままで学会の理事はひとりも倒れていないのです。現役で倒れたのは三人です。そこにも間違いなく化儀の広宣流布の時代がきている。その時代である。もう広宣流布にはいっているのだ、間違いないのだ、この気持で進んでいただきたいと思うのです。(拍手)
 あとは皆さん方が、うんと功徳をうけてほしい。偉くなっていただきたい。力持ちになっていただきたい。これが本門の本門たるゆえんです。
 法華経本門においては、いかなる人たりとも、ぜんぶ記別を受けています。悪人たりとも、女人たとも、二乗たりとも。大御本尊様を根本にした場合には、釈尊の法華経とは本質的に違うのです。
 それはそれとして、広宣流布の機熟した今日、本門と銘うった今日、だれびとも大功徳をうけないわけがないのです。
 飛行機に乗って九州まできたのです。ジェット機に乗って七千メートル、八千メートルのぼるあいだは、どうしても気流の関係、雲の関係で揺れます。エンジンが弱ければ、その気流が突破できない。同じように信心が弱ければ、荒れ狂う怒濤りごときこの人生、社会を乗りきることはできないのです。
4  いま学会は、もうその雲は乗りきって、順調なるコースで王仏冥合実現をめざして進んでいる。個人においても、順調に信心ができる体制にはいっている。他の努力をし、苦難の道を生きてきて、成功しているような人は、じっさいその雲、気流を乗りきったことは乗りきった。だが、行く先がわからない。永遠の幸福、霊鷲山、成仏というくずれない幸福の目的には行けない。かわいそうな人です。過半数の人々は、この気流を、雲を押しきることができずして三界の火宅のみに苦しんでいる。途中まで行ったけれども引き返してしまった。または行かないで満足して一生を終わってしまっている。こういう現状であります。
 どうか強い信心、強いエンジンをかける源泉が信心であるということを銘記して、このつぎお目にかかる時には、もっと顔色もよく、そして福々しく師子王のような力ある人生になっていただきたい。
 なお、きょうお目にかかれなかった班長さん、班担さん、支部員の方々にくれぐれもよろしくお伝えになっていただきたいと思います。たいへんにご苦労さまでございました。(拍手)

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