Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

不自惜身命で進もう 第46回本部幹部会

1964.2.27 「会長講演集」第11巻

前後
1  二月度の戦い、たいへんにご苦労さまでございました。(拍手)
 さきほど、指導部長からお話がありましたとおりでございますが、学会の、広宣流布へ向かっていく戦いは持久戦であります。長い広宣流布への旅路です。私は最高責任者として、皆さん方のからだのことをいちばん心配しているのです。
 ひとりも事故があってはならない。病気があってはならない。また、商売のほうに支障をきたしてはならない。このことを、いつも心配しているのです。
 そのひとつとして、創価学会の活動は、午後九時半でいっさい終了するようにする。幹部になりますと、いろいろな連絡ならびに打ち合わせ等がありますもので、すぐ帰るわけにはいかない。したがって、多少の時間は必要である。午後十一時まではやむをえないであろう。十一時になったならば、ぜんぶ家路に向かっていただきたい。そして、一家のだんらんをつくっていただきたい。ゆっくり勤行もしていただきたい。こういう気持ちなのです。
 この点、どうかひとつ実行していただきたいと思うのです。よろしく頼みます。
 (拍手)賛成の人、手を上げてください。満場一致、衆参両議院もなんでもこうなるといいのですが。(拍手)四百人や五百人でも一致しないのが日本の現状ですが、うちの場合には、一万何千人でも、いっぺんにまとまってしまうのですから、(笑い)将来、きっと恐ろしいと思うでしょう。(拍手)だが、これはべつにたいした重大問題ではない。(笑い)だが長い闘争からみるならば、さまざまな重要なる議題も、広宣流布のために、異体同心として、いっさいが決まっていく、その一歩の縮図であると、こういうふうに確信したいと思うのです。
 それで、今度は夜るが早いと、頭のいい人は反対に「朝早く集まろうではないか」。(笑い)そういうヘーゲルの弁証法が出る。(笑い)したがって、私は朝の会合がもしかあるような場合があったとしても、絶対に午前十時以前の会合はしてはならない。十時以降にしていただきたい。日曜日だけは、これは九時から会合をしてもよろしいのではないかと。早朝勤行等はいっさい禁止する。ぜんぶ自分の家でしっかり勤行をすれば、いっさいが含まれる。ただし、選挙戦が始まった場合には、また考えなおしてがんばりたいと、こういう考えですけれども、よろしいでしょうか。(拍手)
 普通の日は午前十時以降の会合にする。十時以前には会合はもたない。日曜日は九時以降にする。このことを決定したいと思います。そして、楽しく、信仰即生活のリズムをもって、ゆうゆうと学会活動をしていただきたい。これが私の念願なのです。
 また、価値的に行動をとっていただきたい。連絡等も合理的にやっていただきたいのです。いつもお会いするたびに、また、生活をしているそのなかにおいて、生き生きと、はつらつと元気いっぱいの法・報・応の三身でなければならない、生命でなくてはならない。いつ会っても、ねむたそうな、(笑い)いつ会っても頭がもうろうとしているような、(笑い)そういう幹部がいたならば事故のもとであり、無価値です。
 おそくまで起きていたから生命力が強い、信心が強いという意味とは本質的に違う問題であります。とくに後輩の方々に対しては、また、婦人や女子部員に対しては、できるだけ早く家へ帰すように、私に代わって指導をお願いいたします。(拍手)
 なんだか話によると、ある幹部の人は、時計を一時間繰り上げていたというのです。(笑い)
 そういうことはやめてください。「どうも時間がなかなか進まないな」「まだ十一時だからいいでしょ」といっていたら、よく自分の時計を見たら、もう十二時になっていたと。(笑い)そういうつまらないことはやめていただいて、堂々と、ゆうゆうと、師子王のごとく信心もし、生活もして「ああ、なんと創価学会は楽しそうなのだろう、ゆうゆうたる人生だなあ、たいしたものだ、うらやましい」このように名実ともにいわれるような、わが学会の前進にしようではありませんか。(拍手)
 このたび、大客殿の落慶が皆さん方のおかげをもちまして、りっぱにできうる予定になりました。この大客殿落慶を記念しまして、三百万人の登山がなされます。
 その登山者の方々に猊下より短冊をちょうだいいたしました。
 その短冊には「不自惜身命」と揮ごうあそばされておられます。じっさい、もう何十万枚か本部のほうにまいりまして、最初は地区部長・地区担当員さん、班長・班担当員さんにできるだけ早くお渡しするように、本日手配をいたしました。
 不自惜身命ということばは、皆さん方も、いつも耳にするご金言です。寿量品の「一心欲見仏・不自惜身命」信心の究極の決意なのです。三大秘法に約するならば、一心欲見仏・不自惜身命とは、題目にあたるわけです。私どもが大御本尊に題目を唱えることは、仏を見奉らんとし、あえて身命を惜しまずとの修行をしていることになるのです。
 ゆえに不自惜身命でなければ成仏できない。では不自惜身命とは、どういうことをすればいいのか。ありがたいことに、折伏の団体であり、仏意、仏勅をこうむった創価学会員となって、朝な夕な心豊かに題目をあげ、そして自分に与えられた立ち場で、信・行・学に励む、すなわち学会活動をまじめにやることが、一心欲見仏・不自惜身命になるのです。すなわち大御本尊様に照らされていくならば、りっぱにそれは不自惜身命なのです。
 私どもは、人類三十数億に先駆けて、王仏冥合実現のため、また一閻浮提にひろめていく先駆者として、不自惜身命の正しい実践をしきっている、大聖人様のおほめはもちろんのこと、ぜんぶまじめに責任をもって戦っていく創価学会員は、成仏することは絶対に間違いないという確信をもって、進んでいっていただきたいのです。(拍手)三月の末の幹部会もこの会場であります。どうか、ひとりももれなく、元気いっぱいに、明るい顔で、またお目にかかろうではございませんか。ご苦労さまでございました。

1
1