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日蓮大聖人・池田大作

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大福運つむ折伏 北海道第五総支部結成大会

1963.10.8 「会長講演集」第10巻

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1  たいへんに本日はおめでとうございました。(拍手)
 いっさいの現象は、ぜんぶ因果の理法であると説かれたのが、仏法であります。
 原因・結果の法則であり、科学であります。したがって、われわれの生命を根本として、いっさいの外交、自然界等への因果の理法を具現化していったものが自然科学であり、普通一般でいわれている科学です。
 ともに今度は、生命それ自体、人生それ自体も、やはり因果の理法によってなされています。原因・結果の法則であるというその哲学、生命哲学が大聖人様の仏法なのです。原因・結果の法則以外の思想、道理に合っていない宗教を邪教というのです。
 いま、原島先生からちも、信心に反対した人の罰の現証、信心を二十何年かやられた功徳の現証、りっぱな因果の理法を、現実の生活のうえに現証として如実に示されました。信心しないから罰が出る、信心したから功徳が出るというような、そんなバカなことはないだろうと思う人もたくさんおります。では、その人がどれだけ頭がいいのか、哲学を知っているのか、日蓮大聖人様の大生命哲理を実践してきたか、勉強してきたかと問えば、そういうことは少しもない。自分なりの感情や、自分なりの凡愚の頭で考えているにすぎないのです。
 したがって、縁に紛動されてはならないということは、そのことなのです。世間の人は、ひじょうに利口といえば利口そうにみえますけれども、大仏法を少しでも勉強したかといえば勉強していないし、実践もしていないのが現実なのです。
 したがってウソといおうが、信じないといおうが、そんなおかしい話はないといおうが、厳然と事実は事実として明確なのです。いわんや大御本尊様に照らされて、日蓮大聖人の仏法を鏡として見るならば、これは明々白々と生活のうえに現証が見えてくるものなのです。だから、われわれは信心しなくてはならないし、信心をやめるわけにはいかないのです。
 私は、皆さん方に、信心に一人前の信心をすればけっこうであると訴えたいのです。三人前も五人前も、また大聖人様と同じような信心をしなさいとか、牧口先生や戸田先生と同じような信心をしなさいということはいいません。せめて、自分自身か一生成仏するために、絶対に宿命転換して、こんなにも自分はしあわせであるか、こんなにも自分は境涯を開いたかと、大聖人様も「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」と、こうおおせでありますが、宮殿にはいるということは、これは昔のことばでありますが、宮殿にはいれば、ほしいものはなんでもあるということです。
 どんなことでも思いどおりの生活ができるということを、そういうおことばで申されたと思いますが、そういう生活が確立できるまでは、また一家が安隠になり、子孫末代まで大福運、大功徳を積みきって、自分はもう安心だといいきれるまで、信心をしきっていかなければ損であると、私は思いますけれどもどうでしょうか。(拍手)
2  したがって、目先だけをみれば、宿命転換するために、罪障消滅するために、さまざまな悩みや、そしてまた戦いはとうぜんであると思います。魔と仏との闘争が信心であり仏法です。したがって、そういう目先のことに負けないで、少しぐらいの難があろうが、苦労であろうが、迫害があろうが、ただ南無妙法蓮華経、よきにつけあしきにつけ、死ぬ瞬間まで題目を唱え唱え、唱えきっていけば、私は大信者であると思います。皆さんがこのような人になってください。(拍手)
 「折伏ができなかった、ああ私はもうたいへんだ。折伏したけれども悪口ばかりいわれて、なんとなくこわくて私はいやだ」と、そんなことで紛動されてはいけません。
 先日も新潟へ行って、帰りに話したのですが「折伏だけないと、ずいぶん学会もいいな」と。(笑い)ところが学会が「折伏をしなさい」といったのではないのです。日蓮大聖人様のおおせであります。「教学がないとずいぶんらくだなあ」と。
