Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一切の源泉は題目 指導会

1964.11.4 「会長講演集」第12巻

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1  皆さん方が学会本部を中心にして、いちばん遠い国土世間で、法戦場で戦っていることに対しては、かわいそうな気がします。本部へくるのもたいへん、総本山へくるのもたいへん、また、学会全体の基盤からみても、四国はいちばん手が行き届いていない、完備されきっていない。産業その他の面からみても、いちばん後進性の国土世間といわれても、やむをえない中で戦っているわけです。
 しかし日蓮大聖人様は、もっと苦しい、もっとたいへんな人、また、苦しい立ち場で戦っている信者、その人にいちばん大功徳、大慈悲をくださることは、経文の上で、御書の上で明確であります。(拍手)
 したがって、皆さん方が遠いからとたいへんだといって、寂しい、苦しい、すさんだ気持ちで信心をしていては、けっしてなりません。むしろ御書に照らし、自分こそいちばん遠い戦野で、苦しい戦いの分野で戦っているのだ、最高に功徳をうけることができる。日蓮大聖人様はぜんぶお見通しであるとの希望に燃えた、確信に満ちみちた地涌の菩薩であっていただきたい。創価学会の大幹部であっていただきたいのです。(拍手)
 いま、飛行場からここまで約二十分、ひじょうに寂しい町です。折伏するところがほとんどない。私は皆さん方に折伏ができなくてもいい。数多く学会員がふえなくてもいい。ただ信行学に励んで、いままで信心をたもってきた同志をひとり残らず大幹部にしていただきたい。これをお願いしたいのです。
 いま徳島にも何万世帯の人がいると思いますが、現在ここにいる同志を全員大幹部にすればいっさいがことたります。なんらあわてることはありません。その決心で、まず自分自身との戦いをし、指導においても戦い、事業においても、商売においても真剣に戦って、自分自身が大勝利者になっていただきたい。(拍手)
 依正不二、本末究竟等で、同じ題目を唱えている同志が、全部大勝利者になれないわけがありません。その自分が大原動力であるとの強い強い信心をもって、きょうから進んでいただきたいのです。
2  本年はひじょうに有意義な年です。戸田先生の七回忌を終え、「本門の時代」とおたがいに励んで、名実ともに王仏冥合の本格的な第一歩の前進の年となりました。
 公明党の結成の目前であります。公明会館も先日、無事に、盛大に落成式を挙行することができました。
 この有意義な将来にとって、また、創価学会にとって、公明党にとって、日本の前進にとって、宗門史上にとって大事な第一年目として、十年先をめざして戦っていただきたいのであります。
 皆さん方は皆若いです。きょう集まった方々が、それは役目もそれぞれ違う場合もありますが、市議会議員に、県議会議員に、参議院議員に、そしてまた、衆議院議員に、ぜんぶ十年目のこれだけ大成長して、人間革命しきって、小さくは四国の、大きくは日本の、そしてまた、全世界の偉大なる人材として勢ぞろいをしていただきたい。これをきょうは約束したいと思いますけれども、どうでしょうか。(拍手)
 それまでは、どんな苦しいことがあっても歯をくいしばって戦っていただきたい。商売においても、折伏のおいても、指導においても、まじめに、真剣に、責任をもって進んでいただきたい。四国には関西からは中尾さん、また鳥養さんを派遣しております。東京からは、若き青年部として戸田会長より薫陶をうけてきた山本君、中村君を派遣しております。いまが四国にとって大事な時であります。来年こそは功徳の年にしたい。本部としても、あらゆる方面から手を打ってあげたい。皆さん方も相応して四国の春を建設していただきたい。(拍手)その源泉はなんといっても、きょう集まった皆さん方です。
 大阪の空港にきて、何機かの飛行機が着陸をし、そしてまた飛び立って行く。飛行場といっても飛行機が滑走するところは指定されたところであります。芝生の上にいくら飛行機がはいろうとしてもそれは危険です。また、遠くに山が見える。この山の頂上に行くとしても、どこからでも山へ行けない。やはり山へ登る道があります。その道にしたがって行くならば安全に頂上に行ける。海を見、海水浴をとしようと思っても、どこでも海水浴ができるものではない。やはり海水浴に適したところ、深いところでかってに泳いでしまえば危険です。
 創価学会も、信心の世界も、道理は同じです。どうすれば正しい信心をしていくことができるか、功徳をうけることができるか、成長することができるか。それは日蓮大聖人様のおおせどおりに、すなおにそして勇敢に実践していくことにつきます。
 その人が最後の大勝利者になるのです。大功徳をうけられるのです。大幹部になって信心即生活のの問題も大聖人様のおおせどおり、創価学会の根本義をそのまま実践して、よくならないわけがない。なっていない大幹部の人もたまにはおりますが、やはりそれは我見、権威、利用、おんしつ等と、なにかはずれた根本原因があります。それは御本尊様はお見通しです。自分自身が知っていることであります。
