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日蓮大聖人・池田大作

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力強い民族の前進 沖縄本部地区部長会

1964.12.1 「会長講演集」第12巻

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1  たいへんにしばらくでございました。(拍手)東京にそして内地にも劣らぬ元気いっ
 ぱいの姿を拝見しまして、ひじょうにうれしい。日夜の活動に対し、心から敬意を表します。こんごも本部長を中心にして、鉄の団結をもって、沖縄の広宣流布のためと個人の人間革命のために、楽しく、仲良く、そして粘り強く前進していただきたいのであります。
 ある思想家は「偉大なる目標がない民族は死である」と叫んだことがあります。
 いま日蓮大聖人様の大生命哲学を奉持し、沖縄の王仏冥合、世界の広宣流布の達成を目標にしている民族こそ、将来偉大なる発展を遂げ、伸張していく民族であるということは間違いありません。
 沖縄の国土世間は、ひじょうに悲劇の国土世間であったわけです。しかし、いま沖縄の「黒潮の歌」を聞きましても、もっとも悲惨であり、もっとも不幸であるべき民族が「世界の民を救わんと、集うわれら沖縄健児」と、心強く歌いながら、偉大なる目標に向かって立ち上がったこの実相これほど尊い、これほど力強い民族の前進は、歴史始まって以来のことであると、私は確信するのであります。(拍手)
2  仏法の原理に本因、本果、本国土との根本三原則があります。釈迦仏法においては、本因は我本行菩薩道であります。本果は我実成仏已来、そして本国土妙は娑婆世界です。日蓮大聖人様の仏法では、大聖人様が本果、日興上人が本因、そしてまた本国土は富士大石寺であり、総じては日本の国です。いま信心の上から、この原理を生活にあてはめて考えた場合、私どもが本源的に人間革命をしきっていくということが本因です。絶対の根本的幸福を確立しきることが本果です。また本有常住、すなわち、皆さん方がいるこの国土世間、沖縄の地を繁栄させきっていける事実の世界、これが本国土になります。
 観心本尊抄には、三変土田と大聖人様が申されています。かつてイラン帝国として、イラン文化が世界的に大繁栄した国土世間であった。しかし、いまはさびれた国土世間である。ギリシャも、かつては世界最高の文明の発祥地であった。しかし、いまはさびれた国土世間であります。
 民族そして、国土世間の興亡盛衰は歴史の実相であります。沖縄も過去においては、琉球をば竜宮となぞらえて、ひじょうに繁栄をし、明るい国土世間であったこともうなずけるわけです。しかし、いまはもっともさびれた、産業も農作物も少ない国土世間であります。日蓮大聖人の三変土田の大原理からみれば、一念三千の大法理から考えた場合に、沖縄の地で、約三万世帯の人が題目を朝な夕なにあげきっている。十年先、二十年先、三十年、五十年、いな百年先に、どれほどの、また平和な繁栄しきっていく国土世間に変わるかということは、絶対に間違いないことを私は確信します。皆さん方もその確信をもっていただきたいのです。(拍手)
3  したがって、一日一日の宿命転換、福運を積んでいく仏道修行も大事であります。ともに皆さん方のお子さん、孫の時代まで、いな、子孫末代のためにも、妙法を唱えきって、この国土世間を常寂光土に変えていくのだという、忍耐強い建設をしきっていただきたいのです。これが私の心からの願いであります。(拍手)
 飛行機に乗って考えました。創価学会のことについて、やれ左翼は右翼という、右翼は、こんどは左翼という。こんなに両極端の批判はないわけです。創価学会は偏頗ではない。左翼でも右翼でもない。そんな小さなものではないのです。しいていうならば、左翼も右翼も、ぜんぶ救いきっていく、胴体のようなものです。また左翼、右翼だけではなくして、上下もはいるし、東西南北ぜんぶはいっいてるのが創価学会の実体であります。