 教学も大聖人様がしなさいと御書に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」とおおせです。「月給がほしい、だけれども、朝、弁当を持って込んだ電車に乗っていくのはいやだな」と、これでは月給はもらえません。仏道修行と同じです。その仏道修行も、大功徳を受けるための修行です。釈迦仏法に説かれた灰身滅智とか歴劫修行とか、邪宗教のように金を取られ、生命力を奪われ、地獄へ落ちるための修行ではありません。ぜんぶ自分自身の大福運を積むための折伏であり、教学でありますから、すればするほど得することはとうぜんです。それは得がなかったならば、理事長は二十三年間信心していますが、とっくにもうやめています。(笑い)
 私は十六年、十七年目にはいりますが、もしそうだったら、とっくにやめています。いまのようにこんなにたくさんいたわけではありませんし、青年部といっても九人しかいなかったのです。その当時の学会の闘争、迫害というものは、いまとは天地雲泥の差です。それを御本尊様を信じ、大聖人様のおおせを信奉し、戸田先生を信頼しきってついてきたがゆえに、その因果の理法として、私はこの大勝利の姿を示すことができたのです。(拍手)
3  私はたまに床屋へ行きますが、本部のそばにある床屋さんへは、信心する前から、私は行っていたのです。その人がつい数年前ぐらいから信心しまして、そのご主人は副支部長になったのですが、むっつりしているのです。「どうだろうなこのうちは、こんなところでなんとか商売が繁盛するかな」と思って心配しておりました。
 慶応病院が前にあって、その慶応病院のほうも初めは小さいところを借りていたらしいのですが、そこも大きく、無量で専売特許みたいに一軒だけなのです。慶応の先生方が尽力してくれて、そこだけてもたいへんな商売繁盛らしいのです。それと本部のすぐそばを入れて二軒、またもう一軒、日吉のほうに慶応大学の付嘱がありましてそのほうもやはり権利がとれて、ほかもたくさんはいりたかったらしいのだけれども、そこのほうも大発展らしいのです。このあいだ聞きましたならば三軒とも大発展でそうとう順調らしいのです。金があり余っているぐらいなのです。
 また私はもう一軒知っている床屋がありまして、そこへも行っていたのです。
 その床屋のほうも、じつをいうと、まえのところと同じぐらい長いあいだ、私はお客として行っているのです。そこはいろいろな人から折伏されていたけれども、なかなか信心しません。どっちかといえば、東京でも有名な床屋なのです。使っている人間も多い、場所もいいし有名人もそうとうくるし、初めて行ったときは、もう私なんか小僧扱いです。「きょうは床屋へ行ってどこへ行くんですか」などといわれて、どこへ行ったってかまわないではありませんか。(笑い)「若いんだからしっかりやるのだな」などと。(笑い)今度新しく店を開くのにサギにかかって、全財産をとられかかってしまった。それで床屋もやめ、自殺をしようと思ったくらいだというのです。
 それから女房が死に、一生懸命邪宗をやっているのです。信心をなかなかしそうもないけれども、かわいそうな人ですから、それからまた、ちょっと指導してあげたのです。ところが、そこで少しよくなったら、またひっかかってしまった。このあいだちょっと行ったら「もうほんとうに私は運が悪くなってしまった」というのです。そういう状態で、まえの元気はいまいずこ、悲しい状態です。途中から私が会長というのがわかったのです。そこで学会員がふえてきたから「なんとか精神的支柱としてきてくださいよ」と、私が行くと詩をつくったりなにかしているのです。それでもなかなか信心しない。五年、七年たってくるとそれほど差がでてくるものです。
4  片方は春らんまんたる境涯であり、商売です。片方は地獄の苦しみです。きびしいものであるなと私は感じました。そのうちに信心するとは思いますが、いままでがよかったから、がんこなのです。ひとこと私にいいました。「ずいぶん学会の敷き居が高くなってしまって行けないのです」と。けれども「敷き居が高くなっても、なんとかしなければならなくなりました」と、このようにいっておりました。
 それから、ある人で一軒だけ、それはまたものすごく根性曲がりの人がいるのです。きれいな奥さんなのですが、近所の人たちを連れて、しっちゅう悪口をいっているらしいのです。しかし、そんなことは馬耳東風で眼中におきません。
