Nichiren・Ikeda
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社会の繁栄築く
四国第一本部地区部長会
1964.1.16 「会長講演集」第11巻
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1 創価学会は日蓮大聖人様の仏法を、そのまま実践しきる団体です。あくまでも信心根本です。大聖人様の究極のご命令はなにか。それは王仏冥合を実現せよというご命令です。それ以外に個人の幸福と社会の繁栄はありえないのです。
さきほども、船の中で、辻先生、北条先生たちと話していたのですが、現実は、個人といっても社会のなかにあるわけです。とうぜん社会の規制が必要になります。また社会といっても、せんじつめれば個人個人の集団です。したがって“王”とは政治、広くいえば社会です。“仏”とは仏法、信心であり、個人の本源的革命、幸福確立です。
したがって大聖人様の仏法の第一歩の根本は、とうぜん個人の一生成仏にあることはあたりまえでありますけれども、再往は王仏冥合です。個人が一生成仏し、幸福になるとともに、全民衆を救わなくてはならない。すなわち化儀の広宣流布を成し遂げなければ、王仏冥合を実現しなければ、真実の個人の幸福はありえないのです。「立正安国論」(17㌻)のみを拝しましても、その哲理なのです。いわんや「三大秘法抄」(1021㌻)その他の御書を拝すれば、このことはさらにさらに明確です。
したがって、信心がりっぱであることは根本になりますが、すなわち大聖人様のよき弟子、日蓮正宗のよき大信者、創価学会のりっぱな会員であるということ、信心根幹であることは第一義の問題ですが、ただし、おじいさんでも、おばあさんでも、子供でも、純粋な、純真な信者はたくさんおります。その信心を根本として、
今度は応用であり、化儀です。化儀とは応用ということです。現実的にいえば立体作戦ということです。
化儀の“化”は応用です。“科学”の“化”は化けるほうですが、いま仏法の立ち場からは“形式”をいうわけです。制度とか政治になります。けっきょくは、社会を意味することになるのです。
法体といえば、あくまでも南無妙法蓮華経です。御本尊様のご建立を根幹とした法体の広宣流布に対し、化儀の広宣流布は、その御本尊様を根本として、ぜんぶの人が御本尊様を拝んでしあわせになっていくことです。また、いくらわれわれが大信者といっても、社会に生きる以外、九界のこの現実の社会に生活する以外にないのです。
今度は、その社会をりっぱに繁栄させていくということは、ある人は政治家に、ある人は教育者に、ある人は芸術家に、ある人は科学者に、ある人は経営者に、ある人は外交官に、ある人はりっぱな力ある商人に、ある人はりっぱな工員にとなっ
ていくことです。そういえば種々雑多になりますけれども、あらゆる現実の社会において、妙法をだきしめた人々が、そこで大きく価値創造していく、第一人者になっていくことです。
民主主義の時代であり、あらゆる広宣流布の角度に民衆の力を結集していく、そういう状態が応用になるのです。その点からまた考えていただきたいと思います。