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後輩に深い思いやり 入仏落成式

1963.12.26 「会長講演集」第10巻

前後
1  本日はたいへんにおめでとうございました。(拍手)
 いままで相原先生から話がありましたごとく、どれほどか前橋の今日までの発展に対し、苦難な道を歩んできたかということを私はよく存じております。本日の会館落成式に、このように人材が集まって、前橋の広宣流布の序幕ともいうべきひとつの姿を示してくれました。
 いままで、苦しい、そしてまた悲しいいやなことがあったかもしれません。しかし、私も御本尊様にしっかりお願いを申し上げました。私もこの地にまいりましたからには、きょうからは勇気をもって、最後の最後まで大福運を積むために、有意義なる一生を終わるためにがんばりきっていただきたいと思います。(拍手)
 絶対負けてはなりません。仏法は勝負です。仏の軍が負けるわけはありません。大御本尊様をたもった者が、地涌の菩薩が不幸になるわけはないのです。自分の魔と、そしてまた三障四魔と毅然と戦い、ゆうゆうと戦って「大御本尊様、こんなにもしあわせになりました」といいきれるひとりひとりになっていただきたいことを、心から念願してやまないものであります。(拍手)
 いま原島先生から話がありましたごとく、私は来年三十六歳であります。まだまだこれからが、私の皆さん方におこたえする人生であります。会長としての使命があります。来年こそいままで以上に私は題目をあげ、勉強をしきって前進する決心であります。それもせんぶ広宣流布のため、そしてまた皆さん方のため勉強し唱題いたします。
 どうか来年も、私とともに、大御本尊様に照らされて、苦楽をともにしていっていただきたいことをお願い申し上げます。
 私はどこにも負けない決心であります。自信ももっております。皆さん方も信心第一に、その決意と自信と希望をもって前進してください。(拍手)
2  また、この会場をお借りしまして、本年最後の会合になりますもので申し上げさせていただきます。
 ということは、ひとつは本年じゅうに、まだまだ、ある支部、ある本部に激励やら、指導に行く約束をしていたところがあるかもしれません。また、個人的にも約束をしていた人があるかもしれませんが、いかんせん、多忙であったため、また私の不徳のいたすところで、約束を履行できずに終わったところがあることを、この席を借りまして深くおわび申し上げたい、これがひとつであります。
 それから幹部の方々は、願わくは後輩の人々に対して、思いやり深くあっていただきたい。組織のうえで幹部になったからといって権威主義になってしまったり、まるで自分が偉くなってしまったような錯覚を起こすことは、これは厳禁です。それは絶対に学会の指導ではありません。あくまでも人間味豊かに御本尊様のもとにぜんぶ平等であります。暖かく細かいところまで一人前の大信者にさせるために、幸福になりきっていかせるために忍耐強く持久戦をもって後輩の人々のめんどうをみていただきたいと思います。
 幹部づらしては絶対にならないということを申し上げておきます。
 そしてまた後輩の人から慕われる幹部でなくてはならない。こわいからついていく、そしてまた組織のうえで、やむをえないからついていかざるをえないという組織利用をする幹部であってはならない。後輩の人々から、心から慕われる「ああ、あの人についていけば安心だ、あの人のいうことは納得できる、きびしいけれども大聖人様のおおせどおりである、学会の指導どおりである」と、心の底から慕われる、そういう幹部になっていただきたいのであります。
3  いま黒柳本部長はひじょうによく戦ってくださっておりまして、私の片腕であります。私が弟と思っている人であります。
 また、皆さん方の先輩である庭山さんも、私がひじょうに尊敬をしている年配者のなかのひとりであります。
 まあ、ちょっと見ますと顔を合わせただけでほほえましくなるような人でありますが、このおふたり、青年本部長と、年配者である庭山さんは、もっとも模範的なコンビであります。どうか、おふたりにしっかりついて、私と思ってついてがんばりきっていただければ間違いないということをいい残しておきます。
 このふたりにつけないような人は敵です。これだけ申し上げておきたいと思うのであります。
 それからついでになりますけれども、たまに幹部のなかに自分個人の事業に失敗したり、また信心もろくにしないで、または信心利用をして罰をうけて、ひじょうに大勢の人に迷惑をかける人がでるのです。そういう場合に、自分が学会の幹部だということをもっとも利用して後輩の人たちに錯覚を起こさす。そういう悪い、ひきょうな幹部がたまにでるのです。それは大謗法であります。
 学会の指導に根本的に反するもっとも憎むべき幹部でありますが、そういう幹部であってはなりません。
 ということは極端にいえば、たとえば交通事故があった。自分が事故を起こしておきながら、おれは学会の幹部だと、学会がひじょうに偉大であり力があるためにそれをカサにきて、社会の人たちにくってかかるというようなことで、学会がたいへん迷惑をうけることがあるのです。
 自分が悪いことをして、それを学会が大きいがゆえに議員さんやそれから力ある人がたくさんいるがゆえに、それを利用して看板にしてカサにきて、うんぬんするようなことは、これはあってはならないわけです。
4  大聖人様は「乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」とおおせです。
 自分がよいときにはいいけれども、悪いときになって学会を利用しよう、そういうことは絶対にないようにお願いしたいのです。
 ひとりのために大勢の善良なる学会員が迷惑をし、そしてまた広宣流布の大きい妨げになるわけです。こういうことがたまにありましたけれども、前橋にはそういうことはいままでにありません。群馬にもありませんが、この席を借りて将来のために、いわせておいていただきたい。
 どうかひとつ、よいお正月をお迎えになっていただきたいことを最後にお祈り申し上げ、私の激励とさせていただきます。長いあいだ、ご苦労さまでした。

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