 ところが、このあいだわかったのですが、近所の人がえらいケガをしたというのです。それはかわいそうなことをしたなと、お見舞いでもしてあげなさいと、こういっていたのですが、じつをいうと、いちばん学会を批判していたその人らしいのです。それも、三、四人でうちのそばで、うちのほうを向いて一生懸命に批判していたらしいのです。よほど暇があるらしいのです。(笑い)
 そこに車がきて、車が電柱にぶつかって、その反動でその奥さんだけひかれてしまい、廃人同様です。内蔵器官が破れて、ずうっと寝ているわけです。その人は、対抗して、南無妙法蓮華経を唱えていたのです。それが霊友会らしいのです。以上のようなことを聞きましたが、かわいそうなことをしたなと思いました。それもちょうど七年目です。
 そういうふうに因果の理法だけは、はっきりしております。だから、私たちは、そのようなこわい、たくさんの姿を見ているからいいきれるのです。大聖人様のおいものであるなと私は感じました。そのうちに信心するとは思いますが、いままでがよかったから、がんこなのです。ひとこと私にいいました。「ずいぶん学会の敷き居が高くなってしまって行けないのです」と。けれども「敷き居が高くなっても、なんとかしなければならなくなりました」と、このようにいっておりました。
5  それから、ある人で一軒だけ、それはまたものすごく根性曲がりの人がいるのです。きれいな奥さんなのですが、近所の人たちを連れて、しっちゅう悪口をいっているらしいのです。しかし、そんなことは馬耳東風で眼中におきません。
 ところが、このあいだわかったのですが、近所の人がえらいケガをしたというのです。それはかわいそうなことをしたなと、お見舞いでもしてあげなさいと、こういっていたのですが、じつをいうと、いちばん学会を批判していたその人らしいのです。それも、三、四人でうちのそばで、うちのほうを向いて一生懸命に批判していたらしいのです。よほど暇があるらしいのです。(笑い)
 そこに車がきて、車が電柱にぶつかって、その反動でその奥さんだけひかれてしまい、廃人同様です。内蔵器官が破れて、ずうっと寝ているわけです。その人は、対抗して、南無妙法蓮華経を唱えていたのです。それが霊友会らしいのです。以上のようなことを聞きましたが、かわいそうなことをしたなと思いました。それもちょうど七年目です。
 そういうふうに因果の理法だけは、はっきりしております。だから、私たちは、そのようなこわい、たくさんの姿を見ているからいいきれるのです。大聖人様のおいものであるなと私は感じました。そのうちに信心するとは思いますが、いままでがよかったから、がんこなのです。ひとこと私にいいました。「ずいぶん学会の敷き居が高くなってしまって行けないのです」と。けれども「敷き居が高くなっても、なんとかしなければならなくなりました」と、このようにいっておりました。
 それから、ある人で一軒だけ、それはまたものすごく根性曲がりの人がいるのです。きれいな奥さんなのですが、近所の人たちを連れて、しっちゅう悪口をいっているらしいのです。しかし、そんなことは馬耳東風で眼中におきません。
 ところが、このあいだわかったのですが、近所の人がえらいケガをしたというのです。それはかわいそうなことをしたなと、お見舞いでもしてあげなさいと、こういっていたのですが、じつをいうと、いちばん学会を批判していたその人らしいのです。それも、三、四人でうちのそばで、うちのほうを向いて一生懸命に批判していたらしいのです。よほど暇があるらしいのです。(笑い)
 そこに車がきて、車が電柱にぶつかって、その反動でその奥さんだけひかれてしまい、廃人同様です。内蔵器官が破れて、ずうっと寝ているわけです。その人は、対抗して、南無妙法蓮華経を唱えていたのです。それが霊友会らしいのです。以上のようなことを聞きましたが、かわいそうなことをしたなと思いました。それもちょうど七年目です。
6  そういうふうに因果の理法だけは、はっきりしております。だから、私たちは、そのようなこわい、たくさんの姿を見ているからいいきれるのです。大聖人様のおれたでしょう。そして牧口先生はなくなりました。けれどもこのなくなったことは、さきの御書のとおり「仏眼をもって見よ」とのおおせのように、日本の国は負けたではないかと、これが現証です。
 戸田先生は「命つれなくて生きたらん眼に見よ」と現世において見られたわけです。こういう意味なのであります。日本の国は負けた、大をいえば、戸田先生を入れたのは木戸内務大臣です。これは戸田先生がはいっていた同じ牢にはいって死んでいるでしょう。これが因果の理法です。
