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これからの指導者 第51回本部幹部会

1964.7.21 「会長講演集」第11巻

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1  こんばんは。暑いところ、長い時間、ご苦労さまでございます。
 先日の聖教新聞に指導部長と対談いたしまして、「新時代の折伏活動と社会性」(昭和三十九年十月号大白蓮華に再掲載)と題しまして、さまざまな面から指導をさせていただきました。どうか、あの指導を幹部の皆さん方は、おのおのが咀嚼していただいて、後輩の指導に間違いのないようにお願いいたします。
 創価学会の指導は、日蓮大聖人様のおおせどおりの指導であります。だれびとも納得できる指導であります。幹部の感情や、幹部の偏狭さで、後輩の指導を大きく間違えることは、創価学会にとっても、大なる迷惑であります。幹部は、けっして暴言をはいたり、いばったりしてはなりません。
 また、婦人部の幹部の方々にもお願い申し上げたいことは、感情的になったり、いじわるをすれば、幹部の資格はありません。創価学会の指導どおり、学会精神を根本とし、間違いない指導をして、ひとりでも多くの人を、正しい信心の人につくりあげてまいろうではありませんか。
 幹部だからといって、自己の誇張のために、権威のために、指導されることは、この清らかな尊い団体にとっても、魔の存在であります。白アリと同然であります。
 また、折伏のことについても、なにも来年の選挙のことを考えての折伏は、する必要がありません。成果のための折伏も、私はしていただく必要もありません。第一にも第二にも、日蓮大聖人様のおおせどおりに、厳正に、強盛に、学会精神を根本として折伏行を、私とともにしていただきたいことをお願い申し上げます。
2  また、話は変わりますが、先日民音へ初めて行ってまいりました。皆さん方も「動中静あり」で、たまには、民音なり民演なりへ行かれたらどうかと思います。民音、民演の宣伝をするわけではございませんが、毎日毎日、人々のために苦労をなされ、忙しいことは私もよく存じております。また、たれが知ろうが知るまいが、大聖人様がご存知であるし、皆さん方がいちばんよく知っていることであります。
 しかし、長い長い広宣流布への旅路であります。たまには、音楽を聞きに行ったり、劇を見に行ったりして、静かな楽しい一夜もすごしていただきたい。それ自体がまた、偉大なる王仏冥合への文化活動につながっているのです。
 ある交響楽団の演奏を、上野の東京文化会館に聞きにまいりました。何人かの副理事長の方々にも「たまにはどうだ。私もきょう初めて行くのだけれども、ゆっくりベートーベンの“田園”でも聞きに行こうではないか」と、こういうふうにいって私が誘いました。
 約二時間ほど、有意義に、感銘深く私も聞きました。同志の方もたくさんおりまして「ああ、みんなといっしょに聞けてうれしかった」こういう思いでありました。
 これからの学会の幹部は、社会の指導者は、教養がなくては、りっぱな指導者とはいえません。とくに、婦人部においては、そうです。そのへんのおばさんみたいな、おばさんでどうもすみません。(笑い)その庶民性も大事ではありますが、やはりどの階層に指導に行っても、どういう人々と付き合っても、ゆうゆうと、あらゆることを論じ、どんなことでも知っている。「文化的だな、気品があるな、教養があるな」と、そのようにいわれるような幹部でなければ、また、男子は力のある幹部、頭のいい幹部でなければ、これからの学会の先端を行くべき指導者とはいえません。むしろ恥になります。
 どうか、一日一日、私どもは、強盛なる信心を根本として、社会にあって最高の大指導者としてふさわしい成長と勉強とをしてまいろうではありませんか。お願いいたします。(拍手)
 目つきの悪い、いじわるそうな、頭の悪そうな、そういう幹部がいては、社会においても一般の人が学会をひじょうに偏見をもって見ます。学会内においても、後輩の人がかわいそうです。
 本末究竟してぜんぶ等しくつうずるというこの原理を忘れないように、どうかこの八月も楽しくゆうゆうと進んでいただきたいことを最後にお願い申し上げ、私の話といたします。

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