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報恩の誠で続「人間革命」を 戸田先生七回忌法要お逮夜

1964.4.1 「会長講演集」第11巻

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1  本日は、恩師戸田城聖先生の七回忌法要お逮夜にさいし、もったいなくも御法主上人猊下のご導師をたまわりましたことを、心からお礼申し上げます。(拍手)
 また、総監をはじめ、宗門の多数の御僧侶方の真心込めた読経唱題をたまわりましたことをかさねて感謝申し上げるしだいでございます。ありがとうございました。
 私ども戸田門下生は、本日をまた第一歩として、ふたたび七年先の王仏冥合達成への第二の目標に向かって、勇敢に、力強く大勝利の進軍を開始したいと思うのです。
 戸田先生は小説「人間革命」を残されました。その「人間革命」の最後の文は「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先立つこと五年にして天命を知る」――この文で終わっているのです。
 その出獄以来、願業成就なされて霊山に帰られた昭和三十三年四月の二日までのことは、そのままになっております。
 私は、ある日、戸田先生が“妙悟空”という名前で「人間革命」を書かれ始めたときに、なんの気なしか、先生が「大作、この小説を読め。もしか、直すところがあったら、自由に直してもよろしい」このように申されたことだあります。
 そして「人間革命」を書き終わった先生は、ひじょうにうれしそうなお姿をしておられました。
 その先生が「人間革命」を書かれ、出獄以来、あとはなんら自分でご自身のことを書こうという意思はみじんも申されていなかった。しかし、私は、出獄以来の「人間革命」の続刊は、かならず「大作、おまえが書け。出獄以来、死ぬまでの、この戸田の姿を、厳然と書くのはおまえである」というお心があったことを、私は明瞭に私の胸で受け取っていたしだいでございます。
 したがって、本日を契機として私は、報恩の誠の一つとして、戸田先生の出獄以来、なくなられるまでの業績、指導等を書き残したいと思うのです。先生は“妙悟空”というお名前でお出しになられた。私は弟子でありますから、“法悟空”という名前で完成したい。妙法の妙は法性であり、法は無名明である。そういう意味からも“法悟空”という名前で、二年かかるか三年かかるかしれませんが、いずれにしても七年以内には、三巻、五巻、七巻、十巻にして、いままで、恩師からたまわった指導をぜんぶ含め、また、恩師をいじめ、批判してきた、いっさいの評論家や学者や、そしてまた政治家等の誹謗に対して、批判を打ち破る「人間革命」を書ききっておきたいと思うのです。
 私ひとりではできませんもので、同じく戸田門下生を代表して、一、二名の人に手伝ってもらう予定です。
 どうか、本日集まった幹部の皆さん方は、からだを頑健にして、さらにたくさんの後輩が見ておりますゆえに、しっかり後輩を包容して、私ども最高幹部が、きょう集まった幹部が団結して、絶対に次の七年も、大勝利の連続としてみせるという船出をしていこうではありませんか。(拍手)
 最後に、恩師のご遺族ならびにご親せきの方々は、与同利益をうけられることはとうぜんである。大功徳に満ちみちて、きょうよりも大聖人様の子供とし、大聖人様の弟子とし、そして私とともに、戸田先生を師匠と仰いで、広宣流布のために、王仏冥合のために、まっしぐらに真剣に前進されんことを心から切望申し上げまして、私のあいさつといたします。

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