 私がつくづく思ったのは、岸総理のことです。大石寺にくるといいながらきませんでした。あの時は数千人の青年部が待ってあげたわけです。本人がくるといったから、それでは待ってあげようというので、戸田先生も「そうしてあげなさい。一国の総理がきたいというのだから、いいではないか」と、ところがこなかった。約束を破ったのです。
 同じように、今度は数百人の全学連に攻められてアイゼンハワーがきかかってこない、同じ方程式でしょう。それで自分自身は最後に暴漢におそわれ、突かれているのです。これは肉眼で見えた現証で、そういう岸さんのようすをずうっと知っていますが、本山へくるといっても二回も捨てたのだから、そういうふうになるのです。
 「国主等は他国へ責めわたされ」時の権力者、いまでいえば指導階層、われわれをいじめれば他国から責められ、自分たちがいられなくなってしまう。「調伏の人人は或いは狂死或は他国或いは山林にかくるべし」ある人は牢獄へ入れられてしまったり、ある人は気違いになってしまったり、とな偉い人であっても、こうなるというのです。その証拠に熱原の法難の神四郎兄弟を、そしてまた大聖人様の弟子をいじめた平の左衛門一族は、神四郎を死刑にしました。それからまるまる十四年目、同じ場所で同じ日に、謀反の罪で一族郎党が殺されているでしょう。この原理であります。
 「教主釈尊の御使を」教主釈尊は、釈尊は六種類あります、いまでいえば日蓮大聖人様です。それでまた、いまでいえば、御本尊様をたもつ者です。その人をいじめればとのおおせです。そのいじめ方は「弟子等をろうに入れ或いは殺し或いは害し或いは所国をおひし故に」と、「所国をおひし」とは、いまでは会社をクビにするということです。「其の科必ず其の国国万民の身に一一にかかるべし、或いは又白癩・黒癩・所悪重病の人人おほかるべし」したがって国々万民のひとりひとりに、かならず現証が出るというのです。
 それで「白癩・黒癩」これはライ病のことをいいます。あとはもろもろの悪重病にならんというのです。これが大聖人様のご断言です。
 反対に御本尊様をすなおに拝し、広宣流布にまい進した場合には、一生成仏は疑いない。福十号に過ぎるのです。私たちは縁深くして御本尊様にお目にかかることができました。そしてまた御本尊様をたもっている仏の子供の集まりです。どうかおたがいに尊敬しあい、けっして批判しあったり、やきもちをやきあったりしないで、この大事な大事な一生を有意義に私とともに戦いきっていただきたいと思うのであります。(拍手)
7  私は愚かな人間であり、力がありませんが、御本尊様は絶対であります。学会人の人たち、皆さん方の激励を根幹とするのが私の大精神なのです。先日も、私はいまそういう人たちとは会いませんけれど、たまには王仏冥合の応用作戦をしなくてはならないこともやむをえませんが、いままで学会を弾圧しようとし、いじめていた大臣級が、いまは腹の中ではやきもちをやいているかも知れないが、姿の上ではみんなおせじをつかってきているのです。
 理事長もこのあいだ保守党の政治家たちに、あなた方は昔はいじめておいて、いまになって利用しようと思って、どういう魂胆だか知らないけれども、いずれにしてもわが創価学会は絶対に大生命哲学を根本とし、日本の国をわれわれの手で救いきってみせるといいきっているのです。(拍手)
 北海道の方々も大福運を積んでいる人もいるかもしれない。見るところによると、なんとなく不景気な顔をして、髪の毛をぼうぼうにして、やっとこの会場にたどりついたような人もいるかもしれない、損ですから信心だけは強くいきなさい。「新聞や人が悪口を書いている、信心やめよう」と、それでは新聞や他人が幸福にしてくれるか。信ずるのは大聖人様です。御本尊様だけです。だったならば大聖人様だけにはだまされていきなさい。いわれたとおりに、きょうからはまた来年の十月を目標にして、一年間でいいから、真剣におやりになることを私は提案します。(拍手)
8  また男性の方々も青年部や、それから女子部や婦人部、そしてまた、一家の方々の柱になる存在でありますから、題目を唱え唱え、唱えきって、生き生きとした幹部になっていただきたいのです。
 どんなに商売が忙しい、どんなに商売が左前だからといって、題目をあげなければどうしようもないし、題目をあげることが源泉だし、それでぜんぶ切り開いていくことになるわけです。また、今度の巻頭言には「壮年幹部に望む」と題して書きました。(拍手)
