Nichiren・Ikeda
Search & Study
行学の二道に励もう
教授会
1964.8.23 「会長講演集」第11巻
前後
1 また九月より、真剣に教学の研さんをしていきたいと思います。その先駆をきって皆さん方が、しっかり後輩の指導の任にあたっていただきたい。
すなわち、皆さん方が出席する地区講義にしても、一般講義にしても、または研究会にしても、開催するたびごとに大勢集まってきて、そして人材が輩出していく。その現実の実相、現実の証拠がなければ教授としの資格はありえません。
「行学の二道をはげみ候べし」何十遍、何百遍も聞いた御聖訓であります。あとはその御聖訓を生涯実行するしかないかによって、その人の福運、そしてまた、日蓮大聖人様の弟子としての道を成就したかしないかが、決定されるわけであります。
とうぜん「行学」の「行」は折伏、「学」は教学であります。また一方、教学面だけの「行」ということを考えれば、自分自身が勉強することは「学」、それを後輩に教えきっていく、すなわち地区講義や一般講義や研究会等で、全魂を打ち込んで戦っていくことは、教学のうえの「行」です。両面がなければ真実の学とはいえません。
所詮、行学の二道がなければ仏法はないのです。真実の仏道修行であるとはいいきれない。かの自民党にしても、社会党にしても、民社党にしても、共産党にしても、他の宗教団体にしても、その他のあらゆる団体にしても教学の前進がない、勉強をしないのです。
創価学会が栄えていく源泉は、今日までもそうでありましたが、また、未来にわたっても、真剣に妙法の学を、日蓮大聖人様の大理念を勉強しきっていく、どこまでも、どこまでも増上慢にならないで、指導しきっていく、自分もともに知っていく。そしてまた、それを実践に移していく、その行学があるところに繁栄の大前提があります。
その意味において、教学部員、教学にあっても、教授は創価学会の中枢のなかの中枢であります。王仏冥合の戦いが忙しくなっても、民音ができあがっても、創価大学ができあがっても、その他あらゆる応用面が展開されますが、どこまでいっても、その根幹は「行学の二道」であります。
また、その「行学の二道」の根本は信心であります。その点を私どもは教授会のたびごとに思い起こして、一か月、一か月の雄々しい前進をしていきたいと思います。またしたいと思います。