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世界は諸君の檜舞台 在京助教授会

1963.12.8 「会長講演集」第10巻

前後
1  たいへんに長い時間の試験、ご苦労さまでございました。また、種々の運営の任にあたってくださった役員の方々、ご苦労さまでございました。
 さきほど教学部長から話がありましたごとく、本日は全国で助教授の試験が九か所の拠点で行なわれました。現在、助教授は二千八百九十人であります。そして、午後一時現在の報告では、全国の受験者は、二千七百七十九人でありました。したがって百一人の欠席で、その過半数が仕事の関係、ならびに病気等で欠席届けが出されております。また、遅刻をしてきた人もおりますもので、一時現在の報告だけを申し上げておきます。
 それで、論文を提出し、きょうの試験を終わって、あすの六時より、教授五十人が総がかりで論文ならびに本日の答案に対する採点を行ないます。泊まり込みで十日いっぱいかけて終了の予定になっています。したがって、論文の成績と本日の筆記試験との両方の合計点数によって、助教授にとどまるか、または教授補、教授に昇格、ある場合には落ちるということもあります。この第一回の選考委員会が開かれることになりまして、十四日の教授会のときに合格発表をいたします。
 したがって、その結果は十七日付けの聖教新聞に発表されることになります。それで、第二次試験の口頭試問は二十三日になります。最終的な合否は二十三日の教授会が終了後、即時に発表する予定になっております。
 また、試験の成績によって、あまりにも極端に点数が悪い場合には講師、ある場合には助教授補に下げる場合もあります。欠席した人は、とくにそうなる率も高くなりますが、本日出席した人は、極端でないかぎり、論文ならびに筆記試験の点数を合計してみまして、できるだけ全員、横すべりぐらいにはしたいと思うのです。(笑い、拍手)
 ただし、私がそう思っても、教授会ならびに教学部の運営委員会の決定になりますので、ご了承願いたいと思います。(拍手)
 まあその次に、これから教授の試験もありますが、いま助教授の方程式と同じように、教授の試験にあたっても右に準じます。教授・教授補であっても、論文ならびに筆記試験が極度に悪い場合には、助教授に下げると、または教授から教授補に下げる、これはぜんぶ方程式は一致しておりますからお伝えしておきます。
2  それで、理事長はじめ皆が試験を受け、会長だけ受けないでいいなと思うかもしれませんが私も楽ではないのです。出すほうで、あまりむずかしくしてしまえばちょっとまずい場合もあるし、やさしくすれば権威がなくなってしいますし、問題を出す人よりも、出されて受ける人のほうが力をもち成長するし、大功徳も受けるし、しょせんは出す人よりも出されて勉強した人のほうがしあわせであると、こうご了承ください。
 最後に、折伏をし、論文を書き、そしてまた、たくさんの後輩の指導の任にあたっている幹部の皆さん方が、日曜日であるというのに四時間のあいだ、真剣に大聖人様の大生命哲学に取り組んで戦っているということは、信心のうえから論ずるならば、とうぜん、おのおのの功徳を受け、また大聖人様の弟子として、時代の指導者の力を養成していることは明確であります。けれども、世間の人からみれば、なんであんな堅苦しい勉強に、一生懸命になっているのだろう。それよりも日曜だから遊んでいたほうがいいのではないか、バカらしいことではないかと思う人もたくさんあるかもしれない。また信心弱き人は、勉強などしないで、もっと刹那的に楽しんで人生を生きたほうがよっぽど得だと、人情として目先のことだけでそう考えがちになる人もあるかもしれません。
 しかし、太平洋戦争中に、いまの自由主義者そしてまた革新派の先駆者も「かならず次の時代はわれわれの時代である。いまは軍部からたたかれ、弾圧を受け、苦しい戦いをやっているけれども、しばしのあいだ歯をくいしばって時を待とうではないか。いまこそわれわれはからだを大事にし、あらゆる批判のアラシのなかで、しっかり勉強しておこうではないか。」と、同志の結合をはかっていた。その人たちが、終戦後の新しい日本の指導者として、ひのき舞台に立った人々であります。
 いわんや、大御本尊様をたもち広宣流布に向かい王仏冥合の戦いをしている私どもは、その自覚がさらにさらに深くなくてはなりません。それも、彼らは苦しい重いをし、私どもは刹那刹那が“衆生所遊楽”になっております。ぜんぶの行動が、ぜんぶの実践・勉強が血肉になっております。その点は、しあわせは天地雲泥の差であります。
3  また、話がそれますけれども、先日なくなった若き指導者ケネディ大統領になったときの演説の一節に、私もなるほどと思っていたことばがあります。
 それは「ソ連はいまを犠牲にして未来を築こうとしている。いまは苦しい思いをしているけれども、喜びの世界を築こうとがんばっている。反対にアメリカは、いまを楽しんで、未来を忘れている。そこに若き大統領としてひじょうに苦衷がある」という意味のことばでした。そして、若き大統領として、指導者として、自分は、自分についてこいとはいわない、皆さん方の忍耐と犠牲を要求するというぐらい極端な言語をはいております。
 それはそれとして、いま私どもは世間から笑われたり、批判されたりしておりますけれどもいましっかり勉強を重ねて力を養って、かならずや次の時代は、私どもがひのき部隊で活躍する時がやってくのだという全世界それ自体が私どものひのき舞台になるのだという襟度と、そしてまた希望とをもって、喜び勇んで勉強に励んでいきたいと思うのであります。(拍手)
 このなかから何十人、何百人のまた新しい教授、そしてまた教授補が生まれることはとうぜんであります。たとえ、教授ならびに教授補にならなくても、助教授も大幹部のなかの大幹部であります。民衆の大指導者であります。そしてまた民衆の先駆者であります。学会においても、もっと大事な重鎮であります。
 その誉れと自覚を忘れないで、私とともに、またひとつ、来年も教学陣の完成に、そして全学会の源泉になっていただきたいことを心から念願申し上げまして、あいさつといたします。たいへんにご苦労さまでございました。

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