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栄光ある力走を 特別指導会

1964.10.2 「会長講演集」第12巻

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1  特別指導会、修了おめでとう。きょうは全世界注目のオリンピックも終了いたしました。大過なく終わったことを国民のひとりとして私も喜んでおります。一兆何億円の費用をかけたようであります。いま皆さん方の第三期の特別指導はまことに地味である。しかし、オリンピック以上の有意義な修了式であると確信します。
 オリンピックでさまざまな世界記録をたて、または日本新記録をたてた。勝った人、負けた人、さまざまであります。しかし、ほんとうに勝った人も負けた人も、恒久的な真実の幸福と平和を与えきったかといえば、これはまだまだ問題があります。私どもの戦いは、勉強は、訓練は、個人の幸福、社会の繁栄、令法久住、そしてまた絶対の世界平和への一歩一歩の走者であります。勝負であります。
 その意味において、私どものこの団結、この活躍、これは世界最高の永遠の王仏冥合のチャンピオンとして栄光ある力走をしているということを忘れてはならない。人が見ていようが、見てなくとも、諸天善神が見ております。三世十方の仏・菩薩はぜんぶ私どもの競争を見ております。ひとりの犠牲者もなく全員が幸福になり、そしてまた有意義に楽しく走っている宇宙のオリンピックのようなものであります。全員参加の、もれなく幸福になっていく戦いであります。
 この修了を契機に、いちだんと大幹部として、強い信心と、後輩に対する確信ある指導力を身につけて進んでいただきたいのであります。(拍手)
2  きのうは、女子部の幹部といっしょに日紡のバレーチームとソ連のバレーチームの決勝戦をテレビといってもひさしぶりに見まして目が痛くなってしまいました。
 見事なる日本バレーチームの勝利でありました。見ていて、だれが見ていても感ずることは日本のバレーチームの勝利の大前提は、徹底した訓練があったということです。そして“絶対勝つ”という確信に燃えている。躍動している。ひじょうにまたチームワークがいい。団結しております。また、どんな球であっても拾いあげてみせるというあの執念、その戦い、そしてまた、そこから出た攻撃精神、私はなかなか見事なる軍勢であるなと感心いたしました。
 それに対してソ連のバレーチームのほうはひとりひとりは強い。一対一の関係からみるならば、その実力はソ連の選手のほうがあるかとも思える。しかし団結がない。またなんとなく気勢があがらない。攻撃精神がない。“勝ってみせる”というその執念、これがない。したがって、ひとりひとりは有名人である、大選手であるとの鼻は高くもっているけれども、六人のチームワークに対する団結心、すなわち異体同心の心の訓練がない。したがって負けてしまった。
 なにごとについてもそうであると思います。私どもの強いのは御本尊様を根幹とした団結があるがゆえにこれだけの大法戦をし、大闘争をし、いっさいを勝ち抜いてきております。地区においても、支部においても、また本部においても、その団結だけは忘れてはならない。その中心者に皆さん方がなっていただきたい。(拍手)
3  また、さきほどある評論家の人がみえまして、いろいろと話をしていきました。
 その中で私は「確信」というものは、ほんとうに強いものだと、百の理論よりも一つの確信にはしかず。ちょうど東海道方面で、ある会合があった。百人前後の会合といっておりました。その中で地区部長に、ある人が「もし小選挙区制になったらどうしますか。われわれはどうしたらよいのですか」と質問していたという。
 その評論家もその会合に出ていたわけです。地区部長はなんにも答えられなかった。または答えなかったのか。その時に、ある女子部の区長が立ち上がって「小選挙区制がしかれるようなことがもしかあったならば、私どもは本部の指示を待とうではないか。かならず本部の指示かあるであろう。その時は国会前で会長が“死ね”といえば死にましょう。“生きろ”といえば生きましょう。どんな戦いでもその指示を待とうではありませんか。それまでは一生懸命、信心に励めばいいではありませんか」という意味のことをいったそうです。「かならずその時、時に応じて指導があるではないか。そんな心配する必要はない」と立ち上がっていったそうです。その時に百人の人は水を打ったように「ああそうだ」と、いっぺんでわかったそうです。その評論家もひじょうに胸にくるものがあったと、なるほど学会は強いものだと感嘆した。このような意味のことをいっておりました。(拍手)
 皆さん方もいくら御書を知り、りっぱな口をきき、なんでも観念的には知ってきても、大事な時に後輩に確信を与え、同志に偉大なる力を与えることができなかったならば、なんにもなりません。強いものは確信です。大事なものは確信です。確信は信心です。
 その確信ある幹部とし、大幹部として、ゆうゆうと一生成仏のために、そしてまた広宣流布のために、私とともに前進していただきたいのであります。このことを心から念願いたしまして私の話とさせていただきます。

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