Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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唱題は成長の瀕泉 地方大幹部会

1964.3.26 「会長講演集」第11巻

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1  三月度の戦いも、またたいへんにご苦労さまでございました。どうか四月度を新しい第一歩として、次の七年間へ向かって、私とともに力強く前進していただきたいのです。そして天上界の魔を打ち破りつつ、黄金時代の大功徳を満喫しつつ、進んでいっていただきたいことを、まずお願い申し上げます。
 日蓮大聖人様は三世にわたる大聖者であられます。とうぜんのことでありますが、御本仏日蓮大聖人様御一人だけが、大宇宙の本源、生命の本質を説き明かして全人類を救済なさる仏さまでいらっしゃいます。したがって大聖人様の大生命哲学は永遠不滅の大哲学であり、いかなる思想家、哲学者が出現しても、大聖人様におよびもつかないのです。
 釈迦、天台、伝教、妙楽たりといえども、また三世十方の仏といえども、すべて大聖人様の妙法蓮華経によって、すなわち三大秘法の御本尊によって、仏になったことは、経文のうえ、御書のうえで明々赫々であります。その大聖人様が決定された、これ以外に成仏の道はない、これ以外に民衆救済の原理はない、一国繁栄、安泰の哲理はないと申された、その大聖人様のおことばに随順するならば、私どもは仏になれる、全人類もしあわせになれるのです。
 いわんや仏弟子として、大聖人様の子供として、弟子として、大聖人様のおおせどおりに実践することは、善のなかの最高の善の行動をしていることになるのです。反対に、大聖人様の言々句々、御金言、御聖訓に反するならば、悪であることはとうぜんの理です。
 よく革新政党においては、党の決定は絶対守るべきだ、党の決定は厳守すべきである。このようにいわれております。いかなる団体においても、その方程式は同じであります。最大公約数として、一つの正式な機関で決定されたことを、責任をもって実践すれば善であり、それに逆らい、それをないがしろにして実践しなければ悪になるのです。と同じように創価学会におきましても、本部の決定、理事会の決定、大幹部会の決定があって、それを責任をもって実践する人は、まっとうする人は善です。それをおろそかにし、責任をもたず、ないがしろにする幹部がいるとするならば、それは悪なのです。
 仏法のうえから論ずるならば、その決定を実践した人は功徳があるのです。実践しない人は罰をうけます。こういう論理がとうぜん成り立つわけです。
 したがって個人の行動については、これは私どもが関与すべき筋合いは、おたがいにございませんが、創価学会、広宣流布、幹部としての責務という問題にたちいった場合には、幹部という立ち場においても、信心といううえから論じても、人間という立ち場から考えても、どうか、りっぱに自分自身の与えられた使命だけは、おのおのが完遂していただきたいことを心からお願い申し上げます。
 指導者は力をもたなくてはならない。幹部は力がなくては幹部の資格がないのです。なぜかならば幹部のもとには何百人、何千人、何万人の人がおりますが、それらの後輩が指導者の指導力いかんによって成長もするし、信心も向上するし、反対に指導者いかんによっては、堕落もするし、正しい信仰もできえず、苦しんでしまうわけです。
 これは学会の世界においても、いかなる団体の世界においても、同じ方程式なのです。とくに創価学会は他の団体と違って、崇高なる目的をもち、世界でいちばん尊いところの生命を相手にした、生命の問題を解決していく団体であります。大事な命をあずかり、そしてまた指導していく尊い偉業を行なっているのです。
 したがって、これだけ戦い、これだけ苦労をしている皆さん方に、さらに、しいることは忍びがたい気持ちでありますが、だが、これも一生成仏のため、人間完成のため、広宣流布のため最高の善のために、さらにさらに成長していただきたいのです。
 したがって、幹部は人一倍、勉強をしていただきたいのです。うんと読んでいただきたいし、たくさん書いてもいただきたい。また、うんとしゃべっていただきたいのです。これが私のお願いです。
 そして、幹部はその人、その時代に応じて、臨機応変に知恵を働かせていただきたいことをとくにお願い申し上げます。
 また幹部は包容力をもっていただきたいのです。自分から離れてしまったならば、この人は不幸になってしまうのだ、どんなことがあっても、この人を包容しきって、放さないようにしてあげようという忍耐力ある、包容力で、かかえていっていただきたいのです。
 目先のことで感情的になったり、または小さい問題で、仲たがいさせてしまって、不幸にさせてしまうようなことは、ないようにお願いしたいのです。
 また幹部は、堂々たる、毅然たる自信をもって、指導の任にあたり、指揮をとり、そしてまた折伏の陣頭に立っていただきたい。大将が弱かったり、大将が自信がなかったりした場合には、後輩の人は本末究竟等、依正不二で、結局は自信を失い、寂しい弱い人生を送り、そういう信心をせざるを得なくなってしまいます。第一にも第二にも、幹部は強い信心に立っていただきたい。それは、たくさんの人がおります。教学の面や、頭脳の点で、一面、利口そうな人もいるかもしれません。だが、自信をもち、確信ある信心をもった幹部に対しては、どうしようもない、これが真実の姿なのです。
 信心以外においても、自信をもち、確信もった人が、やはり最後は勝利者です。
 人を指導していくことができます。
 また会員のなかにはさまざまな人がおります。老若男女、からだの弱い人、根性曲がり、それから家柄がよい人、または、ひじょうに貧乏な人、そういう人々に対しては、とうか幹部は総合的に考えて、信心の指導、学会の目的に対する指揮、ともに今度は、個人個人に対する、それぞれの指導を間違いなくやっていただきたいのです。
 したがって、それには統率力を養ってもらいたい。統率力のない幹部は真の指導者とはいいきれない。どうか、なにもかも要望するようでありますけれども、しょせんは題目をたくさんあげることに尽きるのです。題目をあげるところに、いっさいの成長の源泉があるのです。
 そして、よき先輩を見習って、自分自身から意欲的に求道心をもって、自分を完成させていこうという熱情をもって、この七年間、これほどまでに成長したか、これほどまでに力をもったか、これほどまでに後輩から信頼される自分になったか、これほどまでに境涯が開いたかと大御本尊様に照らされ、ニッコリ大御本尊様にご報告できるような幹部になっていただきたいことを心からお祈り申し上げまして、私の指導といたします。

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