 第三者の人ではちょっとわからない場合がありますが。
3  仏法はきびしい。きびしいがゆえに、まじめであれば証拠ははっきり出ます。峻厳であるがゆえに、ふまじめな人は、ごまかしの人は結果がでます。文証、理証、現証にしかず。仏法は現証が根本になります。
 したがって大幹部になったからといって、けっして信心をおろそかにしてはならない。ますます御書のとおり、そしてまた、戸田先生の指導、本部の指導をまっすぐにうけきって、ひとつひとつ証拠を示していっていただきたい。それが後輩に対する、ひとつの折伏の姿であります。
 創価学会を大事にしている人は、とうぜん御本尊様を大事にしていることにつうずる。御本尊様を大事にしている人は、やはり和合僧である創価学会を大事にしている。自分のものと考え、大事にしている。悪い幹部は、それから、信心のない幹部は、創価学会を足場にして利用し、自分の名聞名利、尊大ぶり、権威をもつためにしております。そういう人は、やはり落ちていく。
 したがって、本部は遠くにあるのだ、創価学会は遠くにあるのだ、上から指示があれば動けばいいのだ等との考え方は創価学会の行き方ではありません。ぜんぶ御本尊様のもとに平等です。日蓮大聖人様の弟子として、子供として目的に向かって進みきっていく、その異体同心が創価学会のありかたです。真実の民主主義の決定版です。その点をよくわきまえて、ひとりも落ちないように着実なる信心の前進をしいただきたい。(拍手)
4  また、私どもは、なにが根本か、しょせんは題目をあげきっていくことにつきるのです。ある人いわく「題目は量が大事か、質が大事か」量も質も大事なのです。
 御書を読むことも大事、折伏することも大事、生活も、もっと大事、いっさい大事であります。ゆだんはできません。なまやさしい社会ではありません。社会を甘く考えてはけっしていけない。そのいっさいの源泉になるのが題目になるのです。
 したがって戸田先生であっても、なにもしないで、あの偉大なる境涯を会得したのではないのです。法のために牢獄へ行かれて、あの苦しい戦時中の牢獄の中で百万遍、二百万遍の題目をあげきって境涯を得ております。また、牧口先生、戸田先生の側近におられた理事長をはじめ大幹部も、皆さん方の先輩も、皆さん方以上に活躍しております。苦労もしております。
 だが、その源泉に百万遍、二百万遍の題目を唱えきった人たちであります。題目を唱えきらないで、要領よくしていると、われわれは凡夫ですから、どうしてもだまされる場合がある。教学ができる、頭がいい、また、ひじょうに一時的には真剣であった、とんとん拍子に大幹部になったり、市議会議員なりになってきた人もおりますが、長くみますと、その人は行き詰まっている。ボロがでてくる。メッキのような場合がある。そうであってはけっしてなりません。
 皆さん方も、きょうをまた契機として、喜びにも題目、悲しみにも題目、戦いにも題目、いっさいの人生の活動の源泉は題目を唱えて唱えて唱えきっていくのだ。
 これが日蓮大聖人様の仏法の真髄であります。それが実践です。どんなことがあっても題目だけは、唱えて唱えて唱えきっていく。それだけを忘れないでいただきたいのです。(拍手)
5  学者は学問を研究しきっていくのが学者の使命です。いまの学者は、昔のようにりっぱな学者が少なくなって、利害がひじょうにさとい。数えあげれば、きりがないし、嘆かわしいかぎりです。
 ほんとうにりっぱな学者であるならば、やはりその道における研究態度に対して、だれびとも尊敬するし、また知らない仏法に対しても、まじめに、真剣に認識しようとする態度があるわけです。また、おすもうさんは、真剣に強い力士になる。
 横綱になろうと努力していくことがとうぜんであります。それが遊んでばかりいたり、マージャンばかりやってしまったら、これはまずいです。力をつけていこう、うんとけいこをしていこう、それが真髄にならなくてはなりません。
 小説家は小説家として、表現を最高度に発揮して、美の価値を与えよう。社会の事業を民衆に訴えていこう等との使命があります。宗教家は俗にいうことばでいえば、衆生済度です。だがエロチックな小説ばかり書いて、人気者のつもりで金をもうけている。すべてその本髄、使命を忘れているのです。まあ、いっさいのことが大同小異で本末究竟の世の中であり、顛倒の世の中でありますから、あたりまえのように考えている。
 私どもの使命は、あくまでも王仏冥合の表現、信心、そしてまた実践の源泉は題目をあげきっていくこと、これに尽きると思います。皆さん方のご健闘と成長とを心から御本尊様にご祈念しておきました。しっかりがんばってください。かんたんですけれども、以上をもって私のあいさつといたします。(大拍手)

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