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日蓮大聖人・池田大作

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王仏冥合の革命児 入仏落成式

1963.12.27 「会長講演集」第10巻

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1  私たちが、まず、根本的に誇りとするところは、大御本尊様をたもったということであります。大御本尊様は私ども一切衆生が成仏できうる、すなわち永遠の幸福を確立できうる根本原理です。これ以外に成仏の直通はないし、幸福を勝ち取る方程式もありえないわけであります。
 この御本尊様に対し、すなわち大宇宙の大法則である南無妙法蓮華経に対し、だれびともどうしようもない。この法則だけは永遠にくずれない大法則であることは、御書に照らし、経文に照らし、現実に私どもが信心した感応のうえから証拠のうえから明確であります。
 いかなる国の大統領が御本尊様に対しなんといおうが、日本の総理大臣や大臣級の権力者がなんといおうが、警視庁がなんといおうが、そんなことは大聖人様の御目から見るならば小さな問題であります。その大御本尊様を三十何億の大聖人様の子供の先駆者として、早く知りえたということは最高の名誉です。そしてまた、最高の誇りとして、私どもはしあわせなる証拠を示していくべき使命が、義務があると思わなくてはならないと思うのです。
 第二番目に誇りとするところは七百十二年間のあいだ、法灯連綿と日蓮正宗が伝わっているというこの事実であります。
 六十六世日達上人猊下の御代まで、そのへんの新興宗教や、また末法の御本仏日蓮大聖人様に弓を引いて、金もうけだけをして堕落しきった宗教団体とは教団とは根本的に違います。私どもは毎月、そしてまた毎年、日蓮正宗の総本山である富士大石寺に、すなわち霊鷺山会にはせ参ずることができるのです。その名誉そしてまた福運は計り知れないものと、私は喜び勇んで信心に精進をしていかねばならないと思うのです。
 第三番目に、これは私にとってでありますが、創価学会にはたくさんの大人材がいるという事実であります。
 いずれの世界をみても、人材がおりません。いま世の中はみんな二流三流の人材が一流の人材と錯覚されている乱世であります。そこへいきますと、私のそばだけをみましても、原島理事長をはじめ副理事長、理事室と、私よりも何倍、何十倍もすぐれた皆さん方の先輩である指導者がおります。
 したがって私は、私自身はたいしたことはない人間でありますが、一生懸命がんばっておりますけれども、私は皆さん方に、りっぱな大先輩がたくさんいるから安心しきってもらいたいということと、そしてまた、大御本尊様は絶対であるということを申し上げたいのです。私は俳優でもなければ、べつにいい顔をしたから指導者が増すとか、そんなことはないわけで、王仏冥合の指導者として、革命児として、そしてまた、皆さん方を守りきるという、広宣流布をなしきるという、その決心の青年会長として厳然と指揮をとってまいりますから、ご後援をお願いします。(拍手)
2  昨日、前橋会館の落成式が終わりました。十年か十何年前かに理事長がやはりそちらへ行かれまして、ある病院でどうしても講義にこられない肺結核の人がいて、そのときの思い出話をしてくれました。今度行ったならば、その当時動けなかったような人が、いま班長になり、地区部長になって第一戦で戦っているという事実であります。
 そしてまた柏原先生からも話を聞いたのですが、前橋はまだ五十世帯のとき、班長は庭山さんで、そのときの組長級はみんな貧乏なやお屋さんであったり、サカナ屋さんであったり、自転車屋さんであったり、貧乏のどん底でありました。その同志が大御本尊様をだきしめて、五年、十年と戦いきって、いまでは、またある人は地区部長に、ある人は班長になって、そして前橋、群馬のほうの広宣流布の礎になっているということを聞きました。まことに心強いかぎりであり、学会っ子は強い、このように深く胸をうたれたわけなのであります。
 十年、十五年信心して、それだけ悪戦苦闘して戦ってくれば、ぜんぶが大幹部になってもとうぜんなのですけれども、その人その人の立ち場もあるし、指導力の問題もありますし、その前後は私にとっては、そしてまた、根本は御本尊様に対してみるならば、平等であると思うのです。
 ある人は大幹部になり、ある人は地区部長、班長、組長であっても、その信心、学会精神は私は平等であり、もっとも尊い信心の姿である、このように思うわけであります。

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