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日蓮大聖人・池田大作

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民衆救う栄誉の人 男子部新任幹部任命式

1964.1.9 「会長講演集」第11巻

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1  立宗七百十二年の一年間の有意義な広宣流布へ進む出発にあたって、最初の男子部幹部会であります。そしてまた、本部幹部会にさきだって、青年部において、また学会にとっても、本年最初の最高幹部の任命であります。
 また、私にとっては、本門の戦にはいり、十年、二十年先をめざした第一歩の任命といっても過言ではありません。ひとりも退転なく、成長に成長を重ねて、名実ともに王仏冥合の大指導者に育っていただきたい。このことを心から祈ってやみません。(拍手)
 また、かつて、戸田先生を中心としまして、河口湖に水滸会の催しがありまして、戸田先生の指導をあおいでいたときに、ある青年部の部隊長が「錦を飾って故郷に帰りたい」という意味の話をしたときに、戸田先生が「部隊長として故郷に帰ることは、最高の錦を飾ることではないか、最高の栄誉ではないか」と、このように、厳粛に、そしてまた、きびしく指導なされたことが、脳裏にきざみついております。
 それは、戸田先生は学会が大事であるから、または青年を喜ばせてあげたいから申されたとも考えられますけれども、そんな軽薄な、そんな形式的な、人を釣るようなご精神で申されたのではないということを、私はいまになってしみじみと感ずるのです。そのときも、それは、私は私なりに感じておりました。
 何十人、何百人、ある場合には何千人の日本の指導者が、どうしても救うことのできない青年を、根本的にめんどうをみ、救いきっているその崇高なる活動、そしてまた、五濁爛漫のこの世界において、日蓮大聖人様のおおせどおりに仏国土を建設しよう、日本民衆を救おう、根本的に日本の国を思って戦っているその栄誉、一銭ももらわず、自分自身も大生命哲学を実践して、そしてまた、後輩や隣人を救おうと、あらゆることを馬耳東風で、批判をあびせられているなかに戦いきっている、その地涌の菩薩の旗がしらである部隊長、学会の幹部というものは、知る人ぞ知るです。
 小人がいくら偏見をもち、怨嫉をもち、無認識で、とやかくいっても、三世十方の仏菩薩からみるならば、そしてまた、長い長い歴史のうえからみるならば、また、人間性の本質からみるならば、日蓮大聖人様の御眼からみるならば、私は諸君こそ先生の申された栄誉のなかの栄誉であり、これ以上の錦はない、このように確信してやみません。(拍手)
 どうかひとつ、力を合わせて、きょう集まった新任幹部の諸君が、たいへんにこれは僣越ないいかたではありますが、一つには地涌の菩薩の旗がしらとして、一つには日蓮大聖人様の直弟子として、一つには民衆救済の先駆者として、一つには池
 田大作となっていただいて、学会を守り、そしてまた、大聖人様の仏法を証明しきっていただきたいことを、心から念願するものであります。
 異体同心ということばがあります。さきほどもその話をしていたのですが、異体同心の心とは団結という意味です。すなわち、団結は、広宣流布という目的にたった団結です。信心の心の団結です。
 異体同心の心とは信心です。異体とは、あらゆる分野において、あらゆる個性を生かして、あらゆる境遇において、自分らしく、あらゆる社会においてりっぱに活躍をしていくことが異体です。したがって、皆さん方が有意義に、思う存分に人生を生ききって、信心を根本にして、広宣流布のりっぱな活躍をし、証明をしきっていっていただきたいのです。(拍手)
 学会には組織があるから組織にしばられるとか、やれ一から十までみんな同じ行動をとっていかなければならないとか、そういうせせこましい、小さいものではありません。大御本尊様は宇宙大です。創価学会は全民衆、全世界を救いきるという一閻浮提第一の大御本尊様を根本とした、一閻浮提の人々を救いきるための大哲学です。各人の特色、分野、境遇を生かし、どうか社会で思う存分に成長していただきたいことをお願い申し上げます。
 その根底は信心であり、あくまでも王仏冥合という目的、広宣流布という目的、化儀の広宣流布という大目的に立たなければなりません。その大道から離れては、成仏もありえないし、無意義であり、有名主義になってしまういますし、それであってはならないわけです。
 学会では年賀状を出すということは禁止をしております。虚礼は禁止をしておりますが、何人かの人からやはり私の家へ年賀状がきまして、ほとんどは知った方々でありますけれども、やはり、私も真心としてぜんぶ目をとおしましたが、そのなかに、たどたどしい字で、表には「学歴のない一青年部員より」という差し出し人の記名がありまして、裏を見ますと、胸を打つようなことが書いてありました。
 それは、いろいろな、年賀のことが書いてありますが、その一枚だけはこれは、とっておこうと、差し出し人がわからないから、かえって私はいいと思いまして、とっておきました。字はへたでありますけれども、真心あふれる手紙なのです。
 それは、「自分は名もない一青年部員であるけれども、広宣流布のために、そしてまた、陰ながら会長を守っていきたい、学会を守っていきたい、これしか日本の国のしあわせもない、自分たちのしあわせもない、どうか世界の平和のために、しっかりお願いします」と、大要は、そういう意味でした。私は、陰にこういう青年部の人がいるということは、学会は磐石だ! こう確信したのです。さらにさらに心を打たれ、さらに心を強めたしだいなのです。
 どこにどういう強盛なる信心の人がいるかわからない。ちょっとみますと、学会人ということばがなかったもので、これは信心していない人かと思ったぐらいの文面だったのです。読んでみますと、そうではなくして、自分は学問もないし、力がなくて分隊長にもなれない、だけれども、自分は自分なりに一生懸命、恥ずかしくない戦いもしておりますと、こういう長々とした文面でありましたが、こういう人も、皆さん方の後輩のなかにはいると思うのです。
 どうか、ひとりももれなく適材適所で、ぜんぶを、包容力をもって、忍耐強く指導しきっていっていただきたい、指導をとっていただきたいことをお願い申し上げたいのです。(拍手)
 最後に、からだを大事にして、これから十年、二十年、三十年へ向かっていくべき戦いでありますから、遠征の戦いです。短兵急の戦いではありません。現実も大事です。足元をしっかり固めて、そして持久戦である広宣流布をなしとげるまで、「不開の門」を開くまで、絶対に戦いきっていく、先頭に立つ旗がしらである、持久戦なのだという余裕と、そしてまた、覚悟をもって前進していただきたいのです。(拍手)
 ご健闘を心からお祈り申し上げまして、任命の式といたします。たいへんにおめでとうございました。

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