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若き革命児の誇りもち 九州女子部幹部会

1963.11.24 「会長講演集」第10巻

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1  皆さん、こんにちは。もう最後になって、なんにも話がなくなってしまい、じつをいいますと、困っているのです。(笑い)
 ひじょうに元気な姿を拝見してうれしいのです。みんな、功徳を受けていますか。返事も、拍手も調子いいのですが、(笑い)すぐに退転するようであってはなりません。
 もしか退転したくなった場合には、御本尊様にきちんと相談して、(笑い)御本尊様が「よろしい」と、(笑い)こういった場合以外は、十年間、いな一生涯、退転しないということを、私とともに約束をしたいと思いますけれども、約束しますか。(拍手)
 これだけ、ほんとうに約束できれば、なにも話をすることはないのです。ほんとうに約束をしました。
 いま原島先生からも話がありましたとおり、正しい信仰を一生涯しぬいていただきたいと思います。また、革命は進歩であり、革命は希望です。どんなことがあっても、人間革命の源泉は、大御本尊に題目をあげる以外にはありえないのです。福運を積みきっていく根本は、それ以外にありません。その人間革命を源泉として、社会革命、政治革命、文化革命、あらゆる価値創造をしていくのが、われわれの実践であり、闘争であります。
 そこには希望がなくてはなりません。いつも希望に燃えて、忍耐強く、大御本尊様をだきしめて前進しきる人こそ、まことの学会幹部であり、大聖人様の直弟子であるという自覚をもっていただきたいのであります。(拍手)
 ちょっとした事件があったとか、ちょっとした縁にふれて、それで自分自身が弱くなったり、卑屈になっり、前進ができなくなるようなことが、けっしてないように、つねにつねに若々しく、未来を指して、希望に燃えて、ともどもに、有意義に進軍していこうではありませんか。(拍手)
2  先日、ある地方にまいりまして、宿に泊まりました。宿の人が、私が会長であることをきっとわかったらしくて「だんなさん」「だんなさん」というのです。(笑い)私は青年と思っていたけれども、もう、だんなさんといわれるようになったかと、ずいぶん悲しい思いでありました。(拍手)
 だが話を聞かなくてはならない。「なんですか」と聞くと「創価学会は仏壇を焼くそうですね」「そんなことはしませんよ、だれがそんなことをいっていましか」「いや、みんなそういっていますよ」と、こういうわけなのです。
 邪宗教で不幸になりひじょうに一家の信心に対しても、宗教に対しても憎んでいる人らしいのです。また、何人かの人からも折伏を受けておられるらしくて、ひじょうに反感をもっているようにとれました。
 それから、またその次に「位ハイもみんな焼くそうですね」「位ハイなんか焼きませんよ、先祖ではないですか。正しい信仰によって、もっとも正しい先祖供養をするのが、私どもの信心です」「そうですか、ずいぶん話が違いますね」と。(笑い)その次に「香典をぜんぶ持っていくのでしょう」(笑い)そのへんまできて、私も「私が最高責任者です。だれから聞いたのですか」とひとこときびしくいったのです。そうしたら、ハッとしたらしいのです。
 だんだん、しどろもどろになって「いや、だれかがいってました」と。(笑い)
 そこで私は「そういうことを、ほんとうに確かめもせず、無辺識の評価をすることは間違いではないか。もしか、学会人のなかで、だれかなくなって、学会が香典をぜんぶ持っていくようなことがあったならば、学会はウソです。もしそんなことがあったなら、それはたいへんなことです。香典はとうぜん私どもか出す場合もあるし、同志も出す場合がありますけれども、それを持ってくるようなことは、学会としては、ただのいっぺんもないし、根本的にそれは誤りです」と話したのです。
 そういったら静になりまして「そうですか、そういう話ですよ」「そんなことは、あるわけがありません。私が最高責任者です。いわんや、どこの幹部でもいい。
 ここの幹部を紹介しましょう。どこへ行っても聞きなさい。また、そういう話があったならばその人に確かめてもらいたい。または、なくなった人の家に行って、聞いてもらいたい」と、こういうふうにいったのです。
 すると、最後に「すみませんでした」と。(笑い)それで、もういいと思っていたらその次に「学会の人はずいぶんくどすぎますよ」と。あちらからもこちらからも折伏されるからでしょう。「それはよくないですね」と私もいったのです。「あんまりくどくてはいけない。真心をこめて話し、信心をさせてあげたいと思っていう場合はあるだろうけれども、あんまるくどくすることは、これは間違いであると思う」と、こういうふうにいったのです。そうしたら「だんなさんのいうことは話がわかりますね」というのです。私は人を救うためにまた不幸の人に対して、慈悲をもち、真心をもち、親切に大御本尊様のお話をすることは、これはとうぜんであると思います。私どもも、そうされて入信することができて今日があるわけであります。ただ夜おそくまで折伏に行ったり、そしてまた、もう相手の人が「また、この次に聞かせてください」というのに、何度、何度もしつこく話をするようなことがあったり、非常識なようなことは、これは法を下げてしまいますから、あってはならないと思うのです。反省しなくてはいけないと思うのです。
 したがって、第一にも第二にも、大御本尊様のことを教えてあげよう、真心をこめ、親切にその人を救ってあげようという、忍耐強い、そして勇気ある戦いは進めなくてはならないけれども、価値判断を間違えたり、無価値のような、そういう行動は慎んでいただきたいと思います。さっそうと、のびのびと、そして急所急所をきちっとはずさないような、価値的な行動をとって、楽しい折伏、指導のコマを進めていっていただきたいことをお願い申し上げます。
3  皆さん方がしっかり団結して、ひとりも退転するような人がないように、きょうから「九州に春がやってきた」「春を到来させよう」「春の風を、かおりを女子部からたたえきらしていこう」こういう第一歩の前進になっていただきたいと思うのであります。それには、その第一歩として、源泉として、皆さん方が楽しい信心をしていただきたいのです。皆さん方の家庭が、楽しい春のような信心でなくてはなりません。それは、苦しい環境にある人がたくさんあるかもしれませんが、ひとりの成仏、一念三千が依正不二、本末究竟等で、すべての人を救っていくのです。ぜんぶ、しょせんは自分自身の一念であり、信心であります。心強く、希望に燃えて、いっさいのことを変毒為薬させるという、若き若き地涌の菩薩として、若き若き革命児として進んでいっていただきたいと思います。

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