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日蓮大聖人・池田大作

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恩師の七回忌を期して 関西総合本部幹部会

1964.3.17 「会長講演集」第11巻

前後
1  おかげさまで世紀の大客殿もりっぱに完成いたしました。また、恩師の七回忌も、勝利の前進のさなかに迎えることができました。そしてまた、ただいまお話がありましたごとく、関西本部の新館もでき上がり、組織のうえでは総合本部も完成し、私としまして戸田先生にもひじょうにご縁の深い関西に、また私にとっても、じつに縁の深い関西の同志の方々に、全学会人を代表しまして、たいへんにこの六年間、ご苦労さまでございましたというあいさつにまいったわけでございます。(拍手)
 どうか、またこの次の七年間を目標に、私とともに元気いっぱいに、あらゆる戦いに勝ち、三障四魔を打ち破り、人間革命をしきっていかれんことを、心から切望するしだいでございます。(拍手)
 巻頭言に「恩師の七回忌を期して」と題しまして、これからの七年間に対する私ども幹部一同の決意、心がけ等について書かせていただきました。どうかその点については、皆さん方おひとりおひとりが、私とともに実践していただきたいことをお願い申し上げます。
 最後に、ただいまもお話がありましたが、やれ折伏だ、やれ広宣流布だ、やれ教学だ、やれ信心即生活だと、さまざまなことを朝な夕な口にする、後輩にいう、指導していく、それはとうぜん大事なことであります。
 しかし、幹部みずからが、自分自身が折伏を実践し、自分自身が教学を実践し、自分自身が真心をこめて後輩の指導をし、自分自身が全魂を打ち込んで生活闘争する、そこに初めて、その幹部の言々句々が生きていくのです。後輩に対して、力強く確信を与えきることができるのです。
 そうでない観念的なことは、義務的な指導は、それは形式的な指導であり、信心ではありえません。幹部になった、組織のうえで偉くなったからといって、けっして信心が向上しているとは断定できないのです。
 また社会的に偉くなった。だからといって、信心が決定しているとはいいきれません。信心は一生です。自分自身が、りっぱに日蓮大聖人様のおおせどおりに水の流れるごとく実践し、学会の幹部として「さすがにあの人はりっぱな信心をもった幹部である」と、後輩から信頼と尊敬をされる幹部でなければならないのです。
 どうか、くれぐれも大聖人様の大仏法をまじめに実践しきる幹部、強く実践しきれる幹部、創価学会の幹部として「あの人についていけば間違いない」「この人のいうことは納得できる」「あの人の行動は尊敬できる」「あの人に会えば安心できる」「なんとなく信心に自信がつきそして自分が向上していくような気がする」このように、ひとりひとりがりっぱな幹部になっていこうではありませんか。(拍手)
 広宣流布の布石はでき上がっております。あとは私は、皆さん方幹部が偉大なる成長をしていただきたいのです。名実ともに、学会内においてはとうぜんのこと、社会においても力ある指導者になっていただくことのみが、最後の広宣流布の決定線である、このように思っているしだいです。
 私もがんばってまいります。どうか全学会人を代表して、関西の幹部の同志の皆さん方が、全国にさきだって、力強く、ゆうゆうと次の七年間への船出をしていただきたい。このことを心からお願い申し上げまして、私の話とさせていただきます。ご苦労さまでした。

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