 岩崎さんもひじょうにがんこな人でありますが、分別のある、いい総支部長さんであると信頼しております。人間みな欠点はあります。もう少しあのがんこがなくなるといいなと思うかもしれないけれど、そこがまたいいという場合があるのです。(拍手)
 それから、総支部婦人部長は、肺病でひじょうにやせていたらしいのだけれども、ご主人よりも強いのです。(笑い)いい人ではないですか。(ハイ)きのうわかったのですが、ほんとうの岩崎さんの妹さんなのです。ぜんぜん知らなかった。だからといって、この方は聡明な方であると思うがゆえに、兄弟とかそういうことには無関係で、皆さん方を中心として考えられる人であると思いますから、ひとつ安心してついていきなさい。(拍手)
 野村君も私の友だちで、昔からひじょうにがんばって、ずいぶんおこられてきた人なのです。真剣でしょ。(野村氏に)らくめんどうをみてあげなさい。市会議員やっているのですから、たいしたものです。
 きょうも理事長とずっと、きのうも、どこかへ行ったでしょ、ところがどこへ行っても理事長が会長みたいなのです。みんな理事長ばかり見ているのです。(笑い)
 私は参議院議員のカバン持ちみたいなのです。私は、ほんとうに合った話ではありません。(笑い)
 青年部の部長は、東京で訓練を受けてきたパリパリの部長です。パリパリといっても洋服がパリッとしているのではありません。(笑い)しっかりめんどうをたのみます。(ハイがんばります)
9  皆さんが総支部長であり、部長であり、支部長であるという自覚をもってもらいたいのです。皆さんが会長であると思ってもらいたいのです。幹部は向こうにいるのだ、私たちは下っぱなのだと、そんな考えではいけません。御本尊様のもとにみんな平等なのです。広宣流布のために自分も使命があるのだと強い自覚をした人は功徳を受けるのです。その人が信心が強いのです。組織というものはひとつの形式のようなものです。みんなこの一年間がんばって、生き生きとした人になってもらいたいのです。目も輝き、髪の毛もきちんと油がついて、ご主人方はバリッとした洋服で、あんまりその安っぽそうな質屋から出してきたような、(笑い)それから奥さん方の指を見ればぜんぶ、なんらかの指輪がはまっていると、ある人はダイヤと、(笑い)そのようになっていきましょう。
 着物も、着たきりすすめではなくして、五枚でも十枚でもあると、それぐらいにならなければほんとうではない。ご主人もサイフをパッとあければ、たいてい百円冊が五枚ぐらいではなくして、一万円冊が五、六枚はあるというようになり、やがて全員が会合のときには、奥さんに「車が待ってるよ、行こう」と自分が運転して、自家用車でこられるようになってもらいたいものです。
 北海道は土地も広いのだし、遠いのですから、てくてくくたびれたかっこうでこない。ぜんぶ車ぐらいもてるようになりましょう。それも見えをはったり、支部員から金を集めたり、借金して買うようでは大謗法です。ぜんぶ学会は自分の力でやるのです。私はぜんぶ自分の力です。外国へ行くのでもなんでもぜんぶ自分です。こじきではあるまいし、他人の金をもらったり、使ったりして生きていくなどということは、もっとも恥です。
 いまの政治などは、みんなそうではないですか。それは私はけいべつします。私たちはぜんぶ御本尊様からいただくのです。自分の力で一家を和楽にさせ、そして一家を安楽にさせ、物心ともに裕福にさせていくのが信心の目的ですから、そうなろうではありませんか。(笑い)
10  理事長だって、いまずいぶんりっぱそうなかっこうをしているけれども、ついこのあいだまでは、ふとんだって三枚ぐらいしかなかった。そっと帰ってふとんを一枚折って、このあいだまで、終戦後数年間まではナンキン虫がいる家にいたのです。月賦だといっいましたが、いまはいい洋服を着て三万二千円です。(笑い)
 まえのそのときは、背広なんか着てないのです。まるでアッパッパみたいなのを着ていました。(笑い)学校の教頭のその次です。それは信心は強盛でありました。
 その時分のことは、私も知っているのです。それで小さいへやに大勢子供を産んだ、(笑い)二階の間借りの生活です。それががらっと福運が出はじめたからすごいのです。今度は、とんとん拍子です。タコが上がるとグングングングン上がるでしょう。それが天界、仏界というのです。そのかわりなにをやっても下にいってしまう場合があるのです。それは地獄です。商売やってもだめ、からだの調子はまずい、病気はする、これは地獄です。
