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日蓮大聖人・池田大作

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我らは最高の平和主義者 中部第三本部結成大会

1963.11.16 「会長講演集」第10巻

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1  中部第三本部の結成、まことにおめでとうございました。(拍手)
 さきほど新本部長から、中部よりは、かつて信長、そして秀吉、また家康等の英雄が出たとの話がありましたが、これはあまりにも有名なる事実であります。だが中部の方々にしかられてしまってはいけないのですが、歴史をよく知りませんのもので、明治以降は、そんな偉大なる人物は出ていないような気がするのです。(笑い)明治維新を成し遂げたのは土佐であり、長州であり、薩摩でした。中部はその通り道であったらしいのです。(笑い)
 いま私は大御本尊様をだきしめて、新しい指導者が、ぞくぞくと中部の地よりも出ていただきたいと思うのです。大政治家も、そしてまた大実業家も出ていただかなければ、広宣流布は達成できません。
 また反対に、今度はそういう一流人でなくても、庶民の味方となって、百人、二百人の不幸の人々から絶対に信頼され、慕われ、そして、そういう不幸の人々を根本的に救いきっていける町の指導者、陰の指導者、そういう尊い指導者にもなっていただきたいと思います。
 表にでる人、また陰で戦って庶民の味方となって、うずもれて広布のために死んでいく人、さまざまな姿はあると思いますけれども、どうか信心強盛に、土性骨ある中部健児の心意気を、これから示していただきたいことを切願するものであります。(拍手)
 とくに壮年の方にお願いいたします。壮年のいるところ「地区員も班員も心配するな、家庭も心配するな」と、また「町の人々も安心してついていらっしゃい」と、このようにいいきれる壮年幹部のひとりひとりになっていただきたいとこを、かさねてお願い申し上げます。(拍手)
2  けさ、お山で丑寅の勤行をさせていただきました。丑寅の勤行に出席をさせていただくたびごとに思うことは、七百年間のあいだ広宣流布を願い、王仏冥合達成を願い、あらゆる権力と戦って、今日まで代々の御法主上人猊下が勤行なされてこられた、この崇高なる事実、これほどに日本の国の安泰、全人類の幸福を願いきって、前進に前進をかさねてきた宗団、教団がどこにあろうか。
 どこの宗教会をみても、どこの団体をみても、利害だけであり、そしてまた乱れきっております。世界にただ一つ、日蓮大聖人様の仏法が生きている宗団、教団、これは、日蓮正宗しか絶対にないし、その日蓮正宗の信心を大聖人様のおおせどおりに、まっすぐに実践しているのは、創価学会しかないと断言するものであります。(拍手)
 私どもも、朝な夕な、真心こめて御本尊様に、信心している人の幸福はとうぜんのこと、信心していない人のことまで、また日本の国の幸福、安泰、全世界の幸福、安泰を真心こめて祈念しております。皆さん方もそうであると思います。それであるのに「創価学会はファッショである」とか、「創価学会は早くつぶれたほうがいい」とか、知らない人は、なにやかや誹謗してまいりました。
 では、思い上がって、おごりたかぶって批判しているその人が、それでは隣人のことを、人人のことを、真心こめてどれだけしあわせを願っているであろうか。そういう人にかぎって、願っておりません。それではずるいし、あまりにも悲しい姿です。
 私どもは正しい仏法によって、まじめに、真心こめて、自分自身の幸福はもちろんのこと、人々のため、日本の国のため、全人類のために戦っておりますゆえに、最高の愛国者であり、最高の平和主義者であり、人類を幸福にする最高の実践者であるという誇りをもって、勇敢に進んでいこうではありませんか。(拍手)
3  かならず、私どもを批判した人人も、一年たち三年たち、十年たち二十年たった暁には「ああ、悪かった。ただの感情で批判していた。また無認識で批判していた」と、このようにいうことはとうぜんであります。大宇宙の法則を、そのまま図顕なされたのが大御本尊様です。大宇宙の法則に反対するわけにはいかないのです。
 われわれに反対することはできても、御本尊様に敵対するわけにはいきません。
 因果の理法であります。
 「信ずれば仏になり、謗ずれは地獄に落つ」と、私どもは、いよいよ、まず日本の国の広宣流布をめざして、さらにさらに強い強い団結をもって、楽しく戦いのコマを進めていこうではありませんか。
 御本尊様のことは、申すまでもなく功徳聚または輪円具足、そしてまた根本尊敬と説かれております。宇宙の根本、それを尊敬するのであります。その根本の「本」と尊敬の「尊」で「本尊」というのです。生命の本源、あらゆる森羅満象の、現象の本体、本質、すなわち大宇宙の大法則を、そのまま一幅の曼陀羅に図顕なされた、それが御本尊であります。
 したがって、大御本尊様を受持し、大御本尊様に南無する以外に、大宇宙の法則に合致する方法はないのです。あまりにもかんたんというか、かんたんすぎてバカにしたり、そしてまた軽々しく思うのが凡夫のならわしなのです。だが大御本尊様の功徳は、実践してみればよくわかります。また観心本尊抄、開目抄等、眼を開いて御書を拝するならば、この大御本尊様のいわれ、大御本尊様の絶対なるお力は、哲学のうえ、または理論とし、厳密に、明確に説かれております。
 その大御本尊様を根本として、われわれは団結しております。私どもの団結は、大御本尊様がありますから、どこまでいっても団結はできます。大御本尊様を拝まなければ、もう学会員ではないのです。日蓮正宗の信者ではないのです。ところが、自民党でも社会等でも、共産党でも民社党でも、どこの団体でも教団でも、その根本の本尊がありません。どこの宗教界をみても「此皆本尊に迷えり」と大聖人様がおおせのように、キツネを本尊にしてり、またタヌキを本尊にしたり、または観音を本尊にしり、大日如来を本尊にしたりしています。これは理証、文証のうえから論じても、大なる間違いであります。いわんや現証のうえからはおそろしい結果になります。
 したがって、どこの教団も、どこの政党も、団体も、どんなに団結をしようと思っても、できるわけはないのです。「私はこういうように解釈する」「いや、私はこう思う」「いや、これがほんとうではないか」というふうになるのです。それが派閥になり、そして究極の目的、平和を達成することができない。これが、すべての団体、教団の実態です。過去の歴史の推移であります。
 そうすると、大聖人様が「この大御本尊様を拝めばいっさいが救われるのである」と、このようにいわれて残された大御本尊、一閻浮提総与の大御本尊、これを私どもが受持し、実践し、そのもとに団結をできえたことから、絶対に日本の広宣流布は、日本の将来は、創価学会によって決定されたと、わたしは明言しておきたいのであります。(拍手)
4  恩師戸田先生は「ひとたびは死する命ぞ恐れずに仏の敵をひとりあますな」というお歌を残されました。不幸の本源である邪宗邪義と戦いきって、仏の敵をひとりも残さず打ち破って、真の仏国土をわれわれの手でつくりあげたい。その第一歩として、皆さん方は、わが家庭を常寂光土にしていただきたい。そしてまた、わが国を、わが班を、わが地区を、そしてまた皆さん方がおられる町を、市を寂光土にしていかれんことを心から切望して、私の激励とさせていただきます。

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