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日蓮大聖人・池田大作

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「福運」妙法で開く 第11回女子部総会

1963.12.15 「会長講演集」第10巻

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1  本日は、たいへんに元気いっぱいの総会、おめでとうございました。(拍手)
 また、この一年間、王仏冥合の実現達成のために、私といっしょに苦楽をともにしてくださり、大なる学会の前進ができえましたが、その源泉であった女子部に対し、心から感謝申し上げるしだいであります。ご苦労さまでございました。(拍手)
 話しは変わりますが、さきほどの女子部長の話をはじめとして女子部の幹部の々の雄弁あふるる演説に対し、男性軍を代表して、いささかおじけたしだいであります。(笑い)どうやら女子部のうほから、やがては国会議員が出たほうが、よろしいのではないかと、こう想像したのです。(拍手)
 こういうふうに話しておくと、この次は男子部総会でしょ。秋谷青年部長や星野君や吉田君が「なにを!」といって元気でやります。きっと(笑い)結局、そうすれば男子を動かした源泉になるわけであります。(笑い)
 また、もったいなくも、御法主上人猊下より「女性のほうが男子よりもはるかに折伏をしている。そしてまた忍耐強く信心も深い」というお話がありまして、さらにさらに私は、もう第四代の会長は女性のほうがいいのではないかと、(笑い、拍手)このようにうらやんだしだいでございます。(笑い)
 それほど賛嘆され、そしてまた皆さん方に期待をかけておられる猊下様であります。その期待にこたえるためには、第一にも第二にも信心強盛になって「論より証拠」「文証、理証より現証にしかず」といわれるように、生活のうえ、そしてまた、自分自身の生活活動のうえに、これほどしあわせになったという証拠を示しきっていけるひとりひとりの信心修行であっていただきたい。このように切望するものであります。(拍手)
 大聖人様は「福智ともに南無妙法蓮華経」(御義口伝792㌻)とおおせであります。女性にとっても、もっとも大事なことは、福運であります。その福運を積むべき原理、源泉はなにか。どの哲学、どの思想、どの宗教をたずねても、その根本原理はありません。
 それは、釈迦の八万法蔵に照らし、末法今時においては、日蓮大聖人様の出世の本懐である三大秘法の御本尊様しかないと断言いたします。いずれの世界、いずれの人々にこれをたずねてもありえません。日蓮正宗しかないのです。
2  よく、皆さん方も読んだと思いますが、モーパッサンの「女の一生」また山本有三の「女の一生」最近では有吉佐和子の「香華」その他、文学だけをみても、どれほどたくさんの女性問題を取り上げた文学があるか。そのほとんどは、ぜんぶ女性の悲惨史であり、悲哀史でありまた結論は不幸の現証であります。
 したがって、宿命を転換し、どのように福運を積んでいったならばいいのか、これがいっさいの根本問題、重要問題です。いくら国会で大事そうな問題を討議し、たとえ国連で大事そうな問題を協議したといっても、まだまだそれだけでは「砂上の桜閣」です。もう一重、そしてもう一段立ちいった生命の本源の解決、もっとも身近に、もっとも生活のうえに、福運を積んで問題を解決していくということが大事です。これが、どんな偉い人であろうが、どんな庶民であろうが、学校を出た人であろうが、学校を出てない人であろうが、法の奥底より論ずれば直理であると私は思います。
 冷静に世の中を見、歴史を見、自分自身の行動をみた場合に、一寸さきはヤミであります。先日も三池炭鉱事件、そしてまた横須賀線の大事故がありましたが、それらは他人のことのように思うけれども、いつ自分のことになるかわかりません。
 それほど、人生は危険な道を歩んでおります。
 皆さん方も、だれと結婚するか、いくら、いま、しあわせそうであっても、家庭がよかったとしても、いったん結婚に失敗するならば、一生不幸す。「それは自分がみそめた人だからいいだろう」とこういっても(笑い)またはおとうさんおかあさんが決めてくださったのだから間違いがない、親類の人が決め手くださったのだから間違いないといってもそうはいきません。
 また、いつ離婚するかもわからない、いつ主人が死ぬもわからない。どういう子供ができるかもしれない。今度はその子供がどういうふうな宿命を背負って生まれ、そしてまた成長するかわからない。自分自身もいつ、どういう災難があるか、これから十年先、二十年先にどういう人生になっていくかもわからないのです。
3  そう考えた場合には、政治や科学だけでは解決できない、もう一歩根幹的な問題が残されています。それを解決するのが日蓮大聖人様の御本尊様です。本尊とは根本尊敬ということで根本の「本」そしてまた尊敬の「尊」で本尊となるわけです。
 したがって宇宙の根本であり、われわれの幸福の根本であり、これ以外に根本はありえません。絶対というものは御本尊様以外にありえないのです。
 これをはずれたら、もう不幸であります。その御本尊をだきしめて、そして一生涯ゆうゆうと、楽しくそしてまた有意義に人生を生ききっていけるのが、日蓮大聖人様のまことの弟子であり、創価学会員であると私は断言します。(拍手)
 したがって、私どもは民衆の先駆者であります。いまはなにやかや批判されますけれども、十年、二十年先をごらんなさい。かならず、創価学会に対して「やはり創価学会でなければ、日本の国はだめだ」と、いくら口先では焼きもちを焼いても、心のなかでは尊敬し、信頼される時代がやってくることを、私は確信して疑わないのであります。
 そのためには「千里の道を一歩より、大海の水も一滴より」で、皆さん方大御本尊様をたもっているひとりひとりが、事実のうえで、はっきり幸福な生活をしきっていかなければならない。観念論であってはならない。口先だけであってはならない。
 どうかその使命と自覚と責任とをもって「自分自身がりっぱな広宣流布の実証者である、証明者である、身近な実験者である」といいきれる、そういう指導者になっていただきたい、幹部になっていただきたい。このことを、心から念願申し上げ、私の激励といたします。ご苦労さまでした。

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