 ですから、福運というのは開いてくると、すごいのです。それは全魂を打ち込んで信心し、努力しなければいけません。そうするうちにだんだんたそうなり、かならずなってきます。いまではお子さんもむすめさんも、りっぱに育ち、りっぱな家にはいれるようになりました。それもちょっとした月賦で買った家ですが、前に住んでいた家を売ったのですが、そんな高く売れるわけがないと思ったのが、予想外に、思っていた三倍、五倍に売れたのです。私はびっくりしました。これはほんとうに御本尊様にお願いしていたなと思いました。福運が出はじめると、そうなるのです。
 たいへん失礼ですが、七、八年前までは皆さん方の生活以下でした。二十三年間も信心し、十何年間は戦いです。
 それから北条総長、陸軍曹長ではありません。(笑い)海軍のほうは中尉でした。
 北条時頼の末孫で、福運ある家なのです。だけれども、やっぱり大聖人様に弓を引いて、弓をひかなかったのだなあれは――大聖人様をいじめたといえばいじめたのです。だけども、あの当時は平の左衛門がいちばん悪いのです。良観がいちばん悪いのです。北条時宗はどっちかといえばそそのかされて、いちおう、遠流はしたものの、許したのはぜんぶ北条時宗です。だからその功徳によって信心できたといえばいえますが、はっきりはいえません。(笑い)
 それで海軍兵学校で終戦になって死にかかって、やっぱりおうちが信心していたゆえに、助かっているのです。どっちかといえば旧信徒みたいで、ほんとうに信心しはじめのときは、いちじは土方もやったし、それからいろいろなことやってきて、いまは大福運の人です。(拍手)
11  私だって同じです。いまは不景気な顔をしていませんけれども、いまの最高幹部はぜんぶそうです。皆さん方は、幹部はいいなと、あれは別なのだとお思いになるかもしれませんが、それは大なる誤りです。皆さん方よりも何倍か苦労しております。たいへんな生活をしてきています。
 私だっていちばんひどいときは、よく話すのですが、これは若いからしようがないけれど、十一月ごろまで開きん一枚しか着ないときがありました。それであっても、絶対に功徳をいただけるに決まっていると、信心だけは、希望に燃えておりました。いまこういう思い出がなければ損だという気持ちでした。それは、お金などというものはみんな銀行に貯金してあるようなものです。信心しているのですから、しょぼしょぼなんかしません。それを疑ったならば、信心はないではありませんか。疑いではないですか。
 このあいだもちょっと婦人部の人と話したのですが、不思議なことに子供というのは、みんなし子とか、もらい子というのは、かならず、ある時期になると、自分がもらい子ということがわかる場合があるのです。親がいわなくても、だれもいわなくても感ずる場合があるのです。というのは、親自身の心の奥底に、この子はもらい子なのだという気持ちがあるのです。それが感応するものなのです。だからウソはすべてつけないものです。同じように、その心の奥底が御本尊様にどう響くか、感応するかによって、その人の幸、不幸が決定するのです。願いが決定されるのです。わかるでしょう、(ハイ)それが信心です。
 いま、有名人だ、財閥だ、大政治家だといっても、心の奥底はいいようにみえるけれども、みえをはっているけれども、みんな悩んでいるのです。
 ある有名な実業家の人が、これはたいへんな人ですが、このあいだうちの人が行って対談したときもいっていたそうです。その人が「じつをいえば、いま自分はすべて調子がいい、すごい立ち場にいる。ところが、ちょっと自分の心をもう一度見つめてみると、がたがたになるような気がしてならない。瞬時たりとも安心できない、不安定だ、地獄の苦しみだ」と。また幸福というものが学校や金や位では決まらないものだというのです。こういうふうに正直な男です。まえに、ちょっと私もひとことおこったのですけれども、そういうふうにいって、ぜひともゆっくり話を聞かせてもらいたいと、こういうふうにいってきているのです。また、こうなるのです。
 だからといって、まともに信心できるかできないかは、また本人の仏縁になります。いずれにしても、権力よりも財力よりも、有名人よりも、結局は、いちばん強いのは信心であり、尊いのは信仰です。その信仰もたくさんの邪宗邪義があるなかで、正しい信仰、御本尊におめにかかったのですから、あとどこを捜したってありません。もしそれが、あると思ったら、またぐずぐずいうのだったら、行ってらっしゃい。(笑い)ほんとうに少ないほうがいいです。ぐずぐずいう人はほしくないのです。御本尊様に申しわけないと思います。しかし、そのようにおこってもしようがない。毒鼓の縁がるのだから、また大きく見なければならない、と思います。それではお元気で。
