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日蓮大聖人・池田大作

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将の将たる自覚持ち 幹部任命式・学会本部

1964.9.27 「会長講演集」第12巻

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1  きょうからは、将の将として何千人、何万人、いな何十万人の後輩の人々を指導する重大なる立ち場にはいります。どうか、いままで戦ってきたその信心に、その上に、さらに、さらに、成長を成し遂げていただいて、りっぱな創価学会の大幹部として一生ゆうゆうと暮らしていただきたい。
 とくに十年、いな十五年と、ともどもに戦ってきた同志の人が大幹部の面接にまいり、大幹部になったことをみますと、ひじょうにうれしい思いです。安心します。また、同じ大幹部になった人でも、わりあいまだ知らない人も多い。その人が心配であるとはいいませんが、あまりおたがいに知り合わないと大幹部といわれがちの人も、これから三年、五年、十年となんでも語り、苦楽をともにしていける兄弟として、同志として深く結びあって進んでいっていただきたい。
 創価学会は団結が強い。ある信心をしている有名な人が、先日「創価学会の団結は世界一だ」といっておりました。おせじも半分はあるかもしれないけれども、自分の会社、自分がみている世界をみて、あまりにも強い深い団結に驚嘆していたことは事実だと感じます。
2  どうして強いか、とうぜんそれは大御本尊様を根本とした異体同心の前進をしているから、すなわち、おのおのが名聞名利に走っていない。勘定高い気持ちで信心をしていない、一生成仏はもちろんのこと、不幸の人を救おう、日本の国をよくしていこう、日蓮大聖人様の仏法を令法久住していこう、王仏冥合の実現を大聖人様の弟子として達成していこう、との崇高なる信心の戦いであるがゆえに、団結が強い。他の世界は、ぜんぶやきもちと、人を押しのけても自分が偉くなろう、出世をしようという打算であり、偏狭なものであり、名聞名利であることは絶対です。これは私がいわなくとも、皆さん方がよくご存知のとおりです。
 広宣流布の暁まで、王仏冥合の実現まで、そしてまた、子孫末代の繁栄しきるまで、私どもは御本尊を根本として、私ども大幹部が一致協力して、ますます大発展をさせていこうではありませんか。(拍手)
3  将の将は、これは、とくに信心強盛にして、自信をもって後輩の人々の指導をしていただきたい。自信、確信がない将はおりません。指導者はおりません。その根幹は何か。つねに申し上げるとおり、題目であります。そしてまた、本部の指導、指示をどうかまっすぐ受け継いで、皆さん方が即創価学会であるという自覚をもって進んでいただきたい。指揮をとってしただきたい。(拍手)
 また、将はさまざまな人の意見を公平に聞いてあげていただきたい。自分におせじをつかってくる者だけを重視し、正論ではあるけれども、なんとなく自分は気にくわないから、その意見をきかないというような、偏ぱな、偏狭な将であってはけっしてならない。ものわかりのいい将になっていただきたい。
 なにを聞いても、なにを質問しても、いつでも安心してついていける、いつでもなんでも聞いてもらえる、自信をもてる、勇気が出てくる、それを与えきれる将であっていただきたい。
 また、将は責任をもっていただきたい。何千、何万、何十万の尊い命をあずかっているのですから。リーダーのいかんによって、その後輩の信心を狂わせてしまうかもしれない。退転させてしまうかもしれない。いかなる責任よりも、さらに深く大事な責任をもっているという自覚を忘れてはならない。
 また、崇高なる、もっとも尊い責任ある指導者であるという襟度ももっていただきたい。いかなる世界の指導者よりも本源的に人々を救いきっていく、命を救いきっていく指導者であるとの決意を失わないで、指導の任にあたっていただきたい。
4  具体的に申し上げれば、一つ一つの学会活動、支部の活動等をまじめに、誠実に尽くしていただきたい。完遂していただきたい。それに、いっさい含まれていることになります。
 余談になりますが、先日、民社党の中央委員会で、創価学会のあの規律、創価学会のあの忠誠心が、わが党にあるならば、できるならば、わが民社党は政権をとることは間違いないという話をしたそうであります。けっして創価学会には、変な規律はない。強制もしておりません。信心の上からおのずからできあがった異体同心の主体性であります。
