Nichiren・Ikeda
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不滅の大哲理
中部第一・第三本部地区部長会
1964.3.22 「会長講演集」第11巻
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1 たいへんに、おめでとうございました。(拍手)小平本部長は私の大先輩です。
私が心から尊敬している牧口門下生です。また石田本部長は、私が弟のごとくかわいがり、信頼し、将来、広宣流布への大闘士になるという確信をもち、育てている本部長であります。両本部長のもとに、どうか仲良く、楽しく、この本部を活用して前進されんことを心からお願い申し上げます。(拍手)
信心の目的は幸福になることです。日蓮大聖人様は「肉団の本尊を涌現せよ。肉団の妙法を涌現せよ」とおおせです。しあわせになるのも、不幸になるのも、しょせんは自分自身の一念できまるのです。どうか福運を積むために、楽しい一生を送るために、しっかり題目をあげきって、わが身の肉団の本尊を輝かせ、涌現させ、ほんとうに有意義な、楽しい一生であったという信心をしきっていただきたいことをお願い申し上げます。(拍手)
また大聖人様は「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」と、おおせです。“常勝中部”これが中部本部のあいことばですが、常勝中部のこの四文字を胸に刻んで、ある人は政治家として大勝利者になっていただきたい。
ある人は実業家として、大勝利者になっていただきたい。またある人は、教員として、りっぱな偉大なる教員になっていただきたいのです。
すなわち宿命と戦い、りっぱに勝ち、三障四魔と戦い、厳然と勝ちきった実相を示していただきたい。そして、わが身の「人間革命」の本を、ひとりひとりが出しきれる信心をしていただきたい。またわが身に人間革命を刻みきっていっていただきたい。このことを申し上げたいのです。(拍手)
日蓮正宗ためでもなければ、創価学会のためでもなけもば、広宣流布のためでもありません。しょせんは自分自身のためである、自分自身の信仰につうずるのである、自分自身が発心し、自分自身から信心を強め、そして社会のために尽くしていこう、その社会のために尽くしていくことが、しょせんは自分のためになっているのです。令法久住のためになっている、広宣流布につながっているという確信をもって、心ゆたかに戦っていただきたいのです。
また日蓮大聖人様は「妙法をたもっていないしあわせは、夢のなかの栄である。
まぼろしのようなものである」ともおおせです。根なし草であるという意味です。
興亡盛衰は世のつねである。どんなに栄えたものでも、やがては滅んでいくのです。妙法のみが永遠不滅の大哲理なのです。
したがって私どもは、あくまでも妙法をだきしめて、そして題目を声高らかにあげ、一生涯永久にこわれない財産、一生涯永遠につきない思い出を、つくりきっていただきたいことをお願い申し上げるのであります。目先だけの利害、そしてまた今世だけの有名などというものは、枝葉のようなものです。やがては枯れ葉になっていくことはとうぜんです。子孫末代まで、そしてまた、永久に思い出を残しきっていける戦いを、おたがいに、していこうではありませんか。(拍手)
最後に、先日ある代議士と会わざるをえないはめになりまして、ちょっとの時間会いました。いままでは保守政党も革新政党も、創価学会をバカにし、かつは弾圧を加え、いじめきってまいりました。彼らは権力をもち、または財力をもち、そしてまた大勢の議員を擁して、まじめな純粋なる信心をもった私どもを、いじめてまいりました。
その代議士いわく「今度はだんだん創価学会の力がわかってきた。創価学会は独裁だなあ」と。「なにをいうか」保守党は、いままで独裁で大衆を苦しめ、革新政党は、野党独裁としてどれだけいばりくさってきたかしれないのです。それが今日になって、やっと創価学会の力がわっかてくると驚き、なんともいいようがないもので、そういう暴言をはくにいたってしまったのです。
時代は大きく変わっております。あとは私どもの成長です。どんなに批判しようが、どんなに弾圧を加えようが、どんなにバカにしようが、妙法蓮華経は大宇宙の大法則です。その法則のうえに立ち上がった、力強い信心をもった民衆の進軍には、だれびともかなうわけは絶対にないと私は叫ぶものです。(拍手)
歴史は大きく変わっております。どうか最後の日本は、そしてまた東洋は、私ども大聖人様の弟子、大聖人様の使い、地涌の菩薩がかならず救済してみせるという大確信と大理想をもってゆうゆうと、力強く、地道に戦ってまいろうではありませんか。