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日蓮大聖人・池田大作

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妙法根底の技と力 第1回全国柔道剣道大会

1963.9.30 「会長講演集」第10巻

前後
1  じつに見事なる技であり、演技を見せていただきました。私はひじょうにうらやましい気持ちで見させていただきました。
 人生の勝利をうるために、そしてまた、人生にとって、もっとも幸福を享受すべき根本条件として、生命力豊かでなくてはならないとの言は、よく恩師の申されたことばでございました。また日蓮大聖人様はその生命力を基調として、源泉として、それにプラスすること福運と知恵をみがかなくてはならないと御書におおせでございます。すなわち、その知恵と福運と生命力をぜんぶ含めて発揮できるその源泉は、大御本尊様に題目を唱える以外にないわけでございます。
 よく先生は諸葛孔明の話、そしてまた竹中半兵衛の話をされました。戸田先生もどちらかといえばからだが弱く、また私もひじょうにからだが弱い青年でありました。先生は「いくら知恵があっても、諸葛孔明も竹中半兵衛もみな生命力強くして早死にをしてしまった。国家のため、民衆のために、自分自身の最後の最後までの使命を達成できずして、死んでいってしまった。まことに悲しいことである」と、このようにも申され、その半面、いくら生命力が強そうであっても、いまの政治家のように、動物のように強いけれども、その知恵は邪知であって、本源的に人ひとり救えず、いわんや日本民衆を救えないような、そういう生命力の持ち主もおります。
 願わくは、私どもは日蓮大聖人様の弟子として、色心ともに強い強い生命力、そしてまた知恵を発揮して、自分自身の幸福のためにも、そしてまた日本国のためにも、日本民衆のためにも、しっかり成長しきって、夢のような一生であるこの一生をば、最大限に有意義な一生として生ききって、いこうではありませんか。(拍手)
 日蓮大聖人様は有名な弥源太殿御返事(御書全集1226㌻)のなかに、武士である弥源太が刀を日蓮大聖人様に御供養しました。そのときに「弥源太、おまえがもっていれば、この刀は悪刀である。私が持てば善刀に変わる」とのおことばがございます。とうぜんそのおことばは、妙法という大哲理を基準とし、根本としての武道であり、技であるならば、すべてそれは令法久住のためであり、広宣流布のためにつうじ、そしてまた自分自身の幸福につうずるのであります。
 それに対して暴力のため、ただの社会悪のための武力であり技であるならば、それはぜんぶ悪であるとのおことばであると拝します。あくまでも大御本尊様を根幹とし、妙法を基準としたならば、私どものその情熱あふるる技、演技、力というものは、全人類に、そしてまた永遠に、最高の善として残っていくべき、源泉となっていくべき力であると確信してやまないのであります。(拍手)
 最後に、長時間にわたりましていろいろとめんどうをみてくださいました審判官の先生方に、青年部にかわりまして厚くお礼申し上げ、どうか日本のため、広宣流布のため、かつは全人類のために、これから羽ばたいていく青年部を、学会健児を末長く見守っていただきたいと、ご後援をひとしお、お願い申し上げまして、私のあいさつといたします。長いあいだご苦労さまでございました。(拍手)

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