12  19631008 一千万の人々が証明 釧路結集大会
13  初めは、激励にくる日がたいへんに遅れて、申しわけない気持ちでいっぱいでありましたが、これだけ元気であるならば、別に激励にくる必要はなかったと思っているのです。(笑い)反対に私どものほうが激励されているような気がいたします。どうか辻先生、そうてまた柏原先生等が、あらゆる角度から多種多様に指導があったと思います。私の話も、そしてまた、どの理事、幹部の話も、ぜんぶ、しょせんは「大御本尊様は絶対である、大聖人様の大生命哲学は間違いない」と、これを教えることに尽きます。
 したがって、いろいろと指導があったことを、皆さん方があらゆる角度から、ひとりひとり受ける心は違うと思いますけれども、なんらかのものを、ひとつ、おつかみになって、自分自身の信心の偉大なる源泉にしきって、この次に、お会いするときには、もう一段と幸福な姿でお会いしたいと思いますけれどもどうでしょうか。(拍手)
 「どんな会長がくるだろう」と、このように心の底で期待していた人がたくさんあると思います。さきほど釧路の飛行場へ降りました。理事長と北条副理事長といっしょで、宮崎本部長さんもいっしょでした。ところがあそこで「だれが会長なのだろうな」といって、たいてい指をさすのは理事長のほうなのです。(笑い)その次は副理事長のほうを「あれが会長かもしれないな」――その次、どうやら指をさすのが宮崎本部長というわけで、私はいちばん最後であって、(笑い)まるで理事長や副理事長のカバン持ちかなにかに思われているのです。(笑い)
 だが、私は会長として恩師の遺志を継ぎ、絶対に広宣流布の指揮をとり、せめて全会員を守りきっていくことだけは、だれびとにも負けない会長であるということを宣言しておきます。
14  日蓮正宗が、そしてまた三大秘法の御本尊が、そしてまた創価学会の実践行動が絶対に正しいということは独善的にいうのではないのです。感情的、観念的、あるいは利害のうえでいうものではけっしてありません。あくまでも、三大秘法の御本尊様が、末法今時のいっさいの衆生を成仏せしめ、大功徳を与える源泉であり、その御本尊であり、仏法であるということは、一千万人の人々の立証によって明白であります。(拍手)
 新聞や雑誌に、宗教欄ならびに宗教観、宗教等について多々論じておりますけれども、はたして、その人が釈迦の一切経を読みきったか、また日蓮大聖人の御書をぜんぶ読みきったか、研究しきったか、もう一歩立ち入って実践しきったか、このように追求するならば皆無であります。
 いわんや、いまの知識階級といわれている連中、ならびに一般の人々は、宗教ということ、仏法ということがほんとうはわかっていないのです。劣応身と勝応身がどう違うか、念仏と妙法蓮華経がどう違うか、親鸞と弘法がどう違うか、その本質はわからいのです。それほど、仏法に対してじつをいえば無知なのであります。
 したがって、いま結論的にいうならば、日蓮正宗が正しいということを文証・理証、現証という厳然たる基準をもって結論づけられるし、また皆さん方も教学を一生懸命やっていると思いますし、やっていただきたいのであります。五重の相対、三重秘伝、四重の興廃、または総別の二義、種脱相対、そのうよう科学的に、論理的に、きちっと勝劣浅深を立てきっております。末法今時においては太陽が一つであるがごとく、そしてまた、一国には王はひとりであるがごとく、総理大臣はひとりであるがごとく、天皇陛下はひとりであるがごとく、ただ一つの日蓮正宗にあるのであります。御本尊様に帰着するのです。その御本尊を根本として、釈迦のいうとおりに、遠くをいうならば、与えていうならば、天台大師、伝教大師のいうとおりに、また現代でいうならば、近くいうならば日蓮大聖人様のおっしゃるとおりに、寸分もたがいなく、そのままいいきり、実践しきっているのが、わが創価学会なのであります。(拍手)
 したがって、だれびとがなんといおうが、私どもは仏の使いであります。仏の軍勢であります。不幸の人を救い、日本の国を根本的に救おうという団体であります。
 これほど尊く、これほど偉大なる美しい団体、教団は、全世界にないと私は確信するものであります。(拍手)