 また与えていうならば、りっぱな規律であります。だが、その規律も自由奔放です。あくまでも創価学会はなんら束縛していない。信心の団体でありますから、信心のことにおいては、正しい指導はしていく。純粋なる指導をしていく。その他のことについては、いっさい自由です。これが創価学会でありますけれども、皆さん方の体験の上からそう思いませんか。思うでしょう。(拍手)
 忠誠心といっても、なにに忠誠を尽くすか。民社党の中央委員会でいうことは、これは党に対する忠誠だと、それはいちおう正しい。その世界における価値観からいってもぜんぶそうでしょう。
 創価学会の場合には御本尊様を守りきっていく、そして、日蓮大聖人の弟子として、ご遺命を達成していくという意味の忠誠心は、それはそういうことばで表現すればそうであります。ただし、いっさい、自分自身の幸福のためです。一家の幸福のためということに帰着します。古い封建的な忠誠心即犠牲心とは根本的に違います。それは皆さん方もそう思うでしょう。おわかりですね。(拍手)
5  それはそれとして、ひじょうに創価学会のことを、虚心坦懐に模範したことはけっこうなことです。ただし、その本質を知らなくてはならない。創価学会のような団結、規律、そして忠誠心があれば、民社党は政権がとれるというならば、では、その本家本元の創価学会が王仏冥合を達成できないわけは断じてない、という証拠にはなりませんか。(拍手)
 まねても政権はとれる。それ自体の団体が、政権をとるという表現を私はさしひかえておりますけれども、王仏冥合の実現ができないわけはないという大前提であり、大瑞相である。このように物事に見ていかなくてはならないのです。(拍手)
 また余談になりますが、かわいそうなことに、いま行くえ不明になっておりますが、辻政信という参議院議員がおります。その親類のある大きい会社の社長さんが、先日本部にみえて述懐しておりました。それは、辻政信さんが参院選に立つときに日本じゅう演説した。かってきままに、なんでもいう立ち場ですから、あっちに行ってはこういい、こっちら行って演説し、それて票をかっさらっていった。民社党の会合のところでも、社会党の会合のところでも、自民党の会合のところでも、どこへ行っても、かならず、何人かは振り返って票はとれた。かならず縁に紛動されて、精神的に、みんなひっかかっていた。
 だけれども、九州かどこかで創価学会の大きい会合があって、そのわきのほうでマイクを使って票をとろうと思って演説をした。だれひとり振り返ってくれなかったと。これにはつくづく情けなくなったと選挙が終わって、そういうことをいっていたそうであります。(笑い)
 それほど創価学会の団結、創価学会の異体同心のつながりは強いということはなにを意味するか。それは絶対に御本尊様に力があるということです。口は重宝なもので、評論家でもなんでも、いくらだってうまいことはいいます。いくら信心をしている世界だからといって、何人かの人は縁に紛動されて口のうまい人にひっかかるのもとうぜんです。だが、そういうことをなくしたということは、御本尊様に絶対の力がある、罰、利益が厳然としてあるという証拠です。(拍手)
6  人々の口なんていうものは重宝なもので、信用できない。ただ御本尊様の力、日蓮大聖人様の師子吼だけは、絶対に間違いないという証拠なのです。そこを知らなければ、いくら学会をつぶそうとして、うまいことをいって攪乱しようと思ってもむだである。大事なことは信心であります。
 これからますます多角戦になってまいります。応用作戦も始まります。現に創価学会が日本第一であるということは間違いない。世界的であるということは間違いない。しかし、事実の上で、皆さん方が、もっと身近に、もっと深く感ずる時代はこれからであります。
 どんな偉くなっても、どんな時代にはいっても、信心だけは強盛に、失わないで、日蓮大聖人様の御金言だけは踏みはずさないで、最後の最後まで、よく大聖人の仏弟子として信心をまっとうした、創価学会の大幹部として一生をまっとうしたと、三世十方の諸仏からいわれるような戦いをしていっていただきたい。そのことを最後にお願い申し上げまして、私の話とさせていただきます。ご健闘をお祈りいたします。(大拍手)

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