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全国に広布の礎石 宮崎会館入仏式

1964.4.9 「会長講演集」第11巻

前後
1  皆さん方の真心によって、りっぱに大客殿を建立することができました。ほんとうに、ありがとうございました。(拍手)
 また本日は、小さいながらも、宮崎の一つの拠点として、会館開きをすることができました。これは、皆さん方に差し上げますから、どうか皆さん方で思う存分に活用し、皆さん方でこの会館を守って、わが家のごとく大事にして、広宣流布のためへの推進地にしていただきたいことをお願い申し上げます。(拍手)
 また飛行機のつごうで、たいへんにお待たせ申し上げましたが、本日の入仏式にわざわざ御導師をたまわりました小原先生に厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
 よく戸田先生が「人生にあっては、かならず語れる人をつくっておきなさい。どんな悩みでも、どんなことでも、打ち明けて相談できる人をつくっておきなさい」と申されておりました。信心をしていようが、信心をしていなかろうが、同じ意味であるととれます。
 自分自身が長い人生を歩んでいくうえにおいて、とうぜん、さまざまな苦難や苦悩もあることはやむをえないのです。そのときに、どんなことでも語っていける先輩なり、同志を、どうか皆さん方は、きょうを一つの契機として、つくっていただきたいのです。
 また反対に、たくさんの同志、たくさんの後輩が、皆さん方を依所としてついてきております。したがって、苦しみ、懊悩して指導をうけにきた同志、後輩に対しては、今度は「自分が絶対に責任をもって、この人の幸、不幸を決定するのだ、いま相談をうけている自分によって左右されるのだ」このような、慎重な、真剣な、包容力をもった、自身をもった指導をしてさしあげていただきたい。よろしくお願いいたします。(拍手)
 春になると、ほうぼうに旅行をする。花見であるとか、やれ観光であるとか、ひじょうににぎわう。皆さん方もうんと働いて、うんとひまをつくって、ほうぼうへ遊びに行っていただきたい気持ちでいっぱいです。
 だが、私は私なりに、いつも思うことは、どんな旅行をしようが、どんな花見をしようが、楽しい人生のようなかっこうであろうが、心はそぞろであろう、しょせんは空虚であろう、このようにいつも見ているのです。
 仏法の住所という一つの定義があります。比叡山は皇居の丑寅の方向であるとか等々、そのような意味においても、その住所ということがありますが、どこへ行っても、最後は自分の家がいちばんいい。海外旅行をしても、やっぱり自分の家がいちばんいいのです。それが人情です。同じく私どもは、最後にどこへ行くか、また行くところがあるかないか、これが真実の幸福、不幸は、また決定されると思うのです。
 苦しいこと、楽しいこと、うれしいこと、悲しいこと、人生はそれらの連続であります。そのときに、私どもだけは、どんな場合でも九識心王真如の都である大御本尊様のもとへ即座に行くことができます。また総本山、霊鷲山会に行くことができます。信心のない人々はそれができません。私どものみが、最後に絶対の幸福をつかむ、帰るところを知っている。人生にとってこれ以上のしあわせは、私は絶対にないと確信するのであります。(拍手)
 真実の仏法の住所、本有常住の御本尊様のおわしますところ、また真実の霊鷲山会である総本山へ私どもは行くわけです。うれしいときでも、悲しいときでも、寂しいときでも、楽しいときでも、真実の九識心王真如の都にはいることができるのです。この真如の都には宇宙全体の宝物が存在しているわけです。それが、この宝物を信の一字でいっさい、いただくことができるのが信心即生活の原理です。
 願わくは、大功徳をいただくために、より以上純粋なる信心と、より以上強盛なる信心をもって、楽しい人生を私とともにどうか味わいきって、広宣流布のために前進していっていただきたいことを、心から念願するしだいでございます。(拍手)
 また、ただいま話がございましたが、飛行場にも、そして、またこの会館のそばにも、周辺にも、大勢の同志がこられましたが、皆さん方から、くれぐれもよろしくお伝え願いたいと思います。私は同志の方々が迎えにきてくださる心は、よく知ってもおりますし、うれしいのです。ただし、会長として今度は反対に、長い時間、待たせたり、そういうことを考えると心苦しいのです。創価学会には形式主義や、そしてまた後輩の人々を苦しめるようなことは、絶対にあってはならない。これが私の精神です。
 したがって、迎えにきてくださる時間、または、この会場にはいれないで、立っておられる時間、それも信心であるといえば信心であるでしょうけれども、その時間は、むしろ家庭にあって団らんの時間にしていただきたい。または勤行の時間にしていただきたいのです。または一生懸命、生活闘争をしていただきたいし、または不幸の人の味方となって、指導をしてさしあげていただきたいのです。それが私がいちばん、うれいしことなのです。
 題目を唱えていれば、どんな人でも、ぜんぶつうずるのが妙法の原理です。どうかひとつ、将来も、また日本全国たくさん、こういうことがありますもので、私の心をよく了解していただきたい。皆さん方もその点をご理解くださって、きょうお目にかかれなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。お願いします。
 また、この会場は、ひじょうに小さいのですけれど、こういう会館を私は何十、何百とこれからつくらねばならないのです。また建設をして、広宣流布の礎石を敷ききらなければならない。そういう意味で、ひじょうに質素であると思いますが、わが創価学会の発祥の場合も、これの三分の一ぐらいの法城から始まったことを忘れないでいただきたいのです。
 また私もたくさん働きます。皆さん方も働いていただいて、日本一、世界一の御本尊様おわします道場である、法城であるという心意気をもって戦っていただきたい。ともにまた日本一世界一である、慶祝できる堂々たる鉄筋コンクリートの会館を造れるような宮崎になっていただきことを切望して私の激励といたします。長いあいだご苦労さまでございました。

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