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日蓮大聖人・池田大作

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仏の軍は必ず勝つ 地方大幹部会

1964.4.19 「会長講演集」第11巻

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1  本日また新しい支部長なにらびに婦人部長が、たくさん誕生することができました。どうか新しく大幹部になられて、大勢の方々のめんどうをみる支部長、婦人部長の方々は、良き先輩を見習い、そして良き先輩からいろいろとおそわり、相談をうけていただいて、また相談をしてりっぱに支部長、婦人部長の責任をまっとうしていただきたいことを心からお願い申し上げます。
 「長の一念」よく私どもが、いうことばであります。さきほど、指導部長からも注意事項がございましたが、これだけ大勢の人々のめんどうをみることは、たいへんであることはよくわかります。
 一銭ももうかるわけでもなく、忙しい生活、仕事のなかで、根性曲がりや、邪宗教で狂った人や、そういう人々を人間革命させきっていく、信心を確立させていく、五人や十人ではなくして、何千人、何万人の人々のめんどうをみているがゆえに、たいへんであることはよくわかるのです。
 しかし、それだけたいへんなことをぜんぶ仕上げていこうというところに、私ども、皆さん方、大幹部としての栄誉があり、絶対に宿命転換のできる、成仏できる、大福運を積める原因がある。その立ち場になっていることを、よくよく知っていただきたいのです。
 信心の世界であります。日蓮大聖人様の弟子を、子供をめんどうみて大聖人様からおほめのことばをいただけないわけがない。それだけたいへんなこととを、信心を根幹として戦って、大福運が積めないわけがない。人々以上に大福運を積める立ち場にあるのだ。これを信心で自覚した場合には、どれほど感激があり、どれほどの喜びがそこに湧くかわからないのです。
 大勢のなかですから、事故があることはやむをえないことも私は知っております。しかし、心からわが支部の大事な行動にあって、長が、すなわち支部長や、婦人部長や、また、わが本部長や副本部長や理事が、真剣に御本尊様に支部員のことを願っているかいないで、大きく結果が違ってくることを知っていただきたいのです。
 同じ事故が起きても、祈りがあるならば願いがあるならば、不思議とそれが未然に防げる、または変毒為薬ができる。そうでなくして、惰性に流されて、登山会は登山会で登山責任者がいるからそれにやらせていればいい、座談会は地区部長が行くのだから、それにまかせておけばいい。自分が知っておりながら、責任をもちなから、それを回避した場合、おろそかにした場合には、どうしても苦しい心にならざるをえない現象がでるものなのです。
 これが仏法です。因果はきびしい。「三千羅列としてきびしき身なり」です。したがって、第一にも第二にも、支部員のために、根本は御本尊様に願いきっていく。
 それがまた自分のためになる。また自分の責任をまっとうすることが、自分も大福運を積むためであると同時に全支部員の幸福につながるのだ、幸・不幸につながっていくのだ、このように自覚すべきです。なぜならば、本末究竟等であるし、依正不二です。境智冥合です。他の団体、他の世界は、じっさい境智冥合、一念三千、依正不二という原理がないのです。したがってある一定の興隆まですると滅んでいくのです。これは人情で、歴史の常なのです。
 わが創価学会だけは、御本尊様をいただき、その信心のうえで理想的な仏国土をつくるための、その実践をしていかなくてはならない。その実践があるならば、どんなことでも仕上げていくことができるのです。この点をどうか最高幹部である皆さん方は確信していって、いただきたいと思うのです。
 大御本尊様を誹謗すれば、かならず現罰がある、仏罰がある、法罰がある。とうぜんの原理です。私どもを誹謗すれば、批判すれば、罰をうけることは大宇宙の法則として、とうぜんの理です。
 しかし、すぐに罰がでたほうがいい場合もあるし、なかなかでてくれなくて「早くでてくれないかな」と、こう思う人もいると思うのですが、それではあまりかわいそうだし、あわてないほうがいい場合もある。ということは、罰がでるかでないか、これはひとつには、一国の謗法のいかん、または誹謗者の謗法の浅重のいかん、また御本尊をたもっている行者の宿業のいかん、信心のいかん、これによってひとつの結果がでてくるわけです。
 したがって、さまざまの事件があることは、これはやむをえない。しかし、しょせんは御本尊様を誹謗し、私どもを批判すれば、絶対に地獄に落ちるのです。これだけは結論です。
 とくに、現段階にはいった日蓮大聖人様の仏法に世界においては、また、大聖人様の仏法を批判した世界においては、罰と利益はさらに明確になるのです。そういう時代と確信されたいのであります。
 誹謗すれば、絶対に法罰厳然たる証拠がでる信心を、まじめにしていくならば、絶対に大福運を積むことがてきる。これは七百年前から、また久遠元初以来、とうぜんの理でありますけれども、とくにそれを私は感じますし、皆さん方も、それを強い強い信念として、指導の任にあたり、折伏の確信にしていただきたいのです。
 先日も、九州の宮崎会館の落成入仏式がありまして、そのとき定善寺のご僧侶でありますが、その当時、定善寺の檀家がほとんど敵側に回った。そのようすをこまこどまと話しておりました。
 ある檀家は首をつり、ある檀家は仕事かなにかの帰りに川にはまって死んでしまったり、ほかに残った向こうの坊主は、ついこのあいだ階段から落ちて苦しみ懊悩して三日目に死んだとか、そういう現証の話を、こまごまと話しておりました。
 なにも、そこだけではなくして、いろいろな姿を見て、御本尊様を誹謗し、創価学会を誹謗した人の姿はきびしいことを、いやというほど感じているのです。
 どうか皆さん方も、その大聖人様の仏法の威力で、御金言どおりに、いまこそ、いっさいに証拠がでてくるということを強く強く確信して、ゆうゆうたる戦いをしきっていただきたい。このこととを心からお願い申し上げます。(拍手)
 「仏の軍はかならず勝つ」大御本尊様をたもって王仏冥合に進んでいる個人は、絶対に最後に大勝利者になる。どんな有名人であろうが、いかなる知名人、為政者であろうが、指導者であろうが、創価学会をバカにし、さげすんだからは、最後は地獄におちる。今世で厳然たる証拠を残すのです。これをはっきり見きわめていこうではないかという強い信心に立って、前進していこうではありませんか。

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