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大生命哲学たもち共に前進 第3回教育部全国大会

1964.8.1 「会長講演集」第11巻

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1  第三回の総会、まことにおめでとうございました。また、暑いなか、ひじょうに長時間にわたって、ご苦労さまでございます。あと、私ですぐ終わりますから、少しのあいだがまんしてください。また、講演などという、形式的な話は私はしませんから、その点もご了承願いたいと思います。
 ただ私どもは、人生を正しく生きたい、強く生きたい、そして幸福に生きたいと、これは万人共通の願望であります。王仏冥合も大事であり、広宣流布も大事であります。しかし、もっと大切なことは、私は、ひとりひとりの人が幸福になっていただきたいことに尽きるのです。これが信心であります。
 すなわち、一個の人間の生命は地球の重さより重いといった人がおります。仏法の真髄もすべて人権尊重であり、人間尊重であります。これが民主主義の根本原理です。私どもは冷静に生活を考えたときに、将来、生きていくうえにおいてもたくさんの苦悩があります。自分のからだのこと、経済のこと、仕事のこと、夫婦のあいだのこと、子供のこと、友人との関係のこと、あらゆる点で悩みをもっております。もっと厳粛にいうならば、ひとたびは死なねばならない死の問題等々、考えてみれば、なにによってその本源的な解決をすべきか、政治でも、科学でも、教育でも、どうしようもない範疇の問題があります。
 そのもっとも根本的な生命の解決、生活の原理、この根本解決こそ、せんずるところは日蓮大聖人様の大生命哲学であり、大御本尊以外にないと結論するわけであります。(拍手)
 したがって、私は皆さん方に、さまざまのことも申し上げているし、指導もいたします。要望もいたします。しかし、皆さん方ひとりひとりが信心に立って、日蓮大聖人様の大生命哲学を感得していただきたい、会得していただきたい、体験していただきたいと切望するものであります。
2  御本尊様をたもち、創価学会員と名のつく人であっても、信心利用の人も多々あります。学会利用の人もいます。ひじょうに迷惑なことであり、残念なことであります。しかし、やむをやない。いわれて信心をしていく、義理や、そして圧力によって信心するという必要はけっしてありません。自分の一家のため、生涯、有意義に、これでよし、なんの悔いもないという、物心ともにしあわせを獲得していくために、自分自身が大聖人様の生命哲学を研究しよう、自分から題目をあげていこう、そして、自分自身がほんとうにこれが大聖人様の弟子として、また、創価学会の根本指導をうけた、りっぱな大信者として、自分こそがほんとうの幸福者である、自分こそが真実の大信者の姿である、自分こそが真実の大指導者であるといえる、ひとりひとりの実質的な前進をしていただきたいことをお願いするわけであります。
 どうか、来年の教育部大会のときにも、一歩成長し、一歩前進した姿で、元気いっぱいにお目にかかりたいことを、心から楽しみにしておりますけれども、いかがでございましょうか。(拍手)
3  それで、一つの模範として、いつも私は同志の人々に申し上げるのですが、それは原島理事長のことであります。私がもっとも尊敬する先輩であります。私は、同志、先輩すべて尊敬し、信頼しております。なかんずく理事長の二十年以上にわたる、その信仰の水のごとく、戦ってき、今日の栄冠を得た姿を大きく評価し、模範としております。また、教育部の皆さん方も、理事長を模範としていっていただきたい。このことを申し上げたいのであります。
 すなわち、三十代で信心をなさって、教員であって、どうしても学校の校長にはなれなかった。それは、あまりにも折伏をやりすぎたのです。いまは学校、職場で折伏をしてはならないというふうに指導しておりますけれども、その当時は、学校であろうが、職場であろうが、どこでも折伏するというふうであったらしくて、あまり折伏しすぎて、校長にはれないし、追われ追われ、がんばってきたのです。そのときに、私が幾つか知っていることは、かの太平洋戦争のときには、官憲と真っ向から戦って座談会を押し通してきたという、その強信の姿。終戦後はお子さんがたくさんいて、家もなく、ふとんもなく、せんべいぶとんを借りてきては、やっと家じゅうで暮らしていたその姿。だが、信心だけは清らかに、純粋に、勇敢にやってこられた。
 そしてまた学会活動にあって、広宣流布の目標に対しては、一歩もしりぞかず、どんな批判をうけようとも、莞爾として前進に前進を重ねてきた姿。理事長が文京支部長当時、まだ私は青年、少年と同じくらいの時代でありましたが、その印象が強く残っています。「仏法がまことであるならば、この原島先生がこのままで終わるわけがない。仏法がまことであるならば、かならず七、十四年先には、見違えるような大福運が出なくてはならない」このように、ひそかに私は私なりに考えておりました。
 それが、七年たち、十四年たった今日においては、仏法の法理のごとく、大聖人様のおおせのとおり、また日寛上人様が「理として顕れざるなし」(観心本尊抄文段)と述べられているように、かならずその法理が生活のうえに厳然とあらわれるという原理のとおり、今日においては、政界においても、学会においても、社会においても、また家庭においても、健康上からみても、福運に満ちみちた、歴然たる、厳然たる信心の証拠を示してくださったと、私は訴えたいのであります。(拍手)
4  どうか、教育部の先輩であります原島理事長の二十年以上にわたる苦闘、また、勝ち抜いた信心の功徳の実相、これを忘れないで、がんばっていただきたい。また、婦人部において柏原婦人部長も同じであります。現在は婦人部を一手に率い、社会の婦人の最高の指導者として、福運に満ちています。同じく二十年以上の信心の結果の実相であります。
 また、辻教育部長も、初代の青年部長とし、同じく原島理事長とともに戦ってこられて、その苦難の道も、よく私は知っています。現在では、このとおり大指導者になっています。
 苦しいとき、悲しいとき、悩み多きとき、人に批判されてくやしいときは、どうか先輩の、勝ったこの厳然たる姿を胸に浮かべて、私とともに大きく前進していただきたいと思いますけれども、いかかでございましょうか。(拍手)
 私は若い会長であります。皆さん方を陰で守ってまいります。また、大事なときには、私が先頭に立って学会を守ってまいります。私はこれだけの人間であります。
 だが、信心を根本として、せめて一生懸命に皆さん方のために尽くしていく決心でございます。大きいことはできません。また、大きいことをいう資格もありません。
 ただ、創価学会の精神を堅持し、創価学会員にだけはどんなことがあっても、ひとりも犠牲にさせない。いままでこれだけ批判され、いじめられてきましたが、今度は大いばりで、あらゆる階層にはいって、しあわせそうだ、こんなにもりっぱになったかと、全国民から称賛されるまで、がんばっていく決心ですから、これでいいでしょう。(拍手)
 それまで、どうかひとつ、一生懸命、私もやっていきますから、少しぐらい力がなくても、おろかであっても、かんべんしていただきたいと思います。
 反対に、今度は、私は一生懸命がんばりますが、社会にあって、教育界にあって、いっさいの理論闘争、教育界における刷新、または弱い学会員の擁護等においては、きょう集まった一万名の教育部の方々が、いっさい引き受けて、すこしも学会に指をささせない、大聖人様の大仏法に指をささせない、いっさいを打ち破ってみせるという、力ある教育部員になっていただきたいことを切望しますが、どうでしようか。(拍手)
 以上をもって私のあいさつとさせていただきます。

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