Nichiren・Ikeda
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物心共の大功徳うけ
在京大幹部会
1964.3.26 「会長講演集」第11巻
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1 今月も、たいへんにご苦労さまでございました。
南無妙法蓮華経は七文字で、七年間ということにもつうずるような気がいたします。なぜかならば、よく戸田先生も指導なされておりましたが「医学的にいっても、私どもの生命は七年たつと、目のしんまで、骨の髄まで、いっさいの新陳代謝がなされて、細胞が新しく変わってしまうものである。創価学会は七年ごとを大きな節にして、広宣流布の旅をつづけていこうではないか」とつねづね申されておりました。
したがって、戸田先生がなくなって七年、ある人は悔いのない戦いをした人もいると思います。また、ある人は悔いのある歴史をつくった人もあるかもしれない。
しかし七回忌を契機として、いままでの七年間はいっさいの過去のこととして、新しい次の七年間への、学会もそうでありますし、皆さん方、個人個人もおおいなる前進の七年間でいうと、このように決めきって、七年先にはひとりひとりが物心ともに大功徳をうけ、大勝利者になっていただきたいことを心からお願い申し上げます。
釈迦の仏法は歴史的にみまして、東洋全体に広宣流布したことは事実です。またAA諸国、豪州のほうまで流布されていた記憶もありますし、アメリカの太平洋沿岸、すなわち西部のへんまで流布されていたことも事実でありますし、またソ連の国土にまで流布されていたことも事実です。
また、キリスト教も、ご存知のごとく世界に流布されております。共産主義も世界の三分の一またはそれ以上に流布されていることも事実です。外道であっても、ひとつの思想というものは、それだけ流布されるものであり、なんらかの影響を与えるものです。
いわんや、末法の御本仏日蓮大聖人様の大仏法が、全世界に流布されないわけがないのです。力があり、時機相応であり、大功徳があるのです。また心ある人々は、どうしても、いままでの思想に矛盾を感じている。行き詰まりがある。それを打開する大哲学を欲しているのです。その序幕として、現在とうとうと大河の流れるがごとく、本尊流布がなされているのです。
したがって仏さまの哲学、仏法が流布されないわけがない。仏法は道理であります。だれびとも納得できるし、欲しているのです。したがって私どもが大確信をさらにもたねばならないことは、絶対に矛盾のない哲学であると。仏法のうえはとうぜんのこと、国法のうえからみても、社会的にみても、どんな点からみても、大聖人様の仏法には矛盾がなく、正しい。したがって創価学会の前進、創価学会の指導もぜんぶ正しいのです。そのことを確信をもって、指導の任にあたっていただきたいのです。
仏法のうえからも、国法のうえからも、世法のうえからも、社会のうえからも、みじんも矛盾がないし、正しいのです。道理のうえに立った行動であるわけです。
したがって、だれびとたりとも納得をする、理解するのが学会の指導です。
創価学会も日本一の大教団になりました。とうぜんのことであります。それで幹部の私どもが、現段階において注意しなくてはならないことは、無価値な争いをしないということです。創価学会というバックを利用して、自分のために学会の威を借りて、自分の名聞名利のためにいばりくさったり、あるいは、つまらない争いをすることは、これは法をさげることになるのです。あくまでも正しい指導、正しい戦いをしきっていただきたいことをお願いいたします。
幹部の私どもは一生成仏を成し遂げるまで、広宣流布を成し遂げるまで「前三後一」の決心が必要なのです。獅子が一匹のアリを取らんとするときにおいても、「前三」前に三歩、「後一」後ろに一歩さがって、そして、取っていくということです。
その用心、注意だけはいつももたなければ魔がはいるし、そしてまた後輩の人を、最後まで大信者にしあげきっていける確信がわいてきません。堕落してしまいます。その決心だけはもたなくてはなりませんが、また三障四魔、三類の強敵とも勇ましく、勇敢に戦っていくことはとうぜんでありますが、無価値な、つまらない争いだけは、またつまらない事件を起こさないようにすることだけは、幹部として注意をしていただきたいのです。
お陰さまで大客殿もりっぱに出来上がりまして、心から感謝申し上げております。
猊下もひじょうに喜んでくださっております。
また、大客殿落慶法要のときには、ゆっくりと見学をしていただきたいと思います。元気で四月もがんばってまいりましょう。たいへん、ご苦労さまでございました。