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勤行と学会活動 幹部指導会

1964.8.27 「会長講演集」第11巻

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1  この会館は皆さん方が思う存分使っていただきたいと思います。山田副理事長に案内されまして、萩の名所というか、そしてまた名跡というか勤皇の志士の家と松下村塾とぜんぶ見てまいりました。
 かの松下村塾はこれは儒教を根底とした思想、哲学をもって政治改革をした松下村塾でありました。今度はこの萩会館は、妙法の大哲理を根底とした松下村塾であっていただきたい。すなわち青年部は、このなかから日本の有為な人材となって、
 ぞくぞくと新しい時代の建設に、王仏冥合の実現に輩出していただきたい。
 年配者の人はこれから久坂玄瑞だ、高杉晋作だといっても、ちょっとたいへんであると思いますが、皆さん方壮年の方も、お子さん方を王仏冥合への第二の高杉晋作、久坂玄瑞、そしてまた品川弥次郎、前原一誠等々、たくさんの、日本のそしてまた世界の人材として育てていただきたい。すなわち壮年の皆さん方が、妙法護持の吉田松陰という自覚をもって、お子さん方の指導をしていただきたい。このことをまずお願い申し上げたいのであります。
2  また、話はぜんぜん変わりますが、「信心強きを名づけて仏界となす」とあります。しょせん、仏界といっても信心が強いということ以外にないのです。すなわち功徳があるかないか、歓喜の生活ができるかできないか、生命力がおう盛になるかならないか、いくら御本尊様をたもっても、その信心が強いか強くないかによって決定されてしまうのです。
 ということは具体的にいいますと、御本尊様を受持して朝晩の勤行、すなわち題目をたくさんあげなくては信心は強いといえない。したがって、勤行をしっかりし、題目をしっかりあげない人は功徳はありません。たとえ御本尊様をたもっていても、信心が長いといっても、大幹部であっても、この因果の理法、道理の上のきびしさはどうしようもないのです。
 同じく、もっとも信心が強いというひとつの証拠は何か、それはとうぜん王仏冥合に向かって実践していく以外にないのです。ということは、もっと端的にいうならば、学会の組織にあって、おのおのの役職の立ち場で、まじめに真剣に学会活動をしていく以外の信心強きということはありえない。そこに創価学会が和合僧であり、王仏冥合をめざしての大聖人様の仏意仏勅にかなった厳然たる証拠があるゆえんなのです。
 学会を離れた場合は信心できない。また、学会を離れて御本尊様を長くたもっている人がありますが、功徳がでない。折伏はできない。それは不思議なものです。
 また、学会を批判すれば仏罰は厳然たるものです。
 したがって、皆さん方が長い信心をしてきますと、どうしても惰性になって、学会とはこういうものか、信心とはこういうものかというところに、どうしても惰性に流されきって、信心根幹でなくして役職、階級、それが学会精神であり、そしてまた大聖人様の信心の真髄であるかのように錯覚を起こす場合があるのです。
 そのときには功徳はありません。進まざるを退転という。じっさい退転になってしまっているのです。大聖人様は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」一日一日、月々年々、宿命転換をし、大福運を積んでいくために、前進を重ねていく以外にないのです。
 ということは朝晩の勤行、そしてまた学会活動を、自分自身から喜んで「それは福運の源泉なのだ」「これは自分の一生成仏のための仏道修行なのだ」「信心強きを名づけて仏界となす、仏界を湧現する唯一つの道なのだ」と、こう感激をもち、一念強く進んでいく人が、最後の大勝利者になるのです。その本質の問題だけは、どうか、きょうお集まりになった方々は、よく心に銘記して、しっかり前進しきっていただきたいのです。
 すなわち自分自身のためにも、妻のためにも、子供のためにも、子孫末代のためにも、大聖人様のこのご聖訓だけは胸に刻んで、努力しきっていっていただきたい。
 これは私の最初のお願いであります。
3  それさえわかれば、その人は一生涯、有意義であるし、大福運は積めるし、もうなにもあとは指導をうける必要もないのです。その一点が、どうしても私どもは凡夫であるし、長い長い人生のうえからおるすになってしまう。それから罰をうけていく人、功徳が出ない人、顔色が悪いひと、一家がなかなか調和できない、和楽でない人、というのは信心が濁っている。信心が進んでいない。または人を怨嫉している人です。ということは日々、月々、年々に強りたまえという大聖人様の御金言どおりの信行学でない証拠なのです。
 ほんとうに信心が純粋であり、信心だけは潔白であり、そしてまた峻厳なる人はかならず勝っています。実相のうえにあらゆる功徳がわいてきております。仏法は証拠です。その証拠を出しきっていくためへの強い強い信心でなければならないのです。どうか、しっかり信心して大功徳をうけきっていただきたいと思います。

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