 どうか、仏法のなんたるかを知らない、そしてまた宗教のなんたるかを知らない人々がなんといおうが、縁に紛動されず、仏法のことであったならば、宗教の本質の問題であったならば、これは私どもが教えるべきである、われわれに聞くべきであるという偉大なる確信をもって、前進しきっていただきたいのであります。(拍手)
15  話は変わりますけれども、その信心をしきってきた証拠として「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」とおおせのように、どのように幸福になったか、反対した場合に、因果き理法により、どのように不幸になったか、これは、たくさんの実例を私は知っております。
 皆さん方も信心強盛な人は、たくさん身辺で実験証明をなさっていると思いますけれども、一つの例をとるならば、さきほどから皆さん方の前で話をしておられた辻先生――辻先生が十数年前、私が入信当時でありますが、小学校の先生で、私がなにかの用事でその小学校の道を通っていましたら、その物置き小屋のようなところに、ご夫婦、そしてまたお子さん方と住んでおりました。一生懸命に題目を上げていたことを記憶しております。
 その時分は、ほとんどの人が信心しておりません。ぜんぶ創価学会に対して、あらゆる悪口罵詈、弾圧でありました。ほんとうのことをいうと、いまの人はひじょうにしあわせなのです。信心しやすい立ち場なのです。福運があるといえばあるといえますし、またもっとも早く菩薩の道を歩んでいたほうがしあわせであったか、それはなんともいえません。
 それからまもなく、功徳によって、今度は教員住宅のほうへ移られたことがあります。その姿も私はよく知っております。一晩泊まりにいったことがあります。その家も、ちょっと高台にありまして、マッチ箱みたいな家です。そういう家でありまして、村田英雄ではないけれども「吹けば飛ぶような」そういう家なのです。
 それでまた、だんだん水の流れるような信心をしきって、いまでは災害対策特別委員長、また国会対策委員長として公明会の中枢であります。その当時笑ったり、そしてまた悪口雑言をいっていた教員の人たちや隣人の人たちは、いまになって「辻先生、われわれは負けたよ。たしかに日蓮正宗の仏法は、創価学会はたいしたものだ」といっているのであります。(拍手)それが証拠なのです。
 また隣におられる柏原先生も、話があったかもしれませんけれども、信心のために追われて家を引っ越すこと二十何回。(笑い)初めは泣き虫で気が弱くて、いま考えれば想像もつかないような人であったらしいのです。それが人間革命です。牧口先生に仕え、戸田先生のもとで第一線に立って、今日の学会の大原動力になって戦ってきたことを、じっと私は見ていましたから、知っております。
 いまではりっぱな家にも住み、そしてまた参議院の女の議員さん方が、柏原先生をひじょうにうらやましく思っているらしいのです。また海外旅行も、もう六回か七回。ほかの議員さん方はなかなか行けないらしいです。そういうふうに、いまでは女性のなかでは日本一、世界一の女性と自負しているのは、柏原先生ではありませんか。(拍手)
16  時間がありませんから、北条副理事長や原島理事長や、または本部長や私のことは略させていただきますけれども、ぜんぶ理事級、または大幹部級は、あらゆる点で大勝利の証拠を示しております。同じ題目を上げ、同じ御本尊様をたもち、同じ大聖人様の子供であります。位が上であるとか下であるとか、そんなことは形式であります。
 大事な大事な一生であります。有意義に信心をしきって、強盛なる信心を成し遂げて、自分自身もこれでよし、そしてまた死んでいくときは、あとに残った子供たちにも、子孫末代までもかならずや大功徳が回向されるという大信心をもって、進みきっていただきたいと、私は思うのであります。(拍手)
 宿命と戦って若し人もいるでしょう。また商売がたいへんで、題目を一生懸命上げている人もいるかもしれない。さまざまな悩みをもって、皆さん方が信心をしていることはよるわかります。だが、いくらグチをこぼしたからといって、どうしようもないのです。だれも助けてくれません。自分自身のこの仏界を、この中に宇宙全体の宝物が含まれており、それを信心によって出しきるのです。それが一念三千の理法です。
 きょうからは一段と題目を高らかに上げ、強く上げて、絶対に願いを達成させてみせるという確固不動なる信心をやりきっていただきたいことを、心から祈る気持ちでお願い申し上げ、私の激励といたします。(拍手)

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