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日蓮大聖人・池田大作

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末法の功徳は冥益 中国第三本部地区部長会

1964.8.28 「会長講演集」第11巻

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5  信心は水のごとく、そしてまた、功徳は冥益です。十年、二十年と信心して初めて大功徳がわくのです。二年や三年信心して、まだ功徳が少ないなどということはおこがましいのです。末法の功徳は冥益です。十年、二十年、変わらず、そして、その変わらずということも進まざるを退転というのですから、進んでいなければならない。背水の陣になったときに初めて宿命転換ができるのですから、その信心に立ったときに人間革命をしきっていけるのです。偉大なる成長があるのです。
 皆さん方も長い信心をしていただきたい。これを要望するのです。五年や七年で自分はたいした長い信心をしていると思ってはいけません。十年、十五年、二十年たって初めて「自分はだいたい、普通の信心になった。長いほうの信心になった。もうこのへんで御本尊様が願いをぜんぶ聞いてくださらないわけはない。厳然たる生活のうえに功徳が出ないわけがない」と、このように思っていただきたいのです。それまでは土壌をつくるというか、土台をつくるというか、その過渡期であるという考えをもってさしつかえないと思います。
 皆さん方は、地区部長以上なのですから、それは当分、かせつ跨節のうえから当分の功徳は絶対あります。とうぜん顕益もあります。だが、ほんとうの意味のこわれない大福運、大功徳は、長い信心で初めて完成されるのです。長い信心をしきって、初めて日蓮大聖人様の仏法を理解することができると、このように考えていただきたいのです。そこまで申し上げておきましょう。

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