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日蓮大聖人・池田大作

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次の目標は三千! 熊本会館入仏式

1964.9.12 「会長講演集」第11巻

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1  たいへんおめでとうございました。(拍手)
 また、きょうの会合に出席できなかった同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝え願いたいと思います。
 日蓮大聖人様は六人の弟子をひっさげて、法体の広宣流布を成し遂げられました。御本仏でいらっしゃるから、おひとりでいっさい戦いをなしきられることは「師子王はひとりゆく、伴侶を求めず」です。とうぜんでございます。
 しかし、形態のうえからは、六人の高僧を定められました。釈迦は十人の弟子をもって、かのインドの広宣流布を成し遂げております。天台大師は一山の大衆三千といい、すなわち、三千の弟子をもって、あの中国の法華経の広宣流布を遂行しました。
 また、日本の国では、伝教大師が、やはり一山の大衆三千、三千の弟子をもって、かの迹門の法華経を広宣流布したのです。いま大御本尊の力、そしてまた、時のしからしむるところによって、わが創価学会は、六千名の大幹部となりました。
 この六千名の地涌の菩薩が、団結しきって、成長しきって、前進を重ねていくならば、かならずや化儀の広宣流布の達成は間違いないと、私は断言するのであります。(拍手)
 あとは、くどいようでありますが、幹部の成長に尽きます。惰性に流れず、見識ある幹部、信心純粋なる幹部、力ある幹部、そして、思いやり深い幹部、また、ものわかりのよい幹部になっていただきたい。内外ともに、りっぱな幹部だな、ほんとうにりっぱな人だな、なんでも話ができる、相談できるという、学会の幹部の人々でなければ、その目標は達成できません。
 聖教新聞は、このほど、ちょうど一千号になりました。また、そのことを中心として、意味ありげに申し上げるわけではございませんが、先日の男子部の幹部会で、男子の部隊は千部隊を突破いたしました。同じく女子部の幹部会においても、千部隊を突破いたしました。
 現在の学会の支部の数も、約千支部であります。そして、公政連の議員、すなわち学会推薦の議員も約千名であります。そしてまた、御僧侶も、所化小僧さんをいれるならば、御法主上人猊下のもと約千名になりました。十界互具、百界千如、その次に、国土世間、衆生世間あらわれて、一念三千の法理が確立されるわけであります。
 学会員の数も約一千万人、そのように“千”という字がそろいました。そうなると、今度は、皆さん方も一千万円ぐらい貯金ができていいわけですが、どうでしょうか。(拍手)それはそれとして、次の目標として、部隊も男女ともに三千部隊。
 支部も三千支部、御僧侶も三千名、御法主上人猊下のもと、一山の大衆三千になっていただきたいと願うものであります。それを目標にして、力強い前進を開始していこうではありませんか。(拍手)
2  それで、皆さん方も、三千万円ぐらいの家へはいれる。または、三千万円ぐらいはいつでも使える金は持てるという生活闘争、福運を積んでいただきたい。いつお会いしてもポケットの中には、五十万円や百万円はある、そうなっていただきたい。(拍手)
 奥さん方もいい洋服を着て、髪の毛はいつもきれいに、目もパッチリと、すがすがしい目つきになっていただきたい。いつもなんとなく不景気な顔や目つきではなくして、品のある、どこから見ても、福々しいな、一家も明るいなといわれる実相をつくりあげていただきたい。
 幹部がそうならなければ、仏法はウソです。「仏法は勝負」(四条金吾殿御返事1165㌻)です。証拠です。いくら幹部だからといっても、信心がなければ、幹部づらして、背伸びして、真実の信心修行がなければ、利益はありません。功徳は出ません。「三千羅列としてきびしき身なり」絶対、因果の理法はきびしいのです。
 幹部になり、不幸な人々を多くめんどうみて、信心強盛にすすんでいるのですから、それだけの功徳が実相のうえにあらわれないわけがありません。もし、あらわれなかったならば、御本尊様はウソです。そんなバカなことはありません。
 やはり、功徳のあらわれていない人はは怨嫉をしているか、要領がよいか、ウソつきか、またはヤキモチやきか、または、なにもやっていないか、カラまわりか、それはご自身方のなかで反省してみれば、おたがいにわかることであります。
3  どうか、ひとりものこらず、大勢の後輩が、皆さん方の姿を見ております。その責任を感じて、これだけは自分は証拠を示したいという、ひとりひとりになってい会いしてもポケットの中には、五十万円や百万円はある、そうなっていただきたい。(拍手)
 奥さん方もいい洋服を着て、髪の毛はいつもきれいに、目もパッチリと、すがすがしい目つきになっていただきたい。いつもなんとなく不景気な顔や目つきではなくして、品のある、どこから見ても、福々しいな、一家も明るいなといわれる実相をつくりあげていただきたい。
 幹部がそうならなければ、仏法はウソです。「仏法は勝負」(四条金吾殿御返事1165㌻)です。証拠です。いくら幹部だからといっても、信心がなければ、幹部づらして、背伸びして、真実の信心修行がなければ、利益はありません。功徳は出ません。「三千羅列としてきびしき身なり」絶対、因果の理法はきびしいのです。
 幹部になり、不幸な人々を多くめんどうみて、信心強盛にすすんでいるのですから、それだけの功徳が実相のうえにあらわれないわけがありません。もし、あらわれなかったならば、御本尊様はウソです。そんなバカなことはありません。
 やはり、功徳のあらわれていない人はは怨嫉をしているか、要領がよいか、ウソつきか、またはヤキモチやきか、または、なにもやっていないか、カラまわりか、それはご自身方のなかで反省してみれば、おたがいにわかることであります。
 どうか、ひとりものこらず、大勢の後輩が、皆さん方の姿を見ております。その責任を感じて、これだけは自分は証拠を示したいという、ひとりひとりになっていただきたいとお願いします。
4  それで、あとは長い長い戦いであります。どうか、背伸びすることなく、自分らしく、ぜんぶ御本尊様が見通しなんですから、ゆうゆうと、自信に満ちみちて、一日一日と前進していただきたい。
 「だれかに、しかられるといけないからこうやろう」「だれかに認められるために、自分はこうやろう」などという小さい考えや、卑しい考えはもってはなりません。自分らしく、そして大聖人様の大信者らしく、学会の大幹部らしく、まっすぐに、力強く戦っていただきたい。指導の任にあたっていただきたい。それが私の皆さん方に対するお願いであります。
 では、お元気で、以上をもって祝辞といたします。

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