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日蓮大聖人・池田大作

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逆境に負けるな 青年部員へ

1963.10.19 「会長講演集」第10巻

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1  青年ですから、いろいろな苦労をしなくてはしようがない。青年期から、みんな殿さまみたいになってしまって、なんの苦労もない。それでは仏道修行ではありません。そうでしょう、仏道修行ですから苦労もあります。それは生活も苦しいだろうし、部隊活動もたいへんだろうし、仕事のほうもたいへんだろう。だが仕事は休んではいけません。
 私たちだってみんな食うや食わずで戦ってきたのです。先輩はみんなそうです。それで今日の大福運を積んだのです。おうちゃくな信心修行なんか絶対していません。また、いろいろと苦しいというのは宿命です。それは打開しなくてはいけません。
 煩悩即菩提です。土台が深ければ深いほど大きい家ができるのです。それを惰弱になって安逸な生活をしていく、それはいいけれども、将来は敗北です。信心しようがしまいが、苦労するのは同じです。信心しなくたって偉くなっている人や、成功している人はみんな苦労しています。
 歯をくいしばり、コッペパンを食べ、からだをこわしながら戦ってきています。
 それが大を成すのではないですか。まだ、うちのほうはぜいたくすぎるのです。実際問題、御本尊様に守られているし、学会に守られているのです。そうではないですか。考え違いしてはいけません。
 私だって輸送班の仕事をやってきました。私は、輸送班の育ての親です。そして仕事もやりました。ぜんぶやってきました。これからもやっていきます。今度は会長という立ち場で苦労をしていく、それが私の決心なのです。信心しようがしまいが、苦労するのはあたりまえです。
 一生懸命働いて、食うのも食わずして、大勢の人が夜学へ行っています。これも苦労でしょう。りっぱな修行です。東大生だってアルバイトしながらやっています。見ていてかわいそうです。だが、かわいそうだからといって、同情したところでしようがない。信心がいちばん最高の同情です。
 あとは信心根本として、生命力をつけさせて、アドバイスはするけれども、それでいいのではないでしょうか。変な同情したところでどうしようもありません。私だって十八、九のころには、自分のからだは悪いし、貧乏でした。だいたい家へ帰るのは十二時です。仕事をやって、朝だってたいへんなのです。遠くて、それに月給は安いときでありました。
 からだのほうもあんまりむりしたので、まったくやられてしまいましたが、それでも、さきほど申し上げたように、がんばりきってしまったのです。それを仕事とが忙しい、学会活動が忙しいといったからといってもしようがないのです。忙しいからみがかれるのではないでしょうか。仕事もひまだ、学会活動をしなくていいとなったら、どうします、なにをやりますか。それでは「生けるしかばね」ではありませんか。
 苦労しよう。苦労して苦労しきるのです。「どんな苦労でもこい」と。ぜんぶ変毒為薬できるのです。どんな苦労だって自分をためしているのです。それで男の価値がかるのです。信心のいかんが決定されるのです。そうでしょう。
 もっと苦しいのは牢獄の中です。その牢獄に何年間いたって、ほんとうはやむをえない。仏法のため、宿命打開のためには、そういう決心でやるのです。それで偉くなるのです。だから、あまり苦労しないで偉くなった人には、ろくな人間はおりません。みんな学会の大幹部は苦労しているのです。私も肺病でした。
 小学校六年生のころ、自分から率先して新聞配達もしました。父からおこられたですが、私は早く苦労したかったのです。体が弱いから、早く死ぬかもしれないという予感があったから、なんでもひとつ経験しておきたいと思ったのです。
 印刷屋の小僧もやったし、みんな喜んでやりました。しかし、からだがつづかないのです。それで事務に回されてしまいました。とにかく最低のものをやりました。人がいやがるものをやっていなかったら、いい人間になれいなということです。初めからそういう気持ちでした。
 いまの青年などはしあわせのなかのしあわせです。がんばりなさい。「おれを見ろ」といっていくのです。少しのあいだではありませんか。もう二年か、三年もしなら「無上宝聚不求自得」で、ぐっと、考えられない福運を積んでしまうのです。 それが、御書にある「地獄の苦みぱつときへて」ということです。変毒為薬です。刹那成道です。因果倶時なのです。そこへきてしまったら、ずっと開けてくるのです。そこまでの勝負です。

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