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日蓮大聖人・池田大作

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東洋広布の源泉地 北九州会館入仏式

1964.4.11 「会長講演集」第11巻

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1  大客殿という大建築物を見ておりますゆえか、どこの会館へ行っても、狭い感じがしてしかたがありません。しかし、小さいながらも、北九州に王仏冥合達成の一つの拠点ができたことは、私もひじょうにうれしいのです。たいへんにおめでとうございました。(拍手)
 さきほどから宮崎、大分、北九州ともに、ひじょうに小さい会館であるというニュアンスの話がございましたが、東京やその他の会館からみると、ずいぶんぜいたくな会館ともいえるのです。ということは、宮崎も大分も北九州もりっぱな庭がある、池まである、(笑い)たいした会館だなと、このようにうらやましく思いました。東京の本部でも庭はないし、大阪の本部も庭はありません。だがこちらには庭がある。ということは、余裕綽々たる前途洋々たる意味をふくめている、こう感ずるのです。
 とともに皆さん方の家もあまり庭がなかったのではないかと思うのです。(笑い)
 きっと狭っ苦しい家で――それが会館と同じように、今度は庭をもち、ある人は池をもち、朝や夕方には植え木に水をやって、子供といっしょに散歩しながら「ああ信心の功徳はすごいなあ」「信心をまっとうしてよかったなあ」といえるようになる一つの大前提なのです。大瑞相であるという意味の、この会館であるということを知っていただきたい。また、そうなっていただきたいのです。(拍手)
 きのう中西君が、東京の自分の住んでいる区の区史を調べた話をしておりました。それは、天理教が全盛期であったと考えられる時代には、一つの区に二十数か所の分教会があったと書いてある。そこへくると、創価学会は一つの区に一軒の会館どころではない。数区で一軒あるかないか、または二、三県で一つの本部、または会館があるかないか、そういう現状であります。
 天理教は全盛期は三百万人と豪語していたのです。いま創価学会は四百三十万世帯、一千万人以上であります。彼らは、その分教会はぜんぶ信者から巻き上げたものである。絞り取ったものである。残酷このうえない手段をもって信者を地獄に落とし、ともに財産を教団のものに名義を変えてしまった。その数であります。
 いま私どもは、これらが王仏冥合への仕上げの時代にはいる。少ない会館であり、小さい会館である。だが大御本尊様がおわします、その大御本尊様のお力は絶対である。また会館は少ないし、小さいけれども、人材はたくさんいる。この意味からみても、たの邪宗教団の力と日蓮正宗創価学会の力とは天地雲泥の差であります。これから私どもも、広宣流布のためにたくさんの会館を、本部を造って「どうだ、これでもか」「この姿を見たまえ」と邪宗教団にいいきっていく、示しきっていける時代をつくってまいろうではありませんか。(拍手)
 また大事なことは、天理教も立正佼成会も衰亡の一途をたどっている。それは法に力がない。また創価学会が大発展をしている。太陽が出たならば、ともしびが消えていくのはあたりまえです。しかし、もう一つの原因は、天理教でも立正佼成会でも、幹部がおごって堕落をしきっていることなのです。
 法の力は絶対である。しかし、私どもはあくまでも入信当時のあの決意、入信当時のあの希望、入信当時のあの峻厳なる修行のありかた、入信童子のあのまじめさ、これを幹部は絶対に忘れてはならない。いくら偉くなっても、いくら経済的にゆとりをもってきても、いくら組織のうえで地位が高くなっても、入信当時の若々しさ、入信当時の峻厳なる決意を一生涯忘れないで、どんなときでも、なにかあったならば、それを思い起こして、生涯、大勝利者としてりっぱに終わるために、その心がけをもって、私とともに前進しきっていただきたいのです。このことをお願い申し上げます。
 私はとくに、さきほど柏原先生からも話がありましたが、福岡の地と並んで、北九州はこれからの重要な拠点である。これを心のなかに秘めてきておりました。したがって、五月の三日ふたたび七年先への大きな出発点とする意味においても、北九州を「本門の時代」にふさわしい発火点にしたい、こう決心しているしだいなのです。
 北九州の大幹部の皆さん方に対しても、私は力強く指導をしていく決心です。どうか広宣流布のため、一生成仏のために、くどいようですけれども、どうか私とともに心を一つにして、全九州の、いな全日本の、東洋広布への偉大なる源泉地であるということを自覚していただきたいのです。
 また、私があまりこられないようなことがあっても、一級闘士を何人かこちらのほうへ派遣する決心もしております。この北九州から、福岡県のなかから、ぞくぞくと「本門の時代」にふさわしい闘士が、指導者が、創価学会をになって立っていく、仕上げの役目をしていくべき人材が、何十人何百人も出ることを心から祈って、私の激励といたします。たいへんにおめでとうございました。

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