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日蓮大聖人・池田大作

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御供養の大功徳 北海道本部入仏式

1964.12.27 「会長講演集」第12巻

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1  たいへんにおめでとうございました。また、ひじょうにお忙しい中、ご遠方のところ、北海道の衆生のために、お出ましをいただき、御導師をちょうだいしました日達上人猊下に、全北海道の学会員を代表しまして、心からお礼申し上げます。ありがとうごさいました。(拍手)
 本年は、北海道はひじょうに冷害であったと聞きました。心配もしておりました。
 心からお見舞い申し上げます。しかし、昨日は新寺院は建立され、きょうは北海道に新本部が建設され御法種脱相対上人猊下のお出ましをいただきまして、かならずや変毒為薬されて、北海道にも真実の春が、やってくると私は確信したいのであります。どうか、がんばってください。(拍手)
2  きょうで昭和三十九年度の行事は、事実上終了します。立宗七百十二年も多繁な一年でありました。この北海道の本部を最後としまして、いままでにできあがった創価学会の本部ならびに会館は、ぜんぶで百八か所になりました。私は思うのです。
 それはなぜこのように本部が建設され、会館がぞくぞく建設されたか。その原因はどこにあるか。ご存知のように創価学会はだれびとからも一銭も寄付を受けておりません。ひじょうに不思議に思って「どこから金がはいるのだ」と、わざわざ心配してくれる人もおりますが(笑い)、信心をしていない人から一銭も創価学会始まって以来、寄付を受けていない。日蓮正宗始まって以来、七百年間、わが宗門は受けておりません。
 他の人々から「創価学会は貧乏人の集まりである。貧しい人の集まりである」といわれてきたのです。
 戸田先生当時、ひじょうに学会の苦しい時に、総本山に対し奉り、金魂を打ち込んでご奉公しておられていた。そのひとつとして、奉安殿の御供養にがあった。その時に、絶対に大御本尊様のお住まいを御供養した創価学会が、将来、たくさんの会館なり、本部ができないわけけがないと確信していたのです。
 私個人にあっても、奉安殿の御供養に対するその大功徳は、無量に受けております。なんにも不自由しないほどの、功徳に浴しきった生活をしております。また現証をつかんでおります。創価学会においても、とうぜんであると確信しております。その信心、ご奉公がこれだけの本部になり、会館になったということを、皆さん方はよくよく知っていただきたいのです。
3  また、私たちは大講堂の御供養を申し上げた。その時にもまた学会には功徳がある。妙法の原理は絶対間違いない。ちょうど千歳の飛行場からこの本部にくる途中、理事長や辻副理事長がいわく「ある学者が創価学会のことを書いて、宗教の本質にきた時に、行き詰まって、少しノイローゼぎみである」と。
 それは、とうぜんのことでしょう。信心せずして第三門の法門、本因妙の大仏法がわかるわけがない。信心でしかわかるわけがない。このように話し合ったのであります。
 したがって、大講堂建設の時に、確信したことは、日蓮正宗の大信者の中から、たくさんの学者が、知識人が、有名人が出ることは間違いない。創価学会にも創価大学ができないわけが絶対ない。こう確信していたのであります。
 私が創価大学の建設を発表した。まわりの同志の人々は、ひじょうに心配した。
 どこからお金がはいるのですか。もうなにもかにも会館を造ったり、総本山に御供養申し上げたり、たいへんではありませんか。私はあまり心配しない。まじめにご奉公し、一銭もむだづかいしないできちっと信心即生活、学会を守りきっていくならば、大福運が積めないわけがない。その根底は大客殿を、大講堂を造ったことが原因となって、一生懸命に働けば、それもぜんぶ広宣流布のために働けばそれだけの結果がでてこないわけがありません。(拍手)
 また大客殿を御供養申し上げた。その時に私は、理事の人たちにもちょいちょい話しました。奉安殿のことも大講堂のことも、ぜんぶ話しておりましたが、大客殿については日蓮正宗の大信者の中から、創価学会員の中から、たくさんの偉い人が出ることは間違いないのです。その証拠に、参議院議員も衆議院議員も、知名人ずぞくぞく出ております。これがその証拠であります。未来も間違いありません。それが私の確信であります。これは学会員全体のご奉公に対する信心のあらわれを申し上げました。どうか皆さん方個人個人も、間違いなく、信心だけに純粋に、一生涯貫き通していただきたいのであります。(拍手)
4  今回、猊下より新年のおことばとして大白蓮華にはこういう一節をいただきました。それは「信心がなくなったならば、その時から地獄である」と。そのおことばをちょうだいして、そばにいた理事にすぐ私はいった。「ここが大事だ。ここが信心の真髄だ。忘れてはならない」と。いくら偉くなっても、いくら組織の上でりっぱな口をきいても、そんなことは問題ではない。電気はいつもついていれば明るい。消してしまったならば暗やみです。信心の灯を生涯つけきっていかなければ成仏できない。しあわせにはなれない。自分で自分の機械を止めてしまったらなんら活動はできない。
 また聖教新聞に、たまわったことばの一節は「成仏なくして信心はありえない」と、成仏なくして仏法はないという猊下のことばであります。信心の目的は成仏、大聖人の仏法の真髄も一切衆生を成仏させるところにある。たくさんの宗教がある。仏法がある。成仏できなかったらなんら価値がないのです。したがって皆さん方は、
 やれあの人が悪口をいった。やれ、あの人がどうもおもしろくない等々、小さいことにとらわれることなく、一生成仏の信心だ、永遠の幸福をつかむための信仰だ、自分自身の絶対の幸福をつかむための信心実践なのだと、こう決意して私とともども総本山に、日達上人猊下にご奉公し、王仏冥合実現のためにしっかりとがんばっていただきたいのであります。(拍手)
5  最後に申し上げたいことは、長い長い王仏冥合への旅路であります。信心は純粋に、また謗法に対しては強い態度で臨むことはとうぜんです。しかし、同志に会う、人々に会う、いつもいつも仕事の上、その他の人と接する場合は春風のごとくあっていただきたい。けつしてとげとげしくあってはならない。とげとげしい人は慈愛ではない、感情になってしまう。そしてまた、非常識なことは絶対にしない。法を下げるようなことは絶対にしないでいただきたい。選挙があろうが折伏が忙しかろうが、それは厳禁です。ひとりの迷惑が学会全体に迷惑をかけ、宗門に迷惑をかけ、日蓮大聖人様にご迷惑をかけることになります。ひとりの栄えること、ひとりのりっぱな行為は学会を守り、宗門を守り、日蓮大聖人様の賛嘆することにつうじます。
 どうか来年もまた、たびたびおじゃまいたします。よいお正月をお迎えになってください。きょうお見えになれなかった同志の方々には、くれぐれもよろしくお伝えいただきたいと思います。たいへんおめでとうございました。(拍手)

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