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日蓮大聖人・池田大作

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惰性に流されず常に向上 男子部部隊長会

1963.12.11 「会長講演集」第10巻

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1  戸田先生が「人材の城を築け」と、こうおおせになった意味をいまひしひしと感じます。もっともっと大勢の人材がいなくては広宣流布はできえません。それで青年部約百万人のなかでも部隊長は数百人、その数百人の部隊長のなかでも、なんといっても、源泉は中心は在京の部隊長です。在京の部隊長こそが旗もとのなかの旗もとであります。いざという場合に、ただちにあらゆる全国の戦い、そしてまた学会全体の先駆をきり、源泉となり、そしてまた、陰になって推進していくのは在京の青年部の最高幹部しかありません。どうしようもない背骨です。その意味において、とくに私は青年部の部隊長、とくに在京の部隊長に期待することが大きいのです。
 創価学会を、そしてまた、一千万人の学会人を、総本山を、本部を私に代わって、また私といっしょに、同じ責任感と使命感に立って守ってもらいたい。またその前進を推進していただきたいと思います。私はおこがましく、自分が師匠であり、諸君が弟子であるということは、いっぺんもいいません。あくまでも根本は御本尊様が師匠であり、いっさい私どもは弟子であります。
 また恩師戸田先生が師匠であり、われわれ戸田門下生はぜんぶ弟子であります。
 師匠と弟子が同じ心をもって広宣流布のために、そして令法久住のために、化義の広宣流布、王仏冥合のために責任感と使命感に立ってがんばろうということが師弟不二です。その自覚をもっていただきたいのです。具体的な問題としては青年部長や先輩の参謀室から始終、訓練があり指導がありますから略しますが、二、三述べておきたいと思います。
2  ひとつには支部において婦人部もあり、壮年部もあり、年配者もあり、さまざまな人がおります。また、女子部もあります。そのときに部隊長はよく総合的に考えて、背骨となり、源泉となることはとうぜんでありますが、支部長を立てるときは立て、そしてまた婦人部長を立てるときは立て、女子部隊長をかばうときはかばう、そういう余裕のある、それで調和をとって、それであって源泉になって、どこにもいやみがない。みんなから信頼され、尊敬される部隊長になってもらいたいと、こうお願いするのです。
 それから諸君が次に考えておかねばならないことは部隊長になっても、なかなか参謀、ならびに男子部長や青年部長と会えない。そのためにひとりぼっちになってしまう。自分がお山の大将になってしまう。そのときがあぶないのです。かならず良き先輩にきちっとついて、つききって前進する人は最後の勝利をうるのです。
 糸が切れたみたいに、自分でカラ回りした場合には、とても自由奔放でいいみたいであるけれども、カラ回りになってしまうのです。良き大先輩にはどんなことでも話し合いができ、そしてまた、一にも二にも、つききっていこう、知ってもらおう、または求めていこうという心がなくてはいけません。
 信心が行動に流れないようにそれから三番目には、いまはひじょうに忙しくて、寝不足する場合もあるでしょうが、そこは革命児ですから、民衆のために、広宣流布のために戦うのです。私どもも過去においては、ずいぶんむりをしました。けっして部隊長がむりなんか必要ないとはいいません。自分自身のためにも広宣流布のためにも、うんと苦労をしてもらいたい。
 ただし、自分の行動に信心が流されてはいけません。信心を根本として朝晩の勤行をしっかりやり、またはそれで足りなかったら題目をしっかりあげて、そして行動しきっていくという信心即生活のリズム、これを忘れてしまうとどうしても、あるきとは感激があるけれども、あるときはしょんぼりして、青い顔になって、ぜんぜん前進が止まってしまうことがあるのです。
 ですから信心を源泉として、それで思う存分に活動していくことであります。信心で自分の行動を左右していくという決意をもってもらいたいのです。
3  それから次には、諸君が結婚している人も、してない人もいるでしょうけれども、もしか適齢期になって結婚問題等があった場合には、すなおに先輩に相談するなり、またはおとうさん、おかあさんに相談するなりして、なにも、卑屈になることもないのだし、堂々と相談して、りっはな妻をめとってもらいたいと思います。それはとうぜんのことです。遠慮することはなにもありません。
 また先輩の参謀室の人なども一生懸命に応援してやってもらいたい。理解もしてあげてもらいたい。ただし邪道にはいって、そして学会の組織や、または弱い女性をいじめたかこうになって、大きくみんなに悪影響をおよぼすようなことは、自分のためにまた学会のためにも、これは慎んでもらいたいのです。
 そういう役職を利用したかっこうで、間違ったふるまいをするようなことがあれば、これは長つづきしなくなってしまいます。指導者として、これは慎んでいかなければならない。そういうわけで、私どもも戸田先生がいらっしゃるあいだ、当時の青年部長の辻先生を中心として、私どもは部隊長として、もっとも楽しく、真剣に、そうしてまた成長ができた戦いをした時代であります。
 いま考えてみれば、部隊長時代がいちばんなつかしい。いちばん熱心になっていたといっても過言ではありません。
 いまの部隊長時代をどうか有意義に、そして偉大なる信心の、そして広宣流布の歴史を悔いなく築ききっていただきたい。こうお願い申し上げたいのです。
 それで、私どもの青年部隊長当時のときには、どっちかといえば、いまからみれば、ずっとある意味においてはたいへんな時代です。学会員が少ないし、学会に対する認識はいまとはまるで違うし、そこへくると、いまはずいぶん指導者も多いし、本部はできているし、そしてまた学会にはいってくる青年も、すぐに、ちょっと勉強を教えれば覚えてしまうし、環境ができあがっていますから、その点は私どもの部隊長当時よりもいいといえばいいのです。その半面、あまりにも組織が完ぺきになり、なれあい主義になるおそれがあり、今度はほんとうの学会精神、信心、そしてまた前進がなんとなく惰性に流されて遅れがちになる、真の歓喜がでなくなる、向上がおそくなる、こうなるおそれがあるのです。しょせんは自分自身の自覚です、発心です。
 さきほども青年部の質問会がありまして、そのときに「どういうふうに一年間を自覚していったらよいか」と、こういう質問があって話し合ったのですが、それはいろいろなこともあるでしょうけれども、ある場合には、この一年間、ぜんぶの分隊長のところを回ってあげよう。こう決意することも、りっぱな成長です。
 ある場合には、この一年間、自分は絶対に題目を何十万遍あげてみよう。ある人は、この一年間、一つでもよいから御書を読みきってみよう。ある人は、この一年間で何十人かの人材を育てあげてみよう。どう発心するかはおのおのの自由です。
 だが、その功徳は同じでしょう。
4  一年間一年間を、大事にしていただきたい。とくに一年間がそうとうすごいスピードで成長できる場合もあるし、反対に、一年間の堕落で、退歩で「九仭の功を一簣に虧いて」同じ同志から大きく離されてしまうおそれもあります。
 一念は恐ろしいものです、そしてまた一年間というものは恐ろしいものだなということは、私はずいぶんいままでも反省してきました。
 来年一年間、どうかこのなかからひとりも退転者なく、ぜんぶが王仏冥合の戦いに大人材として、育ちきっていただきたいと、このように御本尊様にお願い申し上げておきました。

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