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日蓮大聖人・池田大作

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民衆救う慈悲の城 松山会館落成式

1963.11.4 「会長講演集」第10巻

前後
1  松山会館の落成入仏式、まことにおめでとうございました。(拍手)まず、落成入仏式にさきだちまして、古川御尊師のご指導をいただきましたことを、会員を代表してあつくお礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 私どもは、ひとしく日蓮大聖人様の弟子であり、子供であります。東京にいようが、北海道にいようが、アメリカにいようが、また、東南アジアにいようが、中共にいようが、また松山にいようが、ぜんぶひとしく大聖人様のもとにつどうた同志であります。したがって、大聖人様が、そしてまた御本尊様が、不平等であるわけは絶対にありません。
 松山はなんとなく落ち着いて、そして産業やなにかもあまりないし、生活のていども悪いのではないかと理事長とも話してきたのですが、そういうことも卑下しないで、卑屈にならないで、あくまでも自信をもって、勇気をもって、御本尊様をだきしめて戦ったものは、前進したものは、絶対に、物心ともに大勝利を博することができるという信念をもって進みきっていただきたいのであります。
 もしか、大御本尊様の功徳が不平等であるならば、また、まじめに、真剣に、へんぴな地で信心しているものが幸福になれないようなことが、もしか、かりにあったとしたならば、御本尊様はあまりにも無慈悲であります。大聖人様の大慈悲は、不平等であります。そんなことはけっしてありません。
 ただ、あとは私どもの信力行力であります。大功徳をうけられる純粋なる信心、強盛なる信心を一生涯しきっていただきたい。二年や三年で信心の深さ、浅さ、功徳の浅深をはかってはなりません。七年、十年、二十年、一生涯かかって末法の功徳は冥益すから、はっきりと大功徳が証明づけられるわけなのであります。
 それはつらいこともあったでしょう。悲しいことも、くやしいことも、寂しいこともあったでしょう。だが、皆さん方だけがそうであったのではありません。どうか、きょうを第一歩とし願わくは、十年先を第一期の目標として、私と苦楽をともにしながらがんばっていただきたいと思うのであります。(拍手)
2  どんなに日蓮正宗を批判しようとも、創価学会を誹謗しようとも、この教・機・時・国・教法流布の先後の大方程式、大法則にかなって前進している大教団を、こわすわけにはいきません。こわせるものではないのです。
 いかなる権力をもっても、いかなる三障四魔が競い起ころうとも、絶対に仏の軍である日蓮正宗創価学会をこわすことはできないのです。われわれを負かすことは断じてできないのです。
 ちょうど大空にのぼっていく太陽を、いかなる根性曲がりや悪人がのぼるのをとめようと思っても、不可能であるようなものです。上げ潮になってきているのに、いくらゴミや、またはなにかのじゃまものをもってさえぎろうと思っても、さえぎることはできないようなものです。上げ潮はどこまでも上げ潮の大なる前進があるのです。
 日蓮正宗創価学会の前進は、その御仏智に照らし、大法則のリズムに乗った前進なのであります。したがって、いかなる悪鬼魔神もどうしようもない。われわれの幸福を奪うことはできないのです。絶対に、最後は日蓮正宗創価学会が大勝利を博せる、広宣流布は間違いないと私は断言しておきます。(拍手)
 そのときに、あとになってから、もう少し真剣にやっておけばよかったと気がついてもおそい。姿のうえでは学会についてきていたけれども、心のなかではふたまたをかけ、ひきょうな態度でついてきた人もおりました。かわいそうなかぎりであります。
 過去十年、二十年の学会の歴史をみましても、そういう人が何人かおりました。
 その人たちは、いまになって悔いております。これからも大勢の学会人のなかには、また、幹部のなかには学会精神に反した幹部も出るかもしれません。目先の利益を考えたり、名誉を考えて、だがあとになって地獄の苦しみをうけるようなことがあってはなんにもなりません。信心第一に、第一にも、第二にも、第三にも、日蓮大聖人様のおおせどおりに、一生涯、進軍しきっていこうではありませんか。(拍手)
3  また、この会館から見ますと、松山城が見えます。また、先日の四国本部落成のときには高松城を見ることができました。いまは文化財等になって観光客が見に行く城になっておりますが、戦乱当時は、その城はあくまでも権力の座の城でありました。民衆から絞り取って支配をしていくべき城でありました。時代は大きく変わりました。変わったといっても、いまの国会議事堂は、たいした金のかかった城でありますが、乱闘城みたいな城です。(笑い)本来ならば、全民衆を根本的に救いきる制度、機構、立法の源泉地の城でなくてはならないのです。東京都庁などというのもずいぶん金をかけて造った城なのですけれども、伏魔殿です。魔物の住み家だそうです。こちらのほうの県庁などもそうではないかと心配しますけれども、そういうのが、悪世末法の建て物の実態です。
 いま、松山会館は、そしてまた、創価学会の本部や会館は、大御本尊様を根本として、人材をつくる城であります。民衆救済の城であります。大聖人様の御書のなかに「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決す」(一昨日御書一八三ページ)という意味のおことばがございますが、それは「あくまでも信心第一、随縁真如の智をもって進んでいきなさい」とのおおせでございますが、この会館を中心として、思う存分に、皆さん方が使って、折伏の源泉として、そてまた、王仏冥合の源泉地、城として、法城として、りっぱに、有意義なる会館の歴史をつくっていただきたい。このようにお願い申し上げておきます。(拍手)
 しょせん、慈悲の城であります。これが学会の建て物の、あくまで根本精神としなくてはなりません。幹部だけのたまり場であるとか、または形式だけのつどいの会館であるとか、そういうことがあってはなりません。「いっさいの民衆を救うのだ」「この津山の国土世間を広宣流布するのだ」と、こういう城にしていただきたいのであります。
 こうみるとこちらは、あまり家もありませんし、畑ばかりで、折伏される人はもういないと思うのです。(笑い)だから、折伏については、松山はけっしてむりをすることはありません。ただ、いままでの同志の人たちをひとりも退転させないように、一騎当千の大信者に仕上げる、幹部に仕上げる、大功徳を受けさせてあげたいとの信念をもって進めばけっこうであると思います。(拍手)
 どうかひとつ、さきほど二宮本部長からも話がありましたごとく、元気で、明るく、仲良く進んでいっていただきたいのであります。
 最後に、皆さん方のご健康とご健闘をお祈り申し上げ、きょう集まった全員の同志の人々と握手をかわしてお別れしたいと思います。ご苦労さまでした。

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