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日蓮大聖人・池田大作

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冥益を確信して 山形会館入仏式

1964.2.18 「会長講演集」第11巻

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1  たいへんに、おめでとうございました。(拍手)
 依正不二、そして境智冥合、本末究竟等ということは、どんな場合でも、原理として応用される哲学であります。
 さきほど「北海道でもよい天気である。そしてまた仙台でも、山形でも、ひじょうに暖かいよい天気であった」とのお話がありましたが、私はいつも思うのです。
 現地の同志の人々が、真心こめて大御本尊様にお願いしてくださり、そして、りっぱな儀式を、会合を成し遂げていこうという心の発露が、境智冥合され、本末究竟されて現実の証拠となってあらわれるのです。このように、私は私の立ち場として感謝をしているわけです。どうかひとつ、天気の悪いときもあるかもしれませんけれども、そのときに退転しないように、よろしくお願いします。(拍手)
 兵法のひとつにも、指揮者ひとりでは戦いはできない。また軍勢だけたくさんあっても、指揮者がいなければ、将軍がいなければ、戦いは勝てないということがあります。いずれの世界をみましても、境智冥合、本末究竟、そして依正不二の、理想的なこの方程式にかなった社会、団体は創価学会以外にはありえません。
 どんな教団でも、政党でも、会社でも、根底はぜんぶ権力闘争であるか、利害であるか、または打算であるといっても過言ではないのです。そこへきますと、わが創価学会だけは大御本尊様を根本として、最高に理想的な教団であり、社会であると、私は確信しております。境智冥合されきった教団であり、そして本末究竟した等しい同志の結合なのです。
 したがって、王仏冥合をめざしていかなる戦いをしても、この心さえ失わなければ、ぜんぶ大勝利を博することができると確信して私は疑わないのです。
 一昨日は、北海道の大幹部会がありまして、そのなかで質問会をしました。ある婦人部の幹部から話がありました。というのは、自分の支部の地区部長、地区担当員が、このたびの教学試験で落第してしまって、戦いがにぶってしまったという質問なのです。
 このなかにも教学の試験に落ちた人がたくさんいると思います。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」と、日蓮大聖人様はしっかり勉強しなさいとおおせです。それ自身が信心であり、成仏への源泉になるわけです。一遍は二遍、試験に落ちたからといって、力を落とさないように、激励していただきたいと思うわけです。
 それで、その大幹部会で「試験に落ちた経験のある人は手を上げなさい」といいましたら、大幹部が、九〇パーセントはみんな落ちたことがあるのです。ですから、信心の世界だけは真っ裸でいい、虚栄もいらなければ、形式もいらないのです。
 あくまでも一生成仏するための学会であり、信心です。
 幹部だから幹部づらをしなければいけない、後輩にかっこうが悪い、そういう卑屈な、虚栄的な心だけはかなぐり捨てるのです。一歩、社会へ出れば、商売のうえや、それから近所の付き合いや、その他いろいろそういう形式や虚栄も考えられることは、凡夫ですからやむをえないでしょう。
 だが、信心を根本とした私どもの世界だけは、いかなる失敗があったとしても、変毒為薬ができる、罰即利益である、恥ではないという自覚をもって、いっさいを、次の人間革命への出発点であるという心意気をもって、がんばっていただきたいのです。ともに後輩の人を激励していただきたいと思うのです。
 また、きのうは、仙台で同じく幹部会をいたしました。そのなかで、ある地区担当委員の方がもう信心は十年以上になるのですが、ひじょうに不幸であった。「仙台第一の不幸者でありました」と、確信をもって(笑い)いっておりましたが、その方がしあわせになったという体験発表がありました。
 主人もよくなかったらしいのです。提婆達多の生まれ変わりだと。(笑い)いまでは夫婦も仲がいい。家庭もよくなったらしいのです。奥さんの表情も生き生きとして明るい。娘さんも組長さんになったといっておりました。人間革命の姿です。
 一家の革命の現実の証拠です。それほど残酷な、不幸のどん底にあった人なのです。
 それが、信心を五年、十年として、最後はそのようにりっぱな幸福の姿を示しているのです。いわんや皆さん方がまじめな信心、強盛なる信心をしきって、さらにさらに大福運を積めないわけはありません。したがって私の申し上げたいことは「末法の功徳は冥益である」十年、二十年、どんなことがあっても御本尊様をだきしめて「絶対に幸福になれるのだ」「宿命転換しきれるのだ」このひとことだけを、胸の奥の奥に刻みつけて、勇敢に仏道修行しきっていただきたい。このことをお願い申し上げたいのです。
 いくらりっぱな指導をしようが、いくらりっぱな成績で教学部員になろうが、最後の最後まで、強い強い信心がなければなんにもなりません。目先のことで、三障四魔が起きて、すぐに緑に紛動されるようであっては、一生成仏はできえません。
 永遠にこわれない幸福は、勝ち取ることはできないのです。
 歴史をみても、キリスト教であっても、今日のように世界にひろまるためには、どれほどの迫害をうけ、戦いをし、そして、また菩薩の道を歩んできたかはかり知れません。共産主義も同じです。どれほどか戦いをし、弾圧をうけ、苦しみぬいて今日の勝利を得たかしれません。いわんや、その他イスラム教にしても、儒教にしても、いっさいの今日まで戦ってきた人、偉大なる人、そしてまた思想は、そういう変遷を経てきたことはとうぜんのことです。
 いわんや、末法万年尽未来際まで一切衆生をお救いくださる、三大秘法の大御本尊様の流布にあっては、大聖人様の大仏法の一閻浮提広布にあたっては、三障四魔が起こることはとうぜんであります。だが私どもは、幸福にも大御本尊様の加護、諸天善神の加護によって、まったく三障四魔らしい三障四魔はないぐらいで、これほどの大偉業を成し遂げました。
 私どもは、さきほども申し上げた革命家や思想家と違って、百千万億倍も現実にひとりひとりが幸福になり、家庭も福運をもちながらの戦いをすることができたのです。どうか、一生成仏のためにも、そして王仏冥合実現のためにも、子孫末代まで大福運を回向するためにも、勇気をもって前進しきっていこうではありませんか。(拍手)
 けっして目先のことで紛動されないで、感情的になって退転するようなことなく、十年、二十年、一生涯、御本尊様をだきしめて、日蓮大聖人様のおおせどおりに信心しきる、王仏冥合のために前進しきる、創価学会と離れない、この決心だけをおもちになれば、信心の究極であり、極理であると私は思うのです。
 さきほど辻副理事長からお話もありましたが、たくさんの同志の方々が迎えてくださいましたが、心から私も感謝しております。どうか、皆さん方からも、くれぐれもよろしくお伝え願いたいと思います。おめでとうございました。

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