 日蓮大聖人の仏法には国境はない。いかなる民族であっても、いかなる人であっても、ぜんぶ本源的に救いきっていける普遍妥当性をもった大原理です。これからも、いろいろと批判があるかもしれない。しかし、そんな批判に、縁に紛動されず、日蓮大聖人様の子供らしく、大聖人様の弟子らしく、まず自分を救い、家庭を革命し、社会を革命し、全世界を救っていくひとつの偉大なる自分のギアなのだ、存在なのだという、強い強い信心に立って生ききっていただきたい。(拍手)
4  自分のためにも、沖縄の国土世間のためにも、子孫のためにも、粘り強く勇敢に信心しきっていただきたいのです。
 それはもう二十年、三十年前のことですが、女中、下男を何人も使い、車を持ち、日本の国でも有数の資産家であった。そのお嬢さんが、戸田先生のご一家が勤行しているところへたまに遊びにきては、なにやかやと批判ばかりしている。その時に、奥さんが「そんなに批判すると、御本尊様を拝んでいる前でけなしていると、あなたは手も足もきかなくなりますよ」と、ひとこといったそうであります。
 そのお友だちが、時代が変わったとはいえ、奄美大島の地まで流され、不幸のどん底で、きびしいことにはリューマチで足も手もぜんぜん動かない。いまでは御本尊様は受けたようでありますが、これが因果の理法です。すぐ罰が出るのは軽いのです。
 妙法は宇宙の絶対の法則です。信じようが信じまいが、どうしようもない因果の法則です。たくさんの修行者も世の中にはいる。たくさんの哲学書も宗教の本もある。しかし御本尊様だけは、これは日蓮大聖人様のおいのちで、代々の御法主上人猊下のおしたためしかありえないのです。
 たくさんのりっぱな本があるから、読めば自分が福運をもち、宿命転換し、さらに成仏の境涯が会得できるかといえば、けっしてそうではない。本因、本果、本国土です。根本的な宿命転換、絶対の幸福、我此土安穏の国土世間を築くその力はなにによるか、三大秘法の妙法しかありえないのです。その御本尊に皆さんは巡り会っているのです。
 眼を開き、真剣に題目をあげ、御書を拝読し、尊い有意義な一生を送っていただきたいのです。この妙法をはなれて、もうどこにも幸福の根本を会得する道はないのです。絶対にありえないのです。ですから、さらにさらに題目を声高らかにあげきって、いまの何倍、何十倍、いな何億倍も幸福になっていただきたい。幸福になれるのです。(拍手)
 あとは皆さん方んが純真に、勇敢に三障四魔と戦って、信心を進ませる以外にない。自分の努力、信心しかないのです。きょう集まった人が、ひとりも退転しないことを願っています。ぜんぶ大幹部になっていただきたい。沖縄の名士になっていただきたいのです。(拍手)
5  ただ注意したいことは、幹部になったからといって、けっしてゆだんしてはいけません。増上慢になったり、権威主義になってはならない。後輩に対しては、真心こめて、誠実に指導の任にあたっていただきたいのです。自分がいるから安心してついていらっしゃい。また後輩の人も安心しきって、たよりにしてついてこられるような幹部であっていただきたいのです。
 日蓮大聖人の御書に「松野殿御返事」(1382㌻)という御書があります。皆さん方も何度もお読みになったと思います。信心すれば、かならず仏になれる。ただし、十四謗法があったならば、これは地獄に落ちる。御本尊様をたもっても地獄に落ちるとのおおせです。
 十四謗法の中で、最後の四つの謗法が私どもにあてはまるのです。信心もった人を憎む、信心もった人をバカにする、信心もった人のいうことを聞かない等々、恨善謗法、嫉善謗法、軽善謗法、増善謗法、この四つの謗法がわれわれの功徳を止めてしまう。この四つだけは、ひとつ、おたがいに心に銘じて、謗法にならないようにしていっていただきたいのです。
 どうすればいいか。その根本は題目をあげることです。また弱い自分の心にムチ打って、どんなことがあっても学会の組織につききっていくことです。また教学の勉強をすることです。そして陰でこそこそしたり、いばったりしないで、同志と会ったならば、同志を尊敬し、同じ同志として心から話し合いをしていくように、注意をしあっていくこともあるでしょうし、そのありがたさだけは、ひとつ、幹部の人は忘れないようにしていただきたいと思います。
 和気あいあいと進んでいっていただきたい。御本尊様に、皆さん方のご健闘とご健康を心からお祈りいたしました。(拍手)
 ことしもあと一か月。生活のほうも真剣に取り組んで、人生にとって最高の暮れである、またお正月が迎えられるという、ひとりひとりになっていただきたいのです。(大拍手)
6  19641209 故原島理事長に全学会員と共に御冥福を祈る
7  故原島宏治理事長の急逝にさいして、全学会員の皆さまとともに、ご冥福をお祈りするものです。
 王仏冥合実現を眼前にして死去され、さぞや残念なことと思えてなりません。
 しかし、この日、午前八時二十分、熱海会館落成入仏式へ出発しようとして玄関にて倒れたとのこと。なんとりっぱな広布途上の姿でありましょうか。
 私が昭和三十五年五月三日、会長に就任すると同時に理事長になられ、以来四年半、学会の大前進の源泉であり、要であり、重鎮であったことは衆人の知悉するところであります。
 遠くは、初代会長牧口先生の苦難の時代にも理事として活躍し、また二代会長戸田先生の時代、学会建設の時も、もっとも重要な理事として奔走し、戸田会長を守ってこられた。
 いま、若き私の時代になっても、杖とたのみ、柱とたよってきた偉大なる理事長でありました。
 この功績、この活躍、さぞや霊山に帰り、日蓮大聖人様より称賛されることは、絶対なりと信じてやみません。
 私は、故原島宏治先生のこのふるまいこそ、わが学会の模範であり、鑑として、広布の歴史にさん然と輝きわたることを確信しております。
 つねに胸奥に破邪顕正の闘魂を秘め、水の流れるごとき信心、人格はどれほど私どもに安心と勇気を与えてくれたことでしょう。また内外の人々から親しまれ、その人徳、福徳は、かならずやご一家に、わが学会に回向されることは明らかなことです。
 ご子息も成長し、奥さま、長男、二男、長女ともども、理事補となり、大幹部となって、先生と並んで、広宣流布に戦っていることは、まことに力強いかぎりです。
 なお、学会には、大幹部級の人材が、きら星のごとく雲集し、微動だもいたしません。故理事長とともに戦ってきた大幹部は、この逝去を機に、かならずや理事長の遺志をひとつひとつ実証していく決意で、すでに勇んで立ち上がっております。三世諸仏総勘文抄にいわく「上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」云云。
 この日蓮大聖人のおおせのごとく、理事長もまた一日も早く若き躍動した生命をもって、広宣流布の戦列に、はせ参じていただきたい。私どもは、かならず故理事長の願望を、りっばに達成することを、ここに堅く誓うものです。
 私が、昭和二十二年入信の時、初めて出席した大田区の座談会のことです。その時、ふたりして語ったことが、いまでも脳裏から離れません。
 「池田君、君は見どころがあるよ、妙法は絶対に間違いない。しっかりがんばって、戸田先生のりっぱな弟子となりなさいよ」と。
 また昨日は、午後「これから参議院に行ってきます」と、本部事務局に公明党委員長として元気な顔を見せました。そして参議院が終わり、こんどは夜おそく、事務局を一回りして、理事長としての責任をまっとうし、本部の御本尊様に副理事長とともに唱題して、家に帰られたと聞きます。
 ああ「巨星墜つ」の感をいだくものは、あに私ひとりでありましょうか。日本のためにも、学会のためにも、まことに惜しい人を失いました。
 兄のようだった原島先生、なにとぞ安らかに。 十二月九日

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