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力強く「本門の人生」を 水戸会館入仏式

1964.9.3 「会長講演集」第11巻

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1  たいへんにおめでとうごさいました。また、水戸の同志がひじょうに元気で私はうれしい思いでいっぱいであります。きょうのこの元気な姿を生涯もちつづけて、後輩の人々をしっかり指導しきっていただきたいのです。
 去年の選挙は県会ではただひとり、宮寺君が落ちてしまった。かわいそうなことをしてしまった。なんとかいっぺん激励にきたかった。なかなかこられませんもので、きょうはそのぶんもと思って、じつは勇んできたわけであります。こられなかった理由については、ひとつご了承願いたいと思います。
 今度は水戸会館ができました。この次の戦いに堂々と弔い合戦をして、この水戸の人々をアッといわせていただきたいと思います。(拍手)
2  この二、三年間、十二月三十一日、すなわち大みそかに、いっさい仕事を終わりまして、副理事長や、何人かの理事、それから職員といっしょに、かならずといっていいくらいに映画を見に行きます。ふだんの日は行けませんから、ふだん行ってたら「なんだ会長は、こんな映画を見にきているのか」といわれてはまずいですし、また、そういう気持ちもありませんし、十二月三十一日は、またすいているのです。
 去年の大みそかに見た映画は「勝利者」という映画です。がらがらで、まるで七、八人で借りきっているようなものでした。その映画はアメリカとソ連がドイツを攻撃して勝った映画です。しかし、最後はベルリンで、ささいなことから、ソ連の兵隊とアメリカの兵隊が刺し合って、ふたりとも死んでしまうところで終わるのです。
 すなわち、勝ったものも負けたものも真実の幸福というものは何か。このことが大きいひとつのテーマとしているわけなのです。私どもの人生には、とうぜん勝ち負けはあります。しかし、妙法を根底とした人生、生涯これほど栄光ある人生はないのです。
 かならず、だれびとたりとも、最後は幸福になれる、大勝利者になれる。これは間違いないわけであります。過去においても、たくさんの勝敗はありました。歴史上、また、個人的にみても枚挙にいとまがない。または、しょせん夢のようなものです。幸・不幸という問題からみた場合には、みんな不幸であります。
 私どもは永遠に栄えていく人生の大事な一日一日であるということを銘記して進みたいと思うのです。だれびとに、なんといわれようが、非難されようが、誹謗されようが、そんなことは永遠の幸福からみるならば小さい小さい問題であります。
 御本尊様はぜんぶお見通しであります。その信心を忘れないで進んでいただきたいのです。
3  すなわち、かのチャーチルにしても、第一次世界大戦のときには捕りょで苦難の道を歩んでおります。ドゴールも第二次世界大戦のときには、やはり亡命して苦難の道を歩んでおります。等等、数えあげれば、いま名声を博し、世界的人材にないっている人は、ぜんぶといっていいくらい苦難の道を歩んできております。
 だが、それらはみな妙法をたもっていない人生、迹門の姿です。いま、私どもは本門の人生を歩んでおります。三世十万の仏菩薩に守られ、ほんとうに日々が楽しく、幸福に満ちみちております。充実しきった人生であります。それは御本尊のお力です。
 また、学会内をみても、いままで最高幹部として、堂々と戦いきった人は微動だもしない、りっぱな信心、そして生活、人生を歩んでおります。信心が弱い、またあせっている人は、どうしても途中で挫折しております。皆さん方は関東の中枢の幹部として、これから何十万、何百万の人が鏡として、大きい模範として見守っている人々であります。
 先輩は、今日の強い強い信心と、不撓不屈の前進をした源泉としては、ぜんぶといっていいくらい百万遍、二百万遍、三百万遍の題目をあげきっている。その人が、現在の王仏冥合の先駆をきっている闘士であります。
 どうか幹部になったからといって、信心をおろそかにしないで、題目をあげてあげて、あげぬいて、ゆうゆと指揮をとっていける指導者、堂々と指導しきっていける社会の指導者となるために、題目をあげきっていただきたいことを念願し、私の祝辞といたします。たいへんにおめでとうございました。

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