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日蓮大聖人・池田大作

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後輩を大指導者に 男子部部隊旗授与式

1964.5.11 「会長講演集」第11巻

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1  今晩、また、お目にかかりますもので、ひとことだけ祝辞を申し上げます。本日も多数の青年部の幹部が任命されたことに対し、私は、ひじょうに喜んでおります。さきほどから、じっと諸君の顔を見ておって、いままでにない、将来このなかから、かならずたくさんの理事もでる、参謀室はとうぜんのこと、議員も、学会の大幹部も、多数出現するであろうということを確信しておりました。ひじょうに私は、うれしいのです。このなかには、部隊長となり青年部の最高首脳部となっても、さまざまな、性格をもっていることはとうぜんであります。
 ある人は情熱家、ある人は理知的な人、ある人は雄弁家、ある人はとつ弁家、ある人は大胆な人間、ある人はどっちかというと神経質の人、ある人は快活な人、ある人は静な人、多種多様であると思います。しかし、おのおの自分らしく、進んでいただきたい。信心を根本にして題目をしっかりあげて、信心、題目には差別はないのです。
 一生成仏とは、いいかえれば人間革命、すなわち人格の完成であります。一面からいうならば、偉大なる指導者、また一面から論ずるならば、幸福者、偉大なる人物に戦いきっていける人格、また、一面からいうならば、多数の人々の信頼し尊敬とをうけて、人々に幸福を与えきっていける人、とその解釈はいろいろなされると思います。
 したがって、自分自身らしい前進の指揮をとることはとうぜんでありますが、自分を完成するために、自分はあの先輩から、こういうところを見習わなくてはならない。自分はこういうことを吸収していこうという心がけが大事であると思います。どうか、部隊員のなかにも、さまざまな性格の人がいると思います。その人々をぜんぶ包容しきって、題目で、自分の成長で、いっさいが決まるのである、この決心を忘れないで進んでいただきたいのです。
2  ある青年部の幹部が支部にはいって、年配者や、支部の関係で古い人がいる。そうすると、その人たちが自分の思うように働いてくれないもので、暴言をはいたりするという話を聞きました。自分自身は、いかなる人であろうとも、ぜんぶ王仏冥合のため大福運を積むために、指導しきっていくのだ。激励しきっていくのだと。
 こういう人こそが偉大なる指導者であり偉大なる青年部の幹部なのです。しかることはやさしい。いばることはかんたんです。そんな人は偉くはありません。いかに同僚、後輩を幸福にしきったか、包容しきって偉大なる学会の幹部に、大信者に、社会の指導者にしきったかどうかということが、指導者としての資格を決定する題目なのです。
 口なんか重宝なものです。組織の上に立てば、どうでも号令ができる、そんなものではありません。そのもう一歩手前であくまでも信心を根幹とし人間性を発揮し、日蓮大聖人様の、皆、子供なのである、御本尊様のもとにみな平等なのだ、ただ自分はすこしでも、よけいに教学を学び、早く幹部になったのだ、ひとりも残らず同じように、りっぱな闘士に仕上げていこう、この一念だけは生涯忘れないでいただきたいとおもうのであります。よろしいですね。
 最初に、申し上げましたように、このなかから将来の理事、代議士、参謀室、学会の大幹部等、これからの近代的な素質をもった人々が多数いるということを、重ねて私は喜び、将来に対する学会の盤石なる体制をさらに固めたと、このことを申し上げまして、本日の祝辞としたします。しっかりがんばってください。

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