Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

幸せは自分で作る 第12回女子部総会

1964.11.29 「会長講演集」第12巻

前後
1  総会、まことにおめでとうございました。またこの一年間、なにやかやと、陰に陽に王仏冥合の推進をしてくださったことに対し、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 なお来年度も、さきほどの女子部長から話がありましたごとく、女子部長から示された基本方針にのって、明るく、元気に、楽しく前進されんことをお願い申しあげます。
 いままでたくさんの話があって、最後になると、なにも話ができなくなってしまうのが私の運命であります。(笑い)うまい話よりも、私は皆さん方が、この一年間、人間革命をし、功徳をうけ、幸福になったか、ならなかったかという、きびしい現実の問題を知りたいのです。
 もしかこの一年間で、幸福になり、功徳をうけ、前進した人は手を上げてください(全員手を上げる)。これだけ聞けばけっこうでございます。
 来年も、さらに福運を積んでいただきたい。幸福になっていただきたいのです。
2  私は若い会長でございますが、ずいぶん、いままでも皆さん方といっしょに戦ってまいりました。
 あとは皆さん方が各部ごとに、ぜんぶ日蓮大聖人様のおおせどおりの実践が私どもの実践であります。創価学会の目的は、りっぱにレールが敷かれてあります。各部ごとに個人個人が成長して、思うぞんぶんに有意義な人生を乱舞していっていただきたい。これが私のお願いであります。(拍手)
 さきほど柏原先生から話がありましたが、徳島のほうで会長がくるように一生懸命お願いした。こうなると、こんごは世界中でお願いされたら、私はいったいどうなるか。(笑い)新幹線にぶつかって、こっぱみじんになるみたいな私になってしまいます。皆さん方がしっかり成長して、本有の常寂光土、ぜんぶ御本尊をたもったところ、御本尊をもった人は同じであります。第一にも、第二にも、信心強盛に、幸福は自分からつくるのです。人からもらうものでも人から与えられるものでもない。との確信をもって進んでいただきたいのであります。
 私は昭和二十二年に信心しました。その時は、男子部九人ぐらい、女子部がやはり九人か十人ぐらいでありまして、その当時はこんな景気のいい会合などはなかった。(笑い)戸田先生のもとに、崇高なる大聖人のご遺命である広宣流布に私どもも真剣に戦いました。先輩もそうであります。
 当時は、なんだ創価学会は病人と貧乏人の集まりばかりではないかと軽べつされてきたものであります。しかし、病人と貧乏人を救うということは、私はもっとも偉大なる仕事であると思いますが、どうでしょうか。(拍手)
 「そんなにいい信仰なら、もっとはやるわけだ。ひろがるべきだ」と、大雑言のかぎりをつくされてまいりました。こんどは途中になると「創価学会は、ずいぶん発展してきたけれども、有名人がいないではないか」と。口には戸はしめるわけにはいかない。言論の自由ですから、なにをいおうが、いわれようがやむをえない。有名人が信心すれば、その宗教は正しいか。また有名人という基準がなにによって決定されるべきか。私は申し上げたい。あくまでも最後の最後まで、正しい大哲学、宗教、信仰によって現実に幸福になった者こそが、偉大なる人生の勝利者であり、有名人であると確信したいのであります。(拍手)
3  学会も大きくなりましたが、だが「勝ってカブトの緒をしめて」けっしてゆだんしてはなりません。
 先日、ある若い実業家と話し合いをする機会がありました。その時に、その社長いわく「会長はなにを座右銘にしているか。それはとうぜん、信心しているのだから、妙法を座右銘にしていることはわかるけれども、そのほか、生活においては何ですか」と。即座に私は答えた、「尊大ぶらないこと」と。その若い社長は、どこへ行くのにも五人、十人連れて行くのです。たいへんに尊大ぶっている。たいした大きい会社でもないのに。私はそのように答えたのです。少しは反省したかもしれませんが、私をはじめ皆さん方も、学会の大きい組織、それの威を借りたり、順調に進軍しているその調子にのって、いばったり、調子にのって、おごりたかぶることがけっしてあってはならないのです。
 第一にも第二にも勉強し、不幸な人のことを考え、誠実をもって、地道に民衆の尊敬と信頼を得つつ前進していかなければならないと思いますが、どうでしょうか。(拍手)
4  なんでもかんでも、すぐ池田先生とか会長とかいわれるのでは、私はえらい迷惑なわけなのです。いつま私は申し上げるとおりです。なぜ私を中心にしてくださっているのか。これに対しては、私は私として、また絶対に同志の方々の期待を裏切ってはならない。期待にこたえられるように真剣にやらなければならない。その気持ちでいっぱいであります。
 私が絶対であるわけでもありません。欠点だらけであります。ファッションと呼ばせ、または軍隊式と呼ばせ等々と、ぜんぶ私の不徳のいたとすころで、ひじょうに反省しております。
 だが、私は副理事長会議、そしてまた理事会、そのほか大幹部会等のほとんどの意見を聞くだけ聞いて、絶対に日蓮大聖人様のおおせに間違っていない、戸田先生の指針に間違いはない、学会人の最大多数の声に間違いはないのだと、その点だけは神経をすりへらすぐらいに考えながら、一歩一歩着実に、皆さんが喜んでいただけるよう、失敗をしないように、指揮をとっていることだけは知っていただきたいと思いますが、どうでしょうか。(拍手)
5  私からみれば、いちばんしあわせなのは皆さん方です。私は、その点ではほんとうに運の悪い男です。(笑い)どんなにほめられようが、眼中におくわけにはいかない。どんなにけなされようが、一歩もさがるわけにもいかない。ただ、全学会員が、少し世帯が多すぎるものですから。五百人や千人ならなんでもないけれども、五百万世帯といったらたいへんです。人口にしたら東京都の人口です。それで警察があるわけではないし、税務署があるわけではないし、根性曲がりが多いでしょう。また権力があるわけではないのだし、若い未熟な私が責任をもって指揮をとらなければならない。なんと私はふしあわせなのだろう、運が悪いのだろう。(笑い)
 こういつも考える場合があります。
 一度は嘆く。だが一度は喜ぶ。それはこんな糞のような身であってもおおぜいの人を指揮できる、なんとかしあわせになっていかなければならないという、責任ある立ち場に立ったことは尊い人生なのです。だれがほめなくても、日蓮大聖人様がほめてくださる。三世十方の仏菩薩が照覧してくださるとの自覚に立った場合には、これ以上栄光なる人生はないと確信しております。(拍手)なんのへだたりもなく、信心根本に、大聖人様のおおせどおりに、日蓮大聖人様が師匠であり、親であり、主人であります。仲良く、楽しく、あせらず、来年もまたがんばってまいりましょう。(大